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第16話 『剛腕なるベドウィル』

 リューファスの瞳が鋭く光を宿す。

 黒龍との戦いで失われた年月を背負ったままの彼だが、戦士としての本能は鈍っていない。


「メッツァ防げ」

「また、無茶を言う! 『対空風壁』」


 まず、呪詛に汚染された矢が雨あられのように降り注いできた。

 それをメッツァが、空気の密度や粘度を操作する形で防壁を作る。矢は勢いを失うとより流れやすい方へと逸れていく。


「くっ、頭上からの一面なら、まあ、なんとか!」

「それでよい」


 リューファスは走り抜けると、盾を構える前衛たちの陣形をぶち抜いた。

 長剣を一閃させるたび、慟哭鬼の甲冑に深い亀裂が走り、瘴気を裂いていく。


 ダムとディーはリューファスの背後で素早く動き、慟哭鬼の連携を分断するように立ち回った。


 ディーが茨を空間に放ち、侵攻経路を限定すると、軽装の敵を優先してダムが槍を巧みに操り敵を打ち倒している。


 その技は流麗。騎士の心臓を穿ちながら、ダムは不敵に笑った。

 槍の先端が閃くたびに、敵は倒れていく。


 アラクネのマフェットは、聖女リリーと共に下がる。

 蘇生装置たるリリーに万が一のことがあればことだからだ。


「我がぁ、王のためぇえええ!」

「申し訳ありませぬ、王よ、王よぉぉお!」


 悲痛に叫びながら、騎士たちは武技を振るう。

 人格が保たれていないとしても、放たれる技の鋭さそのものに相違はない。


 騎士たちの武器から放たれた雷撃を、リューファスは前に出ると強引に素手で捻じ曲げた。


心威 ガイスト っ、『我が心に恐れはなくアルクス・インヴィクタ 』!」


 リューファスが覇気を込めて唸ると、両腕に青く輝く強固な籠手が具現化し、雷撃を弾くどころか、拳から放たれた衝撃によって騎士たちの前列が総崩れになる。


 接近していた慟哭鬼ラメンターは鎧や武器の存在も関係なく、素手の一撃で砕かれていく。出来の悪い冗談のように、屈強な騎士の成れの果てが、バラバラになって宙を舞う。


「規格外過ぎでしょ、あれ」

「……そうね、ダム。正面は任せてよさそう」


 ディーの茨の棘槍は、相手の動きを封じるように絡みつき、ダムの鋭い斬撃が致命傷を与える。

 慎重な踏み込みで、確実に相手を削る。致命的な綻びを見せようとしない。


 そこに追い打ちを掛けるように、演算が終わったメッツァが、虚数空間内で蓄えた魔力を術式として解放した。


 メッツァの周囲に紫色の波紋が広がっていき、それが次第に幾重にも折り重なった領域をかたどり始める。

 そのたびに紫電が飛び交う火花を上げ始めていた。


「研ぎ澄ませ、僕は世界を上書きする! 『崩壊の波動』」


 虚数演算宝珠が強くエメラルド色に発光し始めると、メッツァを囲う視覚化された魔力が波紋となり、緻密に広がりながら幾何学模様を描き始めた。


 紫電が大気を震わせ、虚数空間との境界が歪む。

 メッツァの周囲で現実が溶け、再構築される。宝珠のエメラルド色の輝きは、まるで新たな法則を世界に刻み込むかのように明滅を繰り返す。


 波紋によって織り成されたフラクタル構造。それは現実を書き換えるための"鍵"だった。


 閃光を放った次の瞬間、紫電が周囲の瘴気を吹き飛ばしながら渦を巻き、リューファスたちが戦う森の一区画を一気に浄化するかのように広がると、呪詛に染まった地面をも震わせた。


「断ち斬れっ!」


 紫電の渦は、慟哭鬼たちの存在そのものを否定するように、彼らの周囲の空間を歪め、引き裂いていく。


 その凄まじさは、敵の陣形を崩壊させるには十分だった。

 騎士たちの甲冑は次々と裂け、瘴気が霧散するたびに、彼らの動きが鈍くなっていく。


「終わった?」とダムが息を切らしながら問いかけたが、ディーはその場で槍を構えたまま警戒を緩めなかった。


「いいえ、ダム。まだよ」


 爆心地から立ち上る霧の中に、一際巨大な影が立ち上がった。


 第三部隊の隊長――ただ一人そこに立つ屈強な慟哭鬼。『剛腕なるベドウィル』がそこにいた。


 かつて英雄と呼ばれたその存在は、鎧の一部と片腕を失いながらも立ち上がっていた。

 全身から溢れ出る瘴気がさらに濃密になり、まるで森そのものが応えるかのように闇が揺れる。


「倒れぬ、けして。我が使命を果たすまで」


 『剛腕なるベドウィル』は残った腕に巨大な魔槌を握りしめ、荒々しい呼吸音を響かせながらリューファスたちを見据えた。

 かつての面影は欠片もなく、唯一残るのは不屈の意志だけだ。


「ここで倒れては、顔向けが出来ぬ。王を救えずして、何が騎士かっ!」


 それは王を護れずに失い、取り戻すための使命すらも果たせずに倒れた。そんな不甲斐ない自分に対するマグマのように滾る憎悪による絶叫だった。


 リューファスは、その言葉に一瞬だけ目を閉じた。そして、静かに剣を掲げる。


「余はそなたを見損なった覚えはない、己を責めるな。 ……融通の利かぬ男よ、新たな世で栄達を目指せばよかったものを」


 慟哭鬼『剛腕なるベドウィル』は応えるように咆哮を上げる。

 森全体を揺るがし、周囲の木々をさらに闇に染め上げた。


 圧倒的な気迫に、リューファスの仲間たちも一瞬身構えたが、彼は振り返らずに前進する。


「余に課せられた責務は一つ。騎士団長よ、そなたの無念を晴らす」


 『剛腕なるベドウィル』もまた、巨大な魔槌を振り上げて迎え撃った。

 衝撃で森は大きく揺れ、一瞬、空間そのものがひび割れるような異音が響く。


 リューファスの剣と『剛腕なるベドウィル』の魔槌が激突し、双方の魔力がぶつかり合う。

 その光景はまるで二つの星が衝突するかのようだった。


 後方で援護に回るメッツァは、手の中の宝珠を再び輝かせながら叫ぶ。


「リューファス一人で迎え撃つのは危険だ! このままでは力の差で押される!」


 双子姉妹が槍を構えながら前に出ようとする。


「ならわたしたちも加勢する! こいつを放っておいたら森ごと持っていかれる!」

「そうね、ダム。でも、犠牲は最低限に」


 マフェットは聖女リリーを抱き上げて、比較的安全そうな大木の影へ飛んだ。

 「あの規模の戦いだとちょっとね。 まあ、仕事はさせてもらうけど」と冷ややかに状況を観察した。


 仲間たちの動きが再び戦場に混ざる中、リューファスは『剛腕なるベドウィル』との激突の中で一瞬だけ微笑んだ。

 それは決して敵意から来るものではなく、かつての忠実な部下たちへの深い敬意。


「そなたたちがどれほど強くとも、余の意志を試そうとするなら――」


 リューファスの剣が眩い光を放ち始める。

 その光は黒龍の呪詛をも押し返すほどの清浄な力を帯びていた。


「――この王としての剣で、全てを終わらせるのみだ!」


 例え、既に国が無く、民は無く。

 すべてが歴史の彼方に消えていたとしても、そなたの前では、余はなお王である。


 そう心に決めた時、人造魔剣が光りが一層強まり、その暖かさがリューファスを迎え入れた。


「なんだ、セレスティン。 ……そこにいたのか」


 リューファスの剣から放たれる光は、セレスティンの加護を帯びていた。


 それは600年前、黒龍との決戦の際に彼の命を救った聖剣の残光。

 人造魔剣に宿った、我が片翼の想いが今、再び力となってこの手にある。


「ならば、負ける気がしない」


 リューファスは、己の勝利を確信した。


 『剛腕なるベドウィル』の魔槌が振り下ろされる。


 その一撃には、生前の彼が持っていた全ての力が込められていた。

 大地が砕け、瘴気の渦が巻き上がる。だが、リューファスは動じない。


「最期まで強くあった我が騎士よ。そなたの忠義、余は忘れぬ」


 王の剣が輝きを増す。それは単なる魔力の放出ではない。600年の時を超えて受け継がれた、王としての覚悟と、臣下への感謝が具現化した光芒。

 セレスティンの加護を得た一撃は、『剛腕なるベドウィル』の魔槌を真っ二つに割り、その巨体を貫く。


「陛下……これで、私も……」


 『剛腕なるベドウィル』の最後の言葉には、もはや呪いの痕跡はなかった。


 その瞳に浮かぶ安堵の色を見届けながら、リューファスは静かに目を閉じる。

 瘴気が晴れゆく中、かつての部隊長の魂は、ようやく安らかな眠りにつくことができた。

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