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第12話 僅かな邂逅『狂帽師』

 「前線に突っ込む為政者なんて、非文明的すぎる」とメッツァは、毒気づく。


 仮に、リューファスがかつて地位のある人物だったとしても、せいぜい前時代的な前線指揮官程度の脳みそしかないと確信していた。


「これだから古代人は! 魔術師を火砲兵科だと勘違いしてるんじゃないのか。こんな状況に知性を使わされるなんて、能力の浪費だ!」


 例によって、爆炎もガスも使えない戦況。

 電撃も、感電に巻き込む。結局、精密射撃をするか、制御された状態での範囲攻撃が望ましい。


 首から下げた虚数演算宝珠がエメラルド色に輝くも、使う術式に悩む。

 メッツァには実戦経験が少なすぎて、実用的な手札がパッと出てこない。


「うんざりだ……。こういう時はどうしたらいい?」


 メッツァは独り言を呟き、額に浮いた汗を手の甲で拭う。

 虚数演算宝珠の輝きで緑に染まる瞳、そこには苛立ちが浮かぶ。


 戦況は良いとはいいがたい、屋外戦になったせいで、レッドキャップが数を使って戦えるからだ。

 広い空間では、数の劣勢が響くことくらいは、メッツァにも理解できた。


「火力しか能がないと思うなら、大間違いだ! 『歪曲障壁』」


 メッツァの叫びと共に、戦場を区切るようにいくつか半透明な障壁が立ち上がった。


 冒険者たちを取り囲むように形成されたそれは、レッドキャップの弾丸や投擲武器を停滞させ、仲間たちを一時的に遮蔽した。


 その領域を通過しようとしたレッドキャップの突進も、斧槍を振り上げる動作も、ハエが止まりそうなほど緩慢になる。

 障壁は波のように揺らぎ、侵入者は空間自体に緩く縫い留められたのだ。


「いいぞ、メッツァ!」


 リューファスが剣でゴブリンを弾き飛ばす。

 素手でゴブリンの頭蓋を潰し、足で斧槍をへし折りながら笑った。


「なあ、もっと派手にやってくれ!」

「無茶言わないでくれ! こんなの、数秒で限界だ!」


 メッツァは額に汗を浮かべながら答える。

 普段使い慣れていない戦闘魔術の連続使用で、すでに息が上がり始めていた。


 しかも、メッツァが次の術式を展開しようとしたその瞬間、空間の壁をすり抜けるように一匹のゴブリンが突進してくる。

 レッドキャップの頭巾に染み込んだ血が、暗闇で不気味に光る。


「しまった――!」


 反応しきれないメッツァの前に、一陣の風が吹き抜けた。

 次の瞬間、ゴブリンの動きがピタリと止まり、その体が真っ二つに裂けて地面に崩れ落ちた。


「遅いわよ、研究者さん」


 冷たい声が響く。


 振り返ると、蜘蛛の足を背に生やしたゴシックドレスの女が立っていた。

 その目には感情の欠片もなく、ただ無表情にメッツァを見下ろしている。


「感謝するなら早くしなさい。こっちも暇じゃないの」


 蜘蛛女は短く言い放つと、再び戦場の影へと溶け込むように消えた。

 背中に浮かぶ蜘蛛の脚が闇を引き裂き、次々と潜む銃手たちを仕留めていく。


 一方で、双子姉妹のダムとディーはゴブリンたちの波状攻撃を押し返していた。


 茨の槍が唸りを上げ、敵陣を崩す。

 歪曲空間に縫い留められたレッドキャップたちを前に、双子は槍を交差させた。


「向けられた敵意は、倍返し! それが茨の流儀。 ――償え、『血仇荊棘ティシポネ』」


 双子姉妹の黒衣がたなびいて、槍の切っ先を起点に空間が軋んだ。


 茨の津波が群れを呑み込み、ズタズタの肉片へを変えていく。

 茨の枝葉が血を吸い、赤い蕾が瞬く間に膨らむ。次の瞬間、鮮紅の花弁が一斉に開いた。


 周囲は鼻を刺す生臭い鉄の匂いで充満し、薄暗い森の中で真紅の花が不気味に輝いていた。

 血を吸いながら茨が成長して暴れまわり、囚えられていた魔物たちの断末魔が、次々に上がっては消えていく。


 大勢は決した。


 レッドキャップたちは勢いが弱まると、一斉に撤退を始める。

 執着することもなく、逃げるのに邪魔なら武器を投げ捨て、可能な範囲で負傷していた仲間を担ぐと、一目散に逃げだした。


 リューファスは剣を収めることはしなかったが、追撃は避けた。


(今の余はあくまでメッツァの護衛であって、大軍の将ではない)


 その時、自らに絡みつく視線に気づいた。

 遠くの古びた木立の間に立つ影――それは、じっとこちらを見つめていた。


 小柄で痩せこけたそのシルエットは、普通のレッドキャップにしては異様に高い帽子をかぶっているのがはっきりと見えた。


 帽子は名状しがたく。まるで捻じれた時計塔であり、裂け目からモヤが漏れる。


 その縁には、血染めの鳥の羽や壊れた矢尻がひらひらと揺れ、森の風に応じて不気味な音を立てていた。


 目が合った瞬間、冷たいものが背筋を駆け抜け、リューファスの心臓が跳ねた。


 顔は、まるで闇の中で浮かび上がる彫像のように無表情だが、ぎょろついた目が異様な光を放っている。


 片方の瞳は人間のものに近いが、もう片方は爛々とした緑色の輝きを持ち、こちらを見透かすように静かに揺れている。

 それは「ただの観察」ではなかった。彼の視線は、何かを測り、試し、解剖しようとする意志に満ちていた。


 帽子の影から覗くその口元が、歪な笑みを浮かべているのが見えた。


 それは人間らしい微笑みではなかった。薄暗い闇の中で、不気味に覗く八重歯がちらりと光る。

 その笑顔は、狂気と知性が入り混じったものだ。まるで遊び心と悪意が結託し、どの瞬間に襲いかかるかを熟考しているかのようだ。


(――奴は動いていない。ただ立ち尽くしている)


 それでも、何かがこちらに向かって近づいてくる感覚があった。

 心の奥深くで、脈拍が次第に速まるのを感じる。動いているのではない――視線だけで、こちらを支配しているのだ。


(なんだ、この重圧は……)


 現代に蘇って、初めての感覚であり、リューファスにとってよく馴染んだ感覚でもあった。


 ――ああ、あの頃の戦場だ、と。


 ふいに、奴の指先が動いた。


 細長い蜘蛛のような指が帽子の縁に触れ、軽く持ち上げる仕草をする。

 それは敬意を表す礼のようにも、これから始まる何かの合図のようにも見えた。


 そして、歪な声が風に乗って響いてきた。


「お前も、帽子をかぶるべきだな……古き王よ」


 声は低く、同時に奇妙な高さを伴っていた。


 意図的に耳障りに混ぜ合わされたノイズめいた声。


 その調子は、歌を吟じる詩人のようでありながら、刃物のように冷たい。


 次の瞬間、笑い声が森の奥深くに反響する。

 その笑いは途切れがちで、鋭く、聞く者の心を締め付けるようだった。


 そのまま、奴は森の深くへと、呪いによって汚染された土地へと姿を消した。

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