その日、俺はベランダで煙草を吸っていた。
俺の手には自分のヒット作「Orengeな愛を」の舞台化の脚本があった。
それをもう一度読み込む。
「原作改編か・・・・・・噂通り酷いな」
ほとんど、この脚本では台詞から登場人物まで改編が行われている。
どうしてこうなったのか。正直分からない。もはやここまで来ると原作レイプだろう。
誰だって原作レイプは許せない。それは自分の担当編集や追っかけてきてくれたファンや、そして自分自身も。
「Orengeな愛を」の内容は、いたって凡庸なラブコメだ。だがそのなかに一欠片――作者の熱意や寂寥的な感情が詰まっているからこそ、ヒットできたのだと自負している。それを改編だなんて言語両断だ。
するとスマホの着信が鳴った。
平田からだった。
「で、今度の舞台についてですけど、あの脚本で脱稿させますか?」
俺は黙って二本目の煙草の火を点けた。
「俺が・・・・・・脚本を書くと言ったら?」
自分でも分かっている。そんなこと、横暴であることぐらい。それでも、あんな致命的な物語で舞台を作らせるなら、俺は舞台化を下りるかそれか、自分で脚本を作る。
「先生。初シリーズの連載原稿もあるんですよ。少し無茶では」
「だが・・・・・・」
「いや大分と無茶です」
「でも。あれは無茶苦茶だろう!」
そう、俺が致命的と言っている点は他でもない、舞台ではヒロインが亡くなってしまうのだ。
俺は、いままで社会でも、漫画界でも無下にされてきた男だ。だからこそ、漫画の登場人物を愛し、数多くの壁と衝突しながらも一緒に登場人物と人生をこなしてきたのだ。
それを、この原稿ではそんな生き方をしてきた自分を軽く捻るように否定している。それが許せなかった。
「なら、先生の初めてのアニメ化に携わったアニメ監督ともう一度会いましょう」
「猪狩監督か・・・・・・」
猪狩監督――二十九歳の新人アニメ監督。その人が携わってくださった俺のアニメ作品「Orengeな愛を」を華麗に演出してくれた。タイトなスケージューリングの中でも完璧な仕事をしてくださった人だ。
「そうだな。今度の休日に会いに行こう」
◆◇◆
焼き肉店で、担当編集の平田と、猪狩監督と待ち合わせをした。
「あれ? 監督は?」
ズギッ、と爪先に衝撃があった。俺は歯軋りをする。
「ここですよう〜この馬鹿あ」
「あはは。まったく監督は年甲斐も身長も足りないですね」
「あはは、そんなこと言っちゃあ駄目ですよ先生」
平田が軽薄な口調でそう言いながら監督の頭を撫でる。
「むう。無双乱舞決めたい・・・・・・」
そんな物騒なことを言っているのは
・・・・・・本当に二十九歳なのだろうか。
そして、「無双乱舞決めたい」と言うほどのオタクだ。確かその言葉ってネットミームだったはずだ。
「さあ、行きますよ。未来ちゃん」
「むぐぅ。そろそろしばこうかな」
「むぐぅだって。そんな某鍵作品のヒロインの口癖を言っちゃうなんて可愛い」
俺の徹底とした煽りに、反発した未来。俺の顎元を殴った。グギっと嫌な音が鳴る。
その場に膝を付く俺。その元へ駆け寄る平田。「大丈夫ですか? 先生」
「大丈夫じゃないだろ。どう見たって。ほら、鼻血が出ている」
「本当だ。ちょっと未来ちゃん。やりすぎだって」
「お前らがバカにしすぎるからだ。謝れても責められる筋合いはないぞ」
「はいはい、すみませんでした。ここの会計俺が持つから」
「ほ、本当か⁉」
「ああ、本当だ。だからほら、謝れ。ほらほら」
むぐう、とまた何か文句を呟きだしたが、しかし最後は素直に「悪かった。……勘違いするなよ。肉のために謝ってるんじゃないからねっ!!」となぜか肉に対してツンデレを発揮している。
色々ツッコミどころ満載だろ?
◇🔶◇
ジュ―と鉄板にホルモンが焼かれている。確かハチノスだったはず。
「で、今日はどうかしたのかな?」
指を顔の前で組み、にやにやとしている姿はまるで某ロボットアニメの駄目親父司令官のようだった。
「俺の作品、今度舞台化されるんだよ」
「良かったじゃないか」
「これを見てもそんな感想を持てるかな? まあ見てみてよこの脚本」
焼きあがったハチノスを咀嚼しながら未来は脚本の字面を追っていく。
「こりゃあ、酷いな」
「だろ? 特にどこら辺だと思う?」
「ヒロインを最後殺すことによって安易なカタルシスを演出している部分だな」
「そうだろ。そこでだ」
俺は居住まいを正す。そして頭を下げた。
「監督に、俺の作品の脚本を作ってほしいんです」
すると未来は溜息をついた。そして脚本をそっとテーブルの端に置いた。
「それは無理な話だ。なぜならそもそも私はアニメ監督で、劇の脚本などど素人だからだ。そんなやつにちょっかいを出されたら向こうの脚本家も溜まったもんじゃないだろ。そうだろ?」
「そうだが……」
「私は、あんたの作品に惚れている。まさかあんな繊細なラブコメの漫画を描いたのがこんなむさくるしいおっさんだとは思いもしなかったが」
「それ、褒めてるんですよね?」
「ああ、ベタ褒めだ」
未来は満面の笑みを見せた。それに射止められた俺。
「か、可愛い」
「なっ、なにを言い出すんだっ、このバカっ。アホッ」
そしたら手を叩き、平田が死んだ目で、「おーいそこ。変なラブコメしない」と注意をしてきた。
それに一言言ってやる。
「「これはラブコメじゃない!」」
◇🔶◇
俺は自宅に戻るとテレビを点けた。すると自分のアニメが再放送されていた。
どうしてヒロインを殺すことにそこまでして躊躇うのか。それはこのヒロインが実は自分の初恋の人、であったりするからだ。
小学生のとき初めて描いた漫画を、大人になってから修正し、読み切りとして掲載させた。それがヒットし、連載化となり系十二巻のロングセラーとなった。
ヒロインの名前は大竹夢。学校のマドンナ的存在で。俺には手が届きそうもなくて。結局はサッカー部の先輩が奪っていった、そんな苦い思い出だ。
あれ……なんか涙が……
俺は立ちあがった。
絶対自分のヒロイン(夢)を守ってやる。待ってろよ、脚本家。