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第7話

 ――はいはいはいはい、って何でもかんでも首肯してんじゃねえぞアホプロデューサー。今回の舞台でのお前の推薦は、俺が一枚買ったことを忘れんなよ。

 なんだよこのアホ脚本家が。俺が才能がないからって、お前みたいな才能がある奴が鉈を振りかざしてそれを正当化しては駄目だろ。

「お父さん。どうしたの」

「ん?」

「Orangeな愛を」演出プロデューサー、蛇戸明沼へびとあきぬまは家族サービスで阪神対巨人の試合を観客席から眺めていた。

 何でもないと嘘がへばりついた表情を五歳の娘に見せる、明沼。

「あなた、大丈夫?」

「ああ。仕事でちょっと、さ。ほら、巨人が負けてしまうよ」

 四対二。スリーボール、ツーストライク、満塁八回裏逆転のチャンス。

 バッターはじりじりと集中力を上げていく。この一本に掛ける。もう後がないから。

 ピッチャーが投げた球はインコース斜め下のゾーン。

 そんなところは振れるわけもなくバッターは見逃した。そして球審はストライクの判定を出した。

 試合終了のサイレンが鳴る。

 明沼は、掛けていた眼鏡を取り鼻頭をつまんだ。

「俺のやっていたこと、なんだったんだろ」

 なぜか泣いてしまっていた。その姿を呆然と見守る家族。

「お父さん、よく分かんないけど元気出して」

「ああ。そうだな……ちょっと連絡掛けてきてもいいか?」

「えっ、いいけど」

 明沼はドームの側のベンチに座って連絡を掛けた。

 野球でも、チャンスは見逃してしまうことがあること、その例え話を白石に伝えたかった。

 念入りに準備をしないと城砦は納得しないのだから。


 五コール目で繋がった。「どうかしたんですか?」と白石は困惑している。それもそうだろう。普通なら舞台のプロデューサーと原作者は直接やり取りしない。間に出版社の編集者を介してもらうのだ。

「突然ですが、城砦さんは今かなり機嫌が悪いです。明後日の会食の日もちゃんとした議論になるかどうか分かりません。それに白石さんが提示した全脚本のリテイク作業は、言っちゃいえば脚本家に喧嘩を売るようなものです」

「どういうことですか? 俺は喧嘩を売ったつもりは毛頭ないんです」

「聞いてますよ。あなた、ブンジャンで人気がずっと下の方だったらしいじゃないですか」

「……っ、だからって俺が脚本家に意見してはいけないという理由にでもなるのか?」

「落ち着いて聞いてください。実は城砦先生もゼロ年代から活動し始めた先生で、十年ぐらいはずっともぐりの脚本家だったんです。だからこそ、白石先生と何か共通項があるんじゃないんですかね」

 通話の音からかちッとした音が聞こえた。ジッポの音だろうか。

「分かりました。ならこちらにも考えがあります。ではまた明後日」

「はい」

 プツン、通話が切れた。

 ドームの観客席へと戻ろうと歩を進めていると、阪神のヒーローインタビューが聞こえてきた。


 2


 二日後。都内のピザ屋で白石、城砦、明沼、平田の四人は会食をしていた。

「で、どうして君は脚本のリテイクを望むのか、教えてもらえるかな?」

「俺は、登場人物を大事にしたい。その想いで一杯なんです。人物が欠けた物語なんてそんなの、物語として破綻している」

「ほう。そうやって君は俺の物語にケチを付けようと言うのかね」

「ケチ? 違うだろ。お前だって登場人物を大事にさせたいはずだ。というかそれが責務だろ。脚本家の!」

「いいか、脚本家は何億と掛かっている案件の仕事で、大事なのは妥協だと思っている。君みたいに漫画ベースの思考のまんまだったら、有意義な討論は出来ないね。今日はもうお開きにしようか」

 城砦がそう言った直後、白石が「ちょっと待てよ」と呟いた。

 これで終わってたまるか。


「俺は、どうしここまでこの漫画の登場人物に拘るか。それは、主人公は俺そのものだし、ヒロインは俺の初恋の人だったんだ。近所にいるガキ大将なやつも実際にいるし、ガキのくせして賢しらぶっている奴も実際にいた。そんな奴らと青春を共にした思い出を無くしたくないんだ」

 白石は頭を下げた。

「つまりこの漫画は、作者のエッセイのようなものだと」

「そうだ」

「俺さ、いつかの日、演出家に言われたんだよ。お前の脚本はキャラが立ってないって。その意味が正直今も分からない。だって、キャラクターなんて空想上のものだぜ。それに命吹き込むなんて天才の所業じゃないか」

「分かります。俺も何度も漫画を打ち切りになって、漫画の天才を妬みました。でもそれで分かったことがあります。天才を妬んでいても、僻んでいても何も変わらない。そんなことをするぐらいなら一本でも多くの絵の線を描く。それしかないのだと」

「そうだな……本当にそうだよな。分かった。君が発案した脚本のリテイクを快諾しよう」

 それで会食は一通り終わり、それぞれ身支度をしていると、


「白石さんは十分天才の域ですよ」


 そう、ぼそりと城砦は言った。


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