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第55話 巻き込まれの天才、論理穿つ

 リューファスの武力は確かに圧倒的だが、このコレーの手勢も只者ではない。何より、背後に控えるコレー本人が、不気味な重圧を放っていた。

 乾いた唾を飲み込んだ。メッツァの頭の中で、幾つもの可能性が演算され、そして無慈悲に却下されていく。


 メッツァは心中で毒づいた。


(これ、リューファスは無事でも、どう足掻いても僕が死ぬだろ)


 こうなればメッツァの至上命題は、自分が生き残ることだ。どんな手を使ったとしても。


 思考を巡らせる隣で、リューファスが立ち上がり、確かな威圧を放ちながら、コレーを見据えていた。

 手のひらに、水晶剣セレスティンを顕現させる。


「余が言っている意味が、分からぬか? 今やメッツァは余の相棒だ。そなたの命令に従う必要はない」

「あらあら、それは困りましたわ。わたくしとしたことが、少々言葉が過ぎたようですわね。ですが、これはお願いなのです。いえ、お願いというより……」


 コレーは言葉を切り、小柄な体をゆっくりと持ち上げた。見掛けの愛らしさとは相いれない、凍てつくような怒気。底知れない深淵がこちらを覗き込み始めた。

 傍らの黒犬が、低い唸り声を上げる。


「これは、共和国の支配者としての判断なのですよ。ご配慮いただけますか?」

「さて、手勢がどれほどここで死ぬかな」

「おお、ベスタル家の人的消耗を気にしていただけるのですか、これは慈悲深い。……フリアエ、見せて差し上げなさい」


 黒装束の女が、ゆっくりと顔を隠すベールを払う。その下から現れたのは、既視感のある顔立ちだった。


「え……ダム?」


 思わず、間抜けな声を出したのはメッツァだった。

 ダムと呼ばれた女は、微動だにしない。いや、正確にはダムに酷似した女、と言うべきだろう。髪の色、瞳の色、顔の輪郭、どれをとってもダムと瓜二つなのだが、纏う雰囲気が決定的に違っていた。


 対になるように控えていたもう一人の黒装束の女も、同じようにベールを払った。そこに現れたのは、やはりディーと寸分違わぬ容姿の女だった。しかし、その表情は人形のように無機質だ。


「いや、まさか……」


 メッツァは混乱していた。トゥイードル冒険者の双子姉妹が、なぜこのような場所に。しかもベスタル家の従者として控えているのか、理解が及ばない。


「どうかしら、驚いた? メッツァくん」


 コレーは無邪気にクスクスと笑う。


「この娘たちは『エンプーサ』。ヘカーティア様とその血縁のディアーナ様、優れた巫女の細胞を元に呪力を織り交ぜて創った存在です。まさか、失踪した旧型が冒険者になっていたとは……笑えますよね」


 コレーの言葉に、リューファスの眉間の皺がさらに深くなった。


「ほう、人間を複製し魔物化するような禁忌の術を……」

「あら、禁忌? どのような基準でそう判断するのかしら? わたくしどもにとっては、必要な手段に過ぎません。素体となったのは、わたくしたちヘカーティアですよ?」

「戯言を。そなたはヘカーティアではない、ただの小生意気な娘だ」


 リューファスの喉の奥から絞り出された声は、恐ろしく低く響く。

 どこか寂しげな仕草で、コレーは小さくため息をついた。


「理想論で国を潰した方は、おっしゃることが違いますわね。……結局、国を守るためには、魔術師と言う寄る辺は必要だったのです」


 コレーの言葉が終わるか否かのうちに、黒装束の一団が動き出した。

 無駄がなく、流れるようにリューファスとメッツァを取り囲む。ベールで顔を隠した女たちもまた、戦列に加わる。


 そんな緊迫した状況下で、メッツァはフフっと場違いに笑ってしまった。


(本当に、僕はただの巻き込まれ体質だな……)


 メッツァが視線を送ると、リューファスは燃え上がるように熱い決意を瞳に宿していた。間違いなく、戦う気だった。

 この男は護衛役を気取っている癖に、いつだってメッツァを危険に晒すのだ。


 とうとう、メッツァは覚悟を決める。


「一応、言うと。『ベスタルの聖杯』の正当な所有権は、完全にリューファスにあるよ」


 ピタリ、と全員の動きが止まった。

 水を差すような指摘だった。飄々とメッツァは持論を述べる。


「だって、そういうことだよね? 『聖なる火』に選ばれた者が、聖杯の所持者。この中で、他に選ばれた者がいるかい?」


 ほんの僅かに集団から、どよめきが零れる。


(ああ、やっぱりだ。ベスタル家としての正当性は行動原理の根幹。このアプローチは必ず効く)


 己自身がベスタル家に生まれ、そのために生きてきたからこそ、メッツァにはわかる。家に属する魔術師である以上、絶対に無視できない論点が存在する。

 それは、構築されたシステムに自分が違反していないか、どうかだ。


「しかし、歴史的には聖杯は、ベスタルに返還されていました」

「結納の品として、ヘカーティア様個人に、ね。それはリューファスが、聖杯を妻に預けた、という話に過ぎない」

「……ならば、わたくしは、ヘカーティア様の記憶を継承している身です」

「でも、聖杯を実際に所有していたのは、どこの誰だったかな。これが僕の手元にある以上、オリジナルはどう判断したと思う? 君達には始祖たる術師の決定を覆す権限があるの?」


 コレーの表情が歪み、周囲の黒装束たちからも、動揺が伝わってくる。メッツァの論理は、彼らにとって都合の悪い真実を突きつけていた。

 家を最重要視する魔術師は、このロジックには逆らえない。

 始祖たる術師が、つい先日まで生きていた事実は、現当主の命令権を覆す。


「……それは」


 コレーは言葉を探すように口を開いた。


「ヘカーティア様がベスタル家の者を……メッツァくんを使ったなら、そのまま持ち帰る権利があるのでは?」

「いいや。僕は、介錯のための手段道具として同席したに過ぎない。そうだろう、ベスタル家のご当主様?」


 メッツァは鼻眼鏡をくいっと上げ、さらに畳み掛ける。


「それに、だ。ヘカーティア様は未来を見通す力をお持ちだった。あなた方がここに来ることも、全て予見していたはず。だが、僕は何も命じられていない。即ち、妻の財としても、慣習上、夫のリューファスに託されたと見做すのが道理」


 もはや、反論の余地がなかった。


「僕は誰の味方でもない。ヘカーティア様の味方だよ」


 コレーの表情は、先程までの余裕を失い、僅かに蒼白くなっていた。周囲の黒装束たちも、戦意を完全に喪失している。

 家名と始祖の意思を重んじる彼らにとって、メッツァの論理は完璧に論破不可能なもの。行動原理の根幹を揺るがす、まさに急所を突く一撃だった。

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