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第30話 砂時計の間

 柱の先に広がる大広間には、かつての名残がある。


 天井の高みから吊り下げられた燭台の残骸が揺れている。

 中央には火を囲むための円形の祭壇が鎮座しており、その表面には薄くひびが走り、焦げた跡が無数に刻まれていた。

 かつてここで神聖な儀式が行われたのは間違いないだろう。


 祭壇の背後にはさらに巨大な壁画が描かれていた。


 「フレスコ画だ」とメッツァが呟いた。


 巫女たちの日常や儀式の場面が順を追って描かれている。

 薪を運び入れ、松明を灯し、祈りを捧げる一連の儀式や、目を引くのは、「神聖なる炎の誓い」と呼ばれる儀式を描いた場面。巫女たちが円を描き、炎を囲みながら手を合わせる姿が克明に描かれていた。


 しかし、どれも顔の部分だけが執拗に削られ、漆黒の穴を作っていた。


「本当は、僕よりここに来たかった人が……来るべきだった人がいるんだろうな」


 リューファスはようやく感情を見せて、反応した。


「どういう意味だ」

「別に。その、同期とか、専門に学んでいる教授とか。……うちの親族とか。今、僕が見ていることを価値に変えられる人が、他にいたはずなのに、って思っただけ」

「自分が相応しくないとでも?」

「相応しくない、か。まあ、そうなのかも」


 メッツァは胸元の虚数演算宝珠を握りしめた。微かにエメラルドの光が呼応する。


「まるで、臆病な赤子の毛布のようだな」

「臆病な赤子の毛布、だって?」


 馬鹿にされたような気がして、メッツァは声を荒げた。

 リューファスは一瞬だけ振り返り、笑みとも諦めともつかない表情を見せた。 


「怒るな、余にも覚えがある。自分が覚束ないように感じる時は、手元に確かさが欲しくなるものだ」


 リューファスの言葉にメッツァは微妙に顔をしかめる。だが返事をすることなく、宝珠の輝きを手で覆い隠した。


 じっくり見る暇もなく、試練の間に続く門へと到達する。重厚そうな門が、今は開かれっぱなしになっていた。


 この先に、聖杯があるはずだ。


「伝承によればライル王は、妻ヘカーティアを嫁獲りする前に、『聖なる火』の試練に挑んだと言うね。その最奥でベスタルの聖杯を得た、と」


 メッツァが挑発するように説明的に口にした。一同の目線が自然とリューファスを向く。


「ほう。随分と親近感が沸く話だな」


 しかし、リューファスはそううそぶいた。


 とぼけんなよな、とメッツァは小声で悪態をつく。それでも、リューファスと歩みに共にする態度は崩さなかった。


 とうとう、試練の間に足を踏み入れた。


 薄暗い部屋だったが、全員が入った瞬間に明るくなって、熱波が包み込んだ。灼熱の空気が肌を刺すように感じられる。

 入口は完全に閉じられ、もう引き返すことは出来ない。


「ああ。こういう不愉快な空間であったな。まだ仕掛けが動いているとは」


 リューファスは涼しい顔をしながら、周囲を見渡した。


 広間の中央には巨大な砂時計が燃え上がり、赤い炎が天井近くまで舌を伸ばしている。


 砂時計の砂は残りわずかで、音を立てながら落ち続けていた。砂時計を取り囲むように、円形に配置された石板が6枚。


 それぞれ象徴的な彫刻が施されており、それらが試練の一部として謎を投げかけているのを察する。


 天井には満点の星空が広がり、三つの輝く星が光の線で結ばれている。それは薄暗い部屋の中でも際立つ存在感を放っていた。壁には古代文明の碑文が彫られている。


 メッツァが額の汗を拭いながら、目を通す。


「どうやらここが最初の試練の場らしいわね」


 ダムが広間を一瞥しながら言った。


「時間制限があるみたい。砂時計が空になる前に解決しないと、全員焼き尽くされるのね」


 部屋には消し炭と骨の欠片が転がっていた。解けずに焼却された者らの痕跡だろう。

 レッドキャップたちが、謎も解けずに全滅した可能性も出てきた。


「答えなら、どうせリューファスが知ってるんでしょ。さっさと解いたら?」


 メッツァが静かに言い、壁に彫られた古代エルフ語の碑文に目を留めた。


 メッツァはもうリューファスの正体に確信を持っている。彼があの伝説のライル王であり、600年前に同様の試練を既に達成していることを。もはや態度に隠そうともしない。


 が、リューファスから返って来たのは、厳しい声だった。


「メッツァ。貴殿が解け」

「はぁ!?」

「この先に進むことに、呵責を感じたくないのならば、そうすべきだ。まあ、貴殿が無理だと言うのなら、余がなんとかしてやってもいいが」


 無言。静寂の中に、中央の砂時計から砂が落ちていく音だけが鳴る。

 わしゃわしゃとメッツァは自分の髪をかくようにして、気を紛らわせる。何を言ってるんだ、この人は。


「僕が失敗したら、どうするんだ?」

「ウム。その時は、一緒に死んでやろう」

「……馬鹿なの?」

「命じた者の責務だ。余は貴殿を信じる、命運も共にしよう」


 リューファスがそう言うと、ダムが「私は火葬されるのなんて、絶対ごめんだから! マジ、ムリっ!」と騒ぎ立てた。

 妹のディーは「そうね、ダム。丸焼きは趣味じゃないかも」とややマイペースに否定する。他のメンバーも本意ではないと態度に出している。


 完全にリューファスの勝手な判断だ。


 ただ、聖女リリーだけは消し炭を調べて、「温度によって違いますが、1000度なら数時間、4000度なら5〜10分で終わりですね」と聞きたくない計算をしているが、明らかに頭がおかしいので、誰も取り合わない。


「余の旅路に付いてくるのだ、この程度の謎は解け」

「勝手に決めないでくれ」


 なんて、ワガママな王様だ。本当に、これが伝説のライル王なのか?


 けれど、リューファスの無言の圧力に、メッツァは心臓が締めつけられるような居心地の悪さを感じた。

 「僕がここにいるべきじゃない」と、ずっと頭の片隅で鳴り響いていたその声が、彼の胸を刺すように響く。


 メッツァは眼鏡の鼻当てに溜まった汗を不愉快に思いながら、目を凝らすのだった。


 6枚の石板はルーン文字だ。それぞれ、太陽、月、狼、山、星、海。正しい順番の元に、ルーンを3枚選択せよ。と、出口であろう扉に古代語で書かれている。


 碑文は2種類の言語が使われている。

 1つは古代グラ語。もう1つはエルフ語、しかし、古い言い回しが使われているのでこれも難解だ。この場にいるメンバーは正直、誰も役に立たないだろう。

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