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第31話 120分の1

 太陽、月、狼、山、星、海の6種類の石板、単純計算で120通りの答え。運に任せるのはあまりにリスクが高い。


 メッツァは震える足を抑え込むように深呼吸した。


 頭の中を駆け巡るのは失敗した場合の最悪の未来図だ。それでも焦りを抑え、冷静さを装う以外に道はない。


(なぜ、ベスタルの神殿で遥か南方の『古代グラ文明』の言語が使われているのか、とか、疑問はおいておこう。明らかに広間と比べて文化様式も異質だけど、僕は言語学の専門家でも、考古学の専門家でもないし)


 部屋全体を見渡しながら、一つ一つの推理材料に注意を払う。


 リューファスの言葉には腹が立つが、今は時間が限られている。まずは焦らず、情報を整理することが先決だ。


 まず1つ目。石壁に彫られたエルフ語の碑文は、イチイの木の枝や葉で縁取られ、その細工はまるで生命が宿っているかのような緻密だ。連なる模様の中心に詩的な韻文が刻まれている。



 ~私はあなたがたを見下ろす、数百年の時を超えて~

 ~風が吹き、雲が舞う中、私の頭には雪が降り積もり、足元には川が流れる~



 2つ目。学者と弟子たちが描かれた浮彫レリーフがあった。


 学者は長い髭を蓄え、掲げた板に数式を書き込んでいる。いつの時代の話なのか、当時に現在の大学に当たるような教育機関があったのだろうか。弟子たちは教えを熱心に学んでいる。数式は次のように刻まれていた。



 y(x)=Asin(kx+ϕ)



 3つ目。もう一方の壁には、旅人の象徴が描かれた隣に古代グラ文明の文字が刻まれている。

 彫刻には、杖を持つ3人の旅人が歩む姿が浮き彫りにされており、その表情には希望と決意が見て取れる。



 我らは導きを頼りに、旅を始めた

 先に立つは数学者

 次に続くは天文学者

 最後尾は長命な薬師だった



 書かれている碑文に、ふと気付く。


「天文学者?」


 見上げると、天井には暗闇に浮かぶ星々が描かれていることを再度確認する。


 特に目立つのは三つの星だ。それらが線で結ばれた形は、狼座を示している。


 星々は微かに揺らめき、本物の夜空を模して投影されていることがうかがえる。

 現在の星座は、古代グラ文明の影響を受けているのは知識にあったので、現代の知識のまま狼座と解釈してよいのだろう。


「ああ、これもヒントか」


 かなり意地の悪い謎かけだ。

 言語、天文学、数学、薬学の知識と古典的な魔術師に必要な知識を試しながら、謎かけに対する閃きや観察力も要求してくる。

 時間制限付きで、命を賭けて挑ませるなんて、意地の悪い教授に遭遇した気分だ。いや、当時の人間にとっては、たいした内容ではないのかもしれないが。


 兎人の娘、マルシャが心配そうに顔色をうかがってきた。


「あの、解けそうですか?」


 正直、話しかけないで欲しい。時間が迫っているのはわかっているから。


「ああ、大丈夫。心配しないで」


 嘘でもそう言っておけば、落ち着いてくれるだろう。

 穏やかな声色を作るのに成功したのか、少しだけマルシャの顔が和らいだ気がした。兎人の表情がきちんとわかるわけではないが、耳や尻尾の動きが正直だ。


 一同の目線が自分に集まっているのに気付いた。


 メッツァは全身にじっとりと汗を感じながら、もう一度壁の碑文と石板、天井の星図を交互に見た。それぞれが独立しているように見えて、確実に関連性がある。


 砂時計の砂が落ちきるまで、そう時間はない。


 リューファスが「信じる」と言った言葉が頭をよぎり、彼はやむを得ず推理を声に出して整理し始めた。


「まず、この旅人の碑文を見てくれ。『我らは導きを頼りに』という言葉から始まっている。これが順番を示している可能性が高い。描かれている三人の旅人は、数学者、天文学者、そして、長命な薬師。これを石板や手がかりと対応させるべきだ」


 うんともすんとも言わないリューファス。本当に高みの見物を決め込むつもりのようだ。

 理解できない。本当に腹が立つ。メッツァはひそかに歯を食いしばる。


 メッツァは視線を刻まれた数式に移した。


「では、順番に解こう。この数学者らしき、浮彫レリーフを見て欲しい。『y(x)=Asin(kx+ϕ)』は波を表す数式だ。これは現代でも使われる数式で、明らかに海に関連している。そして、数学者が最初に立つと言っているから、最初の石板は『海』だ」


 月の石板も波に関連しそうだが、天体を示すなら暦や軌道に関する方程式が適切だ。

 波の方程式を使う理由は少ない。こういう場合は出題者の意図を考えるべきだ。

 そこまではあえて説明せず、省略した。納得さえ得られれば良いからだ。


 この場にいるほぼ全員が、数式に理解がないのか、困惑しているのでさっさと説明を終わらそう。


 次に、天井の星図を指差す。


「天文学者が続くなら、次に選ぶべきは『星』……と一見、考えたくなるが。実際に天井の星図を見てみると、描かれているのは『狼座』だ。つまり、続く石板は『狼』」


 これも性格の悪い問題だ。


 天体自体を表す石板は、星、月、太陽と多いから、天井の星図に注視していない場合は誤答するだろう。

 なにか神話や抽象的意味合いが込められているかもしれないが、専門ではないので説明はパス。


 最後に、エルフ語の碑文を読み返す。


「最後に、長命な薬師の謎を解こう。このイチイの葉や樹木で装飾された詩を見て欲しい。これは古エルフ語で描かれた詩でね。『私はあなたがたを見下ろす、数百年の時を超えて。風が吹き、雲が舞う中、私の頭には雪が降り積もり、足元には川が流れる』と書かれている。この詩自体が謎かけであり、頭に雪、足元に川。これは『山』のことを指している」

「雪が積もる山頂と山麓を流れる川、ですか。確かに、山だと思うのが自然ですね」


 声を出して相槌を打ってくれたのは、兎人の娘マルシャだった。

 こういう聴衆がいると話しやすいし、気分も楽になる。


「まあ、それが山なのは理解できるけど。なぜ、それが『長命な薬師』に当て嵌るの? 消去法とか言ったら怒るよ」


 ダムが根拠のない推測に命は賭けられないと言わんばかりに、質問して来た。 


「まず、エルフが長命種であることが一つの根拠。さらに装飾に使われているイチイに注目して欲しい。イチイは山に多い常緑針葉樹であるだけでなく、それ自体が『長寿』や『不死』の象徴だ。さらに薬学においては、様々な薬に使われる材料だ。利尿剤や降圧剤、肝臓の薬とかね。これらの要素から、エルフの碑文は『長命な薬師』に当たる謎かけと推理できる」


 イチイは毒でもあるけどね、と付け加えてから、唾を飲み込もうとして喉が乾いて失敗した。熱気で乾ききっている。

 時間は迫っている、何かを選ぶしかない。


「だから、選ぶべき石板は『海』『狼』『山』の順番だ」


 その時、リューファスが口を開いた。


「正解を確信しているか?」

「……まあ、たぶんね。少なくとも他の選択肢よりは理にかなっている。矛盾がないから」


 リューファスは短く頷き、冷静な声で言った。


「では、選べ。余は責任を共にする」

「おい、嘘だろ。違うなら、止めろよ! キミは答えを知ってるんだろ!」

「選べ」


 思わず言葉が荒くなったが、リューファスはあくまで『己の手で選べ』と石板を押すことまで念押しした。

 こうなってくると、誰も他に案が出せない以上、本当にメッツァが最後までやり遂げるしかなかった。

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