リューファスは茶碗をテーブルに置き、閉じていた瞼をゆっくりと開けた。先ほどの動揺は消えさり、距離を取るようにコレーを冷視している。
対照的に、メッツァはマイペースにお茶をすすり、落ち着かない様子で作業机に目をやっている。そこには書きかけの論文があった。
「この話、僕いらなくない? 作業に戻りたいんだけど」
「黙って、余の隣で聞いていろ。茶の味もわからん癖に」
「うっさいな、お茶はお茶でしょ」
コレーは微笑みを深めた。
「仲がよろしいですのね。でも、メッツァくん、きみも無関係ではいられないのよ? どなたか、あれを」
従者たちが無言で控える中、コレーは優雅な仕草で片手を上げた。
合図を受けた従者の一人が、小さな箱を運んでくる。細かな装飾が施された、古めかしい黒檀の箱。その蓋が開かれた瞬間、リューファスの瞳は、その煌めきの正体を捉えた。
「まさか……我が剣、『セレスティンの欠片』か?」
納められていたのは、間違いなく彼がかつて振るっていた聖剣セレスティンの破片だった。星々の光を閉じ込めたかのような、青白い煌めきを放つその欠片。
ヘカーティアを討った際に用いた、水晶剣とは明らかに質が違う。聖なる火で再構成された混ざり物ではなく、より純粋な、原初のセレスティンの面影を有していた。
「ええ、その通りですわ」
コレーは満足げに微笑むと、傍らの黒犬に視線を送った。犬は静かに尾を振って答える。
「ヘカーティア様が、あなた様にお返しするために……いえ、ベスタル家が、この日のために守り続けてきたものです」
「……なぜ、今になってこれを?」
「そう、ですね。ヘカーティア様に『望まれた通りの蘇生』が確認されたから、でしょうか」
「妙な、言い回しをする」
リューファスは、コレーの言葉を静かに反芻した。
それは即ち、ヘカーティアがこの結末を予見しつつも、かつ『望まれない蘇生』を為す可能性があったとも解釈できる。胸中に複雑な感情が渦巻いたが、それを飲み下した。
ゆっくりと手を伸ばし、箱の中の欠片に触れた。
冷たく、しかしどこか懐かしい感触が指先を伝わる。星の光を閉じ込めた結晶は、瞳に映り込み、過去を映し出す鏡のように働き始めた。
「これは……余の一部だ」
失われた魂の断片が、蘇ってくる。
かつてこの剣を振るい、数多の戦場を駆け抜けた記憶。民を守り、国を導いた記憶。そして、ヘカーティアと出会い、共に過ごした日々。
欠片は光を放ち、リューファスの身体に溶け込んでいった。
「……戻りましたね」
「なんだ、これは。いや、水晶剣となったセレスティンからも似た感覚を感じたが」
「それは、今やセレスティンの欠片は、あなた様の魂を内包しているからです」
コレーは説明を続ける。
黒龍に倒れたリューファスの魂を、聖剣セレスティンがその刀身の封じ守ったこと。王の専属術士アルテナが、その封印を強固なものにし、王の肉体を石化させたこと、だ。
「あなた様の死後、聖剣セレスティンは『
「余の蘇生を、完全に断たんとする一派がいたのだな」
「ええ。欠片は奪い合いとなり……ベスタル家が保有したのは、僅か。聖なる火で復元したのは、その一片に過ぎません」
リューファスの魂を封じた欠片が、半島のどこかにまだある。それならば、己の力が不完全であることの説明もつく。
「……貴様らは、何を望む?」
「あなた様の完全なる復活を、そして願わくば」
コレーは、窓の外を見つめた。
ミルケ川の流れは、相変わらずゆったりとしており、朝の陽光を反射してきらきらと輝いている。
「この新しき時代を、王として導いていただきたい。その隣にはわたくし達を」
そのために共和国という器を用意した、とコレーは暗に告げた。どんな形であれ、ベスタル家は玉座を用意する。
あまりの提案に、リューファスは失笑を禁じ得なかった。
「断る」
「まさか即答とは。……理由をお聞かせ願えますか?」
「愚問、余を用意された椅子に座るだけの男と見るか。さすがに不快だ」
ただ、声に自負があった。己の王は己自身であると言う誇りが。
「余は己の目で、世界を見る。己の足で、地を踏みしめる。そして、己の剣で道を切り拓く。かつて、余が王になったのは、自身がそれを選んだからであるッ!」
それは、王としての責務を放棄する言葉ではなかった。
誰かに与えられた役割を演じるのではなく、己の意志と力で世界と向き合っていくという、力強い宣言だった。
コレーは、リューファスの言葉を静かに聞いている。
その表情は変わらないが、瞳の奥に、僅かな変化が見えた気がした。
「ああ、本当に……どうしようもないくらい傲慢な御方」
コレーは小さく微笑んだ。どこか諦めにも似た、それでいて安堵のような色が混じっていた。
「傲慢、か。ならば、この傲慢さを貫き、この時代を生き抜いてみせよう」
「……承知いたしました。陛下のご意思、しかと承りました」
しかし、と続ける。
「せめて、聖杯はこちらにお引渡し願いたいですわ。そこの無関係を決め込んでいる、メッツァくんが封じたままなのでしょう?」
リューファスは眉をひそめ、メッツァを一瞥した。
「違う、僕は何も漏らしてない! えっ、これ、まさか僕がどっちに付くのかの確認されてる? 確かにベスタルの聖杯なら、僕の虚数演算宝珠の中にある。 ……聖杯を封印するには、時間の流れが不安定な空間に置くのが一番なんだ」
「あらまあ。どうやら、かなり正確に聖杯の特性を分析しているようですね」
「ああ。まあ、ね。聖杯は思考してる。こいつ自体が独立演算して、周囲の確率に干渉までしてるね。推測だけど何かの人格を複製か、移植した媒体と見た」
メッツァが当然のように分析結果を口にすると、コレーはあからさまに苛立った様子を見せた。触れてはならぬことに、触れたのだ。
「撤回します、わたくしは人選を見誤った。当主として命じます、今すぐこちらに引き渡せ」
「メッツァ、わかっているな。余に付け、聖杯を渡すな」
ベスタル家の手勢が一斉に殺気立った。
板挟みになったメッツァは、内心で盛大にため息をつく。
(まったく、この状況は何だ。僕はただの研究生だぞ)
コレーの冷たい眼差しと、リューファスの射抜くような視線が、メッツァに集中する。
どちらも一歩も引かない、いや、引けない状況なのは明らかだった。メッツァは、綱渡りをしている状態で、両端から猛獣に睨まれているような気分になった。