目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第15話 呪詛の森と慟哭する騎士たち

 呪詛汚染された森は、もはや人の住める場所ではなかった。


 木々は黒く変色し、葉も花もつけていない。

 その枝はねじくれ曲がり、まるで巨大な蛇のようであり、時折、風もないのに揺れる様は不気味であった。


 「酷いものだ」


 リューファスはかつて自分がこの道を歩いたことを思い返しながら、そう嘆いた。


(600年前のこの森は、もっと清浄で美しかった。木々は青々と茂り、小鳥のさえずりと、清らかなせせらぎの調べが常に響いていたものだ。――しかし、今はどうだ? この森は黒々と染まり、死臭が漂っている)


 己が、黒龍と戦った爪痕が未だなお残る。

 600年の月日を経ても、黒龍の呪いがもたらす汚染とはここまで深いのか。


 時折、漂う亡霊ゴーストと遭遇することも厄介だ。いずれもさして強くはなかったが。


 彼らの虚ろな半透明の肉体は、死骸を食べることもままならず、物寂しい死霊の森を彷徨っているのだった。


 リューファスの呟きに、なぜかダムが疑問を呈した。


「それは、この森の現状を言っているの?」

「600年前はこんなものではなかった。確かに当時も安全とはいいがたく、他種族に脅かされるような土地柄ではもともとあった。それでも、みな、必死に豊かにしようと努力していた。そんな素朴な場所だった。それを思えば、死してなお生者を求める者たちが哀れでならない」

「ああ、亡霊ゴーストが霊魂だと信じているのね」


 遠巻きに無知を指摘された気がした。


 だが、知識の正しさと己が浸る感傷については、関連性があるようには思えなかった。


(仮に、余の認識が事実とそぐわないものだったとしても、この巻き起こる感情は、本物である)


 戦場で己の判断が間違っているかどうかを考えたことは今までなかった。

 王は傲慢に己を貫き続けなければならないからだ、王が揺らげば国が揺らぐ。


 少なくとも、その姿を民や家臣、諸侯に見せるべきではなかったから。


 だが、石化から解けて、今の世を見てから自分が貫いてきた生き方そのものについて、常に何かを問われ続けている。


 先に進む一行の前に、幾人かの騎士甲冑を着た者たちが現れた。


 瘴気を纏い、虚ろな気配を放っている。


 それはかつて戦場を駆け抜け、活躍していったはずの兵たちであり、呪われた成れの果てだった。

 騎士甲冑の中身を透かして見えるほどに、濃い瘴気のベールが兵士たちを覆い隠している。


「王よ。王の元に聖杯を」

「死した王を蘇らせるため、聖杯を見つけ出さねば」


 慟哭鬼ラメンター の一団だ。黒龍に殺された者は、魂を喰われる。


 だが、それだけではなく、その呪詛によって呪われた傀儡、邪悪なる軍勢ワイルドハントとして永久に使役されることなる。

 自我を失い、苦痛と後悔を口にしながら、ただ殺戮のために喚び出される哀れな存在。


 憎悪と絶望に取りつかれた呪詛は、そう簡単に祓い解けるものではない。


「いつか見た顔ぶれだ。……そうか、余が亡き後、そのような理由でここに赴いたのか」


 余はそのようなこと望んでいなかったのに、リューファスは言葉にしかけたのを閉じた。


 もはや理解できないだろうとはわかっていても、それは当人に言うことではない。

 相対してしまった以上、せめて介錯をしてやるのが、主君としての情けでもあるだろう。


 甲冑の騎士たちは、生前の戦術を保持していた。


 彼らは迷いなく菱形陣を組み、前衛の重装騎士が盾で防壁を作り、後方から長槍兵が間合いを取る。

 中央には、かつての騎士団の隊長と思しき巨漢の慟哭鬼が立つ。


 その朽ちかけた紋章は、第三部隊のものだ。


 黒く変色した重装甲冑の隙間から漏れる瘴気は特に濃密で、その存在感は群を抜いていた。


 ダムとディーが茨の棘槍を構えたため、「出来る範囲での援護を」とだけ声を掛ける。

 慣れない相手と連携を取るのは非常に困難だ、特に前衛に関しては。


 メッツァの首から下げられた虚数演算宝珠がエメラルド色に輝く。

 彼は、どこか得意げに笑った。


「お望みの爆炎を今なら披露できそうだね。先制攻撃だ、『爆炎の槍』」


 虚数空間内で、炭素と水素、硝酸と硫酸を魔術的に合成。

 創り出した不安定な状態の爆薬に、燃え滾る金属核を上乗せして撃ちだした。


 爆炎が荒れ狂い、燃え上がる槍のような衝撃波が慟哭鬼の一団に突き刺さる。


 その瞬間、爆発音が森全体に響き渡り、濃密な瘴気が激しく揺れた。


 盾を構えた前衛らの黒ずんだ甲冑が赤熱化し、吹き飛ばされた破片は地面に突き刺さるか、瘴気に溶け込むようにして消えた。


 直撃を受けた慟哭鬼たちは一瞬、崩れ落ちるように動きを止めたが、それでもなお、不気味な執念で体勢を立て直す。


「怨念が深いな。……なるほど、簡単には片付かない相手だ」


 メッツァが、虚数演算を続けながら苦々しく呟いた。


 確かに爆炎は効果を上げたものの、呪詛に蝕まれた魂と肉体は簡単に消滅することはない。

 世界に固定化し、繋ぎ止めようとする力が働き、実体化した魔術の効果を多少なりとも減衰させていた。


「そも、元が魔術の飛び交う戦場で戦っていた騎士だ。そう簡単には、撃ち抜けまい」

「へえ、現代の爆裂術式ですら、正面からでは分が悪いか。すごいね、昔の人って」


 受けた攻撃によって、怒りを増幅させたかのように、慟哭鬼たちは一層の執拗さで迫ってくる。


「……陛下、お守りできず申し訳ございません。 しかし、必ずや、聖杯を持ち帰ります故」


 統率する隊長の声には、悔恨の響きが濃かった。

 明らかに現実を見ることが出来ていない言動とは裏腹に、彼は冷徹な戦術家としての本能を失っていなかった。


 手信号一つで、部隊は流れるように展開。前衛と後衛が絶妙の間合いを保ちながら、リューファスたちを包囲していく。


 後方の弓兵たちが一斉に弓を引き絞る。

 それは呪詛の瘴気を纏った魔矢だった。放たれれば広範囲に毒霧を撒き散らし、視界を奪うと同時に、生者の体力を奪う代物だ。


 さらに側面からは、軽装の斥候たちが忍び寄る。

 彼らの動きには、生前の技術が如実に表れていた。足音一つ立てず、瘴気の淀みさえ見せない精緻な動き。確実に包囲網を狭めていく。


 リューファスは、かつての部下たちの手練れぶりを目の当たりにして、一瞬だけ感慨に耽った。


 死してなお、その卓越した戦術眼と技術を失っていない部下たち。むしろ、生身の制約から解放された分、その動きは更に洗練されていた。


「良い。それでこそ、我が騎士団。 ……なおのこと、そのあり様が忍びない」


 リューファスは携えた長剣へ魔力を込めた。剣が鈍い光を放ち、周囲の霧を切り払う。


 今の彼らは己の意思で戦っているわけではない、我が騎士団の強さはその心の在り方と生き様ではなかったか。


「余がこの者たちの最後を見届けよう。お前たちはその道を切り開け」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?