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第45話 白き血脈 - 父祖の帰還

 神殿の中心で、ジャバウォックがけりを上げる。

 鉄槌の如く、振り下ろされた巨大な尾が地面を粉砕。飛び散る破片の間を縫い、メッツァは疾走した。


「マルシャ、聞こえるか!」


 焦る心を抑え、メッツァは声を振り絞った。


 邪竜の瘴気は刻一刻と濃度を増し、今や神殿全体が命を蝕む毒の檻と化していた。

 慎重に瘴気を払い続けていた虚数演算宝珠の輝きは、徐々に弱まっていた。


(魔力を使いっぱなしなのはキツい……宝珠に魔力を充填する余裕がない)


 ようやく神殿の隅に、マルシャとハレの影を見つける。


 マルシャは、血が滲む手で結界を維持していた。小さな体で必死に耐えている様子が痛々しい。

 兄である白兎騎士ハレは、まだ身動きが取れない様子で、壁に背を預けたまま己の身体を抑えていた。


「メッツァさん、まさか助けに来てくれたんですか?」


 マルシャが驚きと安堵の入り混じった声を上げる。

 白兎騎士ハレが、息を吐いた。


「丁度良い。おい、そこの人間。この跳ねっ返りをどこかに連れていけ」

「兄さんのためにここまで来たのに、見捨てられるわけないじゃない! なんで、そんなこと言うの?」

「いい加減、殺そうとしてきた相手を兄と呼ぶのは止めろ。大人になったつもりなら、その程度の分別を付けるんだな」

「分別? 自分だけ助かることが? そんな損得勘定が大人になることなら、わたしはずっと大人じゃなくていい」


 ずっと、この場所で言い争い続けていたように見えた。

 マルシャは涙に頬を濡らしながら叫び、ハレは疲れ切った顔で自暴自棄になっていた。


(リューファスが命懸けで戦ってる間に、なにしてるんだ!)


 その様子を見たメッツァの中で、何かが切れた。

 普段は争いを避ける彼の性格が、一瞬にして覆された。


「黙って僕に従えっ。うだうだ言ってないで、生き残るために動けばいいんだっ!」


 メッツァの一喝に、二人は言葉を失う。


「……人間の小僧。まさか、それはこの私にも言っているのか?」

「アンタは、リューファスに負けたんだろ! 負けて生かされたくせに偉そうにすんな! 正々堂々、戦って負けたんだから、己の誇りにかけて与えられた結果を全うしろ!」


 思考を突き抜けるメッツァの怒りは、その場の空気さえも変えた。


 マルシャは目を丸くし、涙を拭うのも忘れたままメッツァを見上げる。

 ハレは一瞬メッツァを睨みつけたものの、やがて観念したように頷いた。


「容赦がない連中だ。……小僧、言っておくが、次は貴様を真っ二つにするかもしれんぞ」

「やれるもんならやってみろ、嫌だけど! けど、今は黙って助けられてろ!」


 ハレは険しい表情のまま目を伏せたが、それ以上何も言わなかった。


「マルシャ、結界は僕が維持するから、まずは壇上に上がって。たぶん、マフェットと協力すれば、兎人を引き上げるくらいできる」

「ありがとうございます! メッツァさん、わたし」

「お礼とかは後で良いから」


 戦局は刻々と悪化の一途を辿っていた。

 リューファスが得体のしれない力で、邪竜ジャバウォックを翻弄していたが、どんどん追い込まれていた。


 そんな緊迫した空気の中、強烈な爆音が響き渡る。邪竜ジャバウォックの身体から放たれた真っ赤な熱波に、思わず目を覆う。

 リューファスの体が壁に叩きつけられ、崩れ落ちた瓦礫の下に消えていく。


 メッツァの焦りは頂点に達した。


「早く跳べ、マルシャ! 今ならまだ間に合う!」


 メッツァの手の中で虚数演算宝珠が青白い光を放つ。

 素早く結界を展開し、瘴気を弾き飛ばす道筋を作った。


 わずかな躊躇いの後、マルシャは軽やかに壁を駆け上がり始めた。


「すぐに助けに来ますっ!」


 だがその動きは、邪竜の注意を引いてしまう。


 大きく呼吸するジャバウォックは共に、口腔内に新たな炎を溜め込み始めた。


 メッツァの解析レンズが、発生している現象を瞬時に解読。

 表示された化学式の組成を見て、すぐに察した。


「揮発性の高い燃料を合成したゲル状燃焼剤か。高温になるように金属粉まで混ぜている。うわ、めんどくさい火炎術式!普通の手段じゃ消火できないじゃないか!」


 邪竜の炎の正体は、メッツァには容易く理解できた。

 それは軍隊が敵陣を焼き払う際に、使用する焼夷型の火炎術式に近いものだった。


 しかし、その規模と威力は比較にならないほど強大で、消火の難易度は桁違いに高かった。


「瘴気を孕む焼燬しょうきの息吹だなんて、人類への殺意が強すぎる!」


 メッツァの頭に様々な対策が浮かぶ。消火剤の合成、酸素の遮断、超冷却、気流操作――しかし、虚数演算宝珠の魔力は既に底を突きかけていた。


(――あ、ダメだ。どう足掻いても、焼け死ぬ)


 メッツァは分不相応な行動だった、と悔いる。

 以前の自分なら、他人なんてどうでもよかったはずだ。

 高速で思考が出来るメッツァの脳裏には、決断の後悔や今回の冒険、家にいた頃の自分、積み重ねた人生の映像が駆け巡った。


 それでも、迫り来る炎から目をそらすことはできなかった。

 そして、その覚悟の瞬間に気づいた。


 炎を裂いて飛び込んでくる一つの影を。それは彼の英雄リューファスではなく。


「我が、父祖……っ!?」


 白兎騎士ハレの声が震えた。


 純白の毛並みは血と瘴気に染まりながらも聖なる威厳を放ち、その手に握られたヴォーパルブレードからは青白い光が放たれ、周囲の闇を切り裂いていく。


 それは、かつてのヴォーパルの英雄、燻り狂える白獣バンダースナッチだった。


「――これこそが我が輝き。邪竜ジャバウォック、それ以上の狼藉は許せぬ」


 真なるヴォーパルの英雄は、炎も瘴気をも薙ぎ払いながら、強大な邪竜の前に威風堂々と立ちはだかった。子孫の危機に、愛剣を握りしめて駆けつけたのだ。


 この白き異形を、爛々と光る眼に映した邪竜ジャバウォックは狂乱する。


 怒涛のように放たれる術式の数々を、燻り狂える白獣バンダースナッチは次々と両断していく。


 邪竜の見えない顎から放たれる攻撃すら、構築された魔法陣を切断することで無力化していった。紫の炎による反撃も、剣波によって霧散させていく。


「我が子らに背負わせた過ちを、今こそ清算する時」


 理性ある英雄のその声に、白兎騎士ハレは言葉にならない叫びを上げた。

 もはや、ハレは自分が何を言いたいのかすらわからなかった。


 その声が届く前に、燻り狂える白獣バンダースナッチは疾風の如き速さで邪竜に迫った。

 その動きは目で追えないほどの速さだった。


 ジャバウォックは再び口腔内に炎を溜め始める。しかし、今度の炎は先ほどとは質が違っていた。より次元の高い力を帯び、より濃密な瘴気が絡みついていた。


「死ぬならば、諸共だ。全てを終わりにしようぞ」


 一振り。


 青白い光が神殿全体を照らし、すべてが静止したかのような錯覚を覚えた瞬間。

 ジャバウォックの首筋から胸にかけて深い傷が刻まれ、血と瘴気が奔流のように吹き出した。

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