やがて食事が進み、ウィスキーのボトルが空になりかける頃、兎人たちが古い楽器を持ち出して軽やかな音楽を奏で始めた。
子どもたちが耳を揺らしながら踊り、大人たちは静かに杯を傾けながら笑い合う。
「まるで違う世界に迷い込んだみたいだな」
ウィスキーの余韻を感じながら、メッツァがぽつりと言う。
ダムが静かに頷いて、言葉を返す。
「魔術師のあなたも、そういうことは思うのね。どう? まだ帰りたい?」
「もちろん。僕は兵士でも、英雄でもないから」
「そう。わたしたちも、最後まで付き合うなんて約束はしない」
ディーは酔いつぶれたのか、ダムに寄りかかっていた。
愛おしそうに妹の肩を抱いて、頭を撫でるダム。
「前は、なにか使命を果たさないといけないと、わたし達は感じてた。でも、今は、ディーと一緒に何かを見たり、触れたり、考えたり。そういう時間を続けられることの方が大事」
「それ、なに。僕にどうしろって?」
「別に。皮肉とか、そういうのじゃないよ」
感情的になりかけた自分に気付いて、メッツァはため息をついた。
共和国大学で研究生をしていた時の方が、良い働きが出来ていたと思う。
周りとも上手くやれてたし、将来への筋道もきちんと築き上げていた。
確かに、家の意向は気にしなければならなかったし、今もそれは変わらないにしても、それが不幸だと思ったことはない。
「あらぁ、暗い顔してるわね、研究者さん。 楽しめるときに楽しむのが兎人の流儀よ」
いつの間にか、紛れ込んでいたアラクネのマフェットがふわりとドレスの裾を直しながら、背後の席に腰掛けていた。
マフェットは杯を掲げて微笑む。
結界で隠蔽されているはずなのに、どうやって里に紛れ込んだのかは疑問だが、本人に方法を確認することもないか、とメッツァは割り切った。
「今到着したの? 遅かったね」
「ええ、これを織っていたからね。一角の魔獣を喰らい、あたしの肚で溶かして糸にしたのよ」
マフェットの細い指先が、彼女の膝に置かれた布地を撫でた。その織物は漆黒の光沢を持ち、見る者の目を捉えるような妖艶さを放っている。
まるで、夜そのものを織り上げたかのようだ。
「肚で溶かして織るって……」
メッツァは困惑を隠せない。
「ふふ、魔獣から紡いだ糸には、そいつの性質が宿るの。これは防御にも、攻撃にも使える優れものよ。まあ、作るのは手間だけど。綺麗でしょ」
マフェットは杯を口に運び、楽しげに目を細める。
その話に、リューファスが微かに反応を示した。鋭い銀眼が織物をじっと見つめる。
「それは……『魔布』か?」
「おや、さすがは古の知識を持つ方。 触れればわかるでしょう?」
リューファスは立ち上がり、マフェットの前まで歩み寄ると、慎重に布に触れた。指先がわずかに震えたのをメッツァは見逃さない。
「やはり、間違いない。かつて王国でも、重宝された」
「今もそうよ。たまにあたしの中には、人間に『魔布』を売りさばくものがいるわ。まあ、原材料が魔獣とは限らないのだけれど」
マフェットは小さく笑いながら、布をそっと畳み、脇に置いた。動作には妙な優雅さと艶めかしさがあり、一行の中には無意識に息を呑む者もいた。
「それにしても、あなたたち……」
マフェットの視線が一行を順に追った。琥珀の瞳には、何かを見透かすような圧が宿っている。
「なぜ、そんなに重いものを背負おうとするのかしら。命がけで戦った先に、本当に報われる保証なんてないでしょう?」
マフェットの言葉には、からかうような響きがありながらも、奥には微かな憂いが見え隠れしている。
「余に問うているのであれば、答えは決まっている」
リューファスがぽつりと答える。
「それを為さねば、余が余でいられないからだ。余が余でいるために、貫くのだ」
「英雄様は言うことが違うわね」
マフェットが肩をすくめると、子どもたちの笑い声が再び場を和ませた。楽器の音色がひときわ高まり、宴はさらに賑やかさを増していく。
その中で、メッツァはわずかに視線を落としながら、マフェットの言葉に対する返答を探しているようだった。自分の心の中に、はっきりと形に出来る答えがなかった。
しかし、次に彼が言葉を発する前に、マフェットが先に口を開いた。
「まあ、いいわ。研究者さん、この宴を楽しみなさいな」
そう口にして立ち上がると、メッツァに魔布を羽織らせる。包まれる安心感、心強く思う確かさがそこにあった。
「え、なんで?」
「あなたがとっても美味しそうだから」
言い残すと、マフェットは軽やかな足取りで音楽の中心へと向かっていった。背中を見送る誰もが、奇妙な余韻を胸に残しながら、再び目の前の料理と杯に意識を戻した。
メッツァは魔布ごと己を抱きしめるように、腕を寄せた。彼女の言動には疑問が多いが、今はそれに言葉を返す気分にはなかった。