目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第29話 結末を受け入れろ

「この地は、我らのもの。ベスタルこそが半島の中心にして、真の支配者ッ!」


 死の統率者デスロードの影から、黒犬が召喚されて噛みつこうと迫る。


 妄執的な統率者の叫びとともに、黒犬の影が宙を裂き、足元に迫るもマフェットは微動だにしない。

背中の蜘蛛の足が音を立てて一閃、闇の犬を寸前で切り裂き、霧散させた。


「真の支配者、ですって? そのわりには随分と薄っぺらい脅威ね」


 マフェットの声には冷笑が混じり、余裕すら漂う。次々に召喚される黒犬が殺到するが、焦りは見えない。


 早く統率者を殺さねば、森中から死者の群れが集うだろう。

 さすがに包囲されれば、敗北どころか逃げる事すらおぼつかない。邪悪なる軍勢ワイルドハントを率いると言う権能は、飾りではないのだから。


「あたしが指揮官であるあなたを止めれば、勝ちが決まるわ」


 それでも、あくまでマフェットは時間稼ぎに徹した。


 そんな騒々しい戦場の中で、静立していたリリーが動き出した。

 契約上は蘇生のみが任務にあたるが、怠惰は美徳ではない。戦場が安定すれば、蘇生も不要だろう。


「正しきことに奉仕する機会を与えます。死者よ、償いなさい」


 呟くと、リリーの経典から暗い光が放たれる。

 それは練り上げられると倒れた骸に、幾重にも差し込むように突き刺さる。内部から都合の良いように筋肉や神経を繋ぎなおし、ひとつ、またひとつと立ち上がらせた。


 道具のように操られた死者たちは新たな敵の背後を奇襲し、混乱を生み出す。『死体調律』と『屍兵操術』の術式だ。

 アルテナ教の宗教観においては、異教徒や怪物の死体を行使し、過ちを償わせる行為は神聖な業として肯定された。


 次々と統率者が率いる獣が足止めされ、とうとう統率者自身も屍兵たちに身体を掴まれる。


「ぐぅっ!?異教の外道術めがっ!」

「ふうん、ダンスパートナーから目を離すなんて、本当に礼儀がなってないわね。あなた」


 マフェットの放った糸が死の統率者デスロードの背後から迫り、巨体を捕らえる。


 糸が絡みついた瞬間、死の統率者デスロードは全身を震わせ、暴れようとする。

 だが、その巨体を縛るには十分すぎる強度を持ったアラクネの糸に抗う術はなく、そのまま地に膝をついた。


「これでチェックメイト。それともまだ踊り足りないかしら?」


 マフェットの声は軽やかだったが、鋭い眼差しは敵を一瞬たりとも見逃さない。


 もがくが強烈な粘度も特性として併せ持つ糸は、死の統率者デスロードであってすら、引きちぎることすら敵わない。


 瞬間、地面に衝撃音が響いた。


 リューファスが後方から疾駆し、巨躯を捕らえた糸の傍で急停止したのだ。彼の顔にはどこか哀れみが浮かんでいた。


 死の統率者デスロードは、リューファスに向けて憎々しげな視線を放つ。

 フードの奥の眼光はまだ死を拒絶し、もがきながらも曲刀を握ろうとする。


「王、め。全てはキサマが、キサマさえ」

「結末を受け入れろ、全ては終わったのだ」


 リューファスは剣を高く振り下ろす。


 タリアエルバが放つ閃光は、夜空に消えゆく流星のように美しかった。

 そして、剣閃は死の統率者デスロードの曲刀を砕き、胸甲を深く切り裂いた。


 死の統率者デスロードは口から血混じりの言葉を漏らす。


「我らの……理想ベスタルは……滅びぬ……」


 灰色の肉体は徐々に影となって崩れ落ち、霧のように消え去っていった。一瞬、静寂が訪れる。


 戦場に残されたのは、疲労と達成感に満ちた冒険者たちだった。


 周囲の邪悪なる軍勢ワイルドハントたちも、次々に姿を消していく。滅することが出来たわけではないが、暫くは襲ってくることはないだろう。


 リューファスはタリアエルバを背中に納め、息を切らすことなく仲間を見渡す。


「全員無事か、いい運動だったな」


 マフェットが静かに近づき、糸の端を手で弄びながら答えた。


「ええ、誰一人欠けることなく終われたようね」


 双子姉妹のダムとディーは互いに肩を叩き合いながら、戦いの余韻に浸り、聖女リリーは無感動に残骸を観察している。


 本当に死体にしか興味のない女だな、とメッツァは呆れた。


 「聖女とは皮肉の類か」と思わず口にするところだったが、わざわざ喧嘩になるようなことを言う必要もない、と留まる。


「『聖なる火の神殿』か。この先は、試練が待ってるの?」


 メッツァは虚数演算宝珠を手に冷静に魔力を収束し、問いかけた。

 リューファスは、どうでもいいと言わんばかりに歩き出すと神殿へと足を踏み入れていく。


「当時の機能が残っているのならそうなのではないか。いかんせん、600年前のことだしな」


 当然のように、兎人の娘マルシャは後を追う。最後までついてくるつもりらしい。


「案内の役目は終わったと思うが?」

「……探している人が、この先にいるかもしれませんので」

「フン、好きにしろ」


 内部に足を踏み入れると、真っ先に燻んだ空気を感じた。そこに鉄と灰の匂いが混じる。


 神殿の中央に続く回廊は、壮麗さを今なお伝えていた。


 両側には石造りの柱が連なり、一本一本に火焔をかたどった彫刻が施されている。とは言え、彫刻も所々崩れ落ちている。


 床には割れた石板が散らばり、古代文字の断片が刻まれている。マフェットは蜘蛛の足で石板を軽く弾き、鼻で笑った。


「あら、火傷するほど崇めてたくせに、こんな惨状なのね」

「こら、マフェット。その、そういうことはしてはダメよ」

「別にいいじゃない。こんな残骸、一銭にもならないわよ」


 ダムが口頭で注意するが、マフェットは真面目に取り合う気はないらしい。


 リューファスは感情を表に出すことなく歩いていく。600年前に訪れた思い出なども口にすることもないまま。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?