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第19話 角の生えた毒獅子

「まぁ、いいじゃない? ここにいるのは他人同士。何人か死んだところで、大した問題にはならないわ。だから、少しは合理的になりなさいよ。最善を尽くす責任なんて、最初からあなたにはないんだから」


 周りに聞こえない程度の声で、マフェットがそう言った。


「キミだって、クロト女王陛下の命令で来ているんでしょ?」

「あは、そんなの、義理はあるけど命を賭けるほどでもないわ。ああ、でも、あれだったか、魔術師は家のために命を賭けるんだっけ」

「……そんなわけないじゃん。僕は僕だ、何の義務があるもんか」


 メッツァは絞り出すような声で言った。

そして、再び魔力を編もうとして不意に吐き気を覚えた。


(ダメだな、さっきから集中できていない)


 メッツァは力なく首を振って脱力しかける。すると、肩で支えていたマフェットが何気なく口を開いた。


「救えないわね」


 メッツァはその一言で思わず顔を上げた。


「家の人から何を言われたの? 戦闘魔術師でもないくせに、あれだけのことが出来てるんだから、よほど優秀なんでしょう。いったいどんな扱いを受けてるんだか」

「きみに僕の何がわかる」

「あたし、それなりに生きてるもの。……当主候補ではないんでしょ、あまり記憶が継承されてる感じがしないもの」


 魔術師の名家は、代々の記憶を子供たちに引き継がせる儀式を行う。ただし、手間やコストの面から全員に漏れなく施すものではなかった。

 確かに、完璧に継承されていれば、こんな醜態を晒すこともなかっただろう。


「……うちは女系血族だから、僕の記憶継承は一部だけなんだ」

「つまり、スペアなのね、あなた」


 メッツァは答えなかった。それが答えだった。


「ふうん? 思うところはあるんだ? まあ、とりあえず、もう少し歩いて安全な場所まで移動しましょうよ。それから……」


「安全な場所?」とメッツァは眉をひそめる。


「そんなもの、この先にあると思う? こんな呪詛で汚染された森で」

「見てみないと分からないわ。ああ、甘いものでも持ってくればよかった。効くらしいじゃない、こういう症状には」


 なぜ、アラクネのこの女がここまで親切にしてくれるか、メッツァには理解が出来なかった。

 少なくとも、人間の価値観で言う善意とは、違う理由であると言うことだけは確信している。化け物は化け物の論理で生きている、それが常識だ。


 そこで悲鳴が響いた。一行のものではない、別の誰かの声だ。


 リューファスは、即座に跳んだ。悲鳴の聞こえた方向に向かって、木々の合間を抜けて駆け回る。


 その先に、震え萎縮する一人の姿があった。

 小柄で華奢な娘。ただし、長い耳とふわふわとした白い毛が身を覆い、大きな瞳と薄桃色の小さな鼻を持つ。革の軽装と短いスカート、背中の小さなリュックと腰の短剣を備えていた。


 思わず、リューファスは侮蔑的に舌打ちする。


兎人 ホップキン か」


 リューファスにとって、兎人はかつて殺し合った種族だ。配下の騎士を倒されたことも一度や二度ではない。


 過去の因縁を思い出し、内心不快感を隠せない。

 だが、武人としての矜持がリューファスを突き動かす。駆け付けた以上、目の前で犠牲になるのを見過ごすのは誇りに関わることだ。


 兎人の娘は金縛りにあったかのように、身動きが取れなくなっており、茂みへと驚愕に目を向けていた。リューファスも視線の先を追った。


 闇から響く唸り声。

 次いで、地獄の焔のように燃え盛る一対の赤い瞳が出現した。邪悪な知性と冷酷さが、その視線から滲み出ていた。


 魔獣と兎人の割り込むように着地すると、流れるように、リューファスは正眼に剣を構えて対峙した。


 闇の中から現れたのは、強靭な体格を持つ魔獣だった。


 四肢に鋭い爪、額からは捩じれた角が一本。たてがみを有し、全身の灰色の毛並みには、黒い斑点が浮かび上がっている。

 鋭い牙は毒のような液体が滴り落ちる。長い尾は蛇のようにうねり、先端に鋭い棘を孕んでいた。


「キマイラの類か?」


 呼ぶべき魔獣。呪詛汚染によって、異形化した野生動物だったのかもしれないが、正体については今は重要ではない。


 獣はリューファスを見据え、精神を削ぐ呪詛の波動を含んだ唸り声を上げた。


「魔獣狩りなら得意だ、失せろ!」


 リューファスは叫び、一角の魔獣に向かって突進した。

 地面を蹴り、音もなく加速する。青白い剣が虚空を裂き、獣の胴体に閃光のように斬りかかる。


 獣は牙で反撃するが、リューファスは鋭い身のこなしで躱した。


 追撃するように魔獣は、術式を発動。体内で毒を合成すると、それを矢弾として放つ。


(兎人の娘に当てぬように、射線を切らねばならんか)


 下手な移動をすると、獣からの攻撃に巻き込みかねない。


 リューファスは位置を微調整しながら、剣でそれを弾き返し、怪物の爪をかわしながら攻撃を続けた。自身に惹きつけるように、ダメージを与えていく。


 一角の魔獣の咆哮が、呪詛の波動となってリューファスを包み込もうとしたが、彼は強い意志でそれに抵抗した。


「それしきの呪いが、今さら通用するかっ!」


 リューファスの叫びが響く中、青白い光が剣に宿しながら、さらに強烈な一撃が繰り出す。

 その光は闇を切り裂き、一角の魔獣の肩から胴へと深々と刻まれる。黒い血液が弧を描きながら飛び散り、地面に落ちるたびに煙を上げた。


 魔獣は痛みに咆哮し、棘のある尾を振り上げてリューファスを叩き潰そうとする。

 だが、リューファスはその動きを見切り、軽やかに横へと跳んだ。その直後、尾が地面に叩きつけられ、土煙が舞い上がる。


「まだだ……!」


 リューファスは気を緩めることなく、素早く距離を詰める。彼の目は魔獣の動きを追い続け、その刹那の隙を逃さない。


 だが、手ごたえが妙だった。

 貸し与えられた人造魔剣が、度重なる戦いに悲鳴を上げていたのだ。そもそも魔獣との戦いを前提にする武器ですらない以上、それは当然の結果だった。

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