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ヘカーティアep:嫁入り騒動(前半)

 嫁入りは決定事項だ。

 ベスタルの地で婚礼の儀を執り行い、バンスラディア王国の都へ向かい、さらに祝祭を行うという。

 ふと、他の妻にも同じように手間をかけているのだろうか、と疑問がよぎった


 準備が始まると、神殿中が慌ただしくなった。

 祭壇の掃除から儀式の装飾、巫女たちの装束に至るまで、全てが「最高の状態」へと整えられていく。それは、私も例外ではない。


 仕立てたばかりの金糸の刺繍が施された儀式服は、夜明けの光を反射してまばゆい。

 それを見たディアーナは、無邪気に手を叩いて喜んだ。


「ヘイティ、すごく似合うわ。王様もきっと驚くわ!」

「別に、王様に似合うと思われるために着るわけじゃないわ」


 冷たく返しながらも、ディアーナの明るさに僅かに救われた気がした。


 そして、ついに王が到着する日が来た

 要人を迎え入れる『祈待きたいの間』には、既にリューファス王と従者たちが揃い、その立ち居振る舞いに隙はなかった。


 部屋に入った瞬間、真っ直ぐな視線が私を捉えた。思わず息を呑む。


「ヘカーティア。久しぶりだな。……実に、美しいな」


 リューファス王は、まるで可憐な花を見つけた少年のように顔をほころばせた。

 素直な表情と鋭い眼光。その不調和が、私の警戒心をさらに高めた。


 深々と頭を下げるべき場面だが、意識的に礼を短く済ませる。


「リューファス王、わざわざ・・・・お越しいただき光栄です」


 王は少し困った顔をした。

 私の態度に、苛立ちと皮肉を察したのだろう。


「まさか、余に怒っているのか? 今回の話は不満か」

「王が何を気に入るかは重要でしょう。しかし、私の心を気にかけて下さるとは思いませんでした」

「……茶を酌み交わした時間は、互いに楽しいひと時だったと感じていたが、そなたは違ったか?」

「ご自身の思惑で物事を進めながら、なんと優しいお言葉。リューファス王は随分とご親切なのですね」


 少しでも可能な限り、凄んでやった。並の男なら、これで顔を青ざめさせている。


「親切、か。そのような評価は珍しいな」


 しかし、王は薄く微笑み、皮肉を柔らかく受け流した。


 従者たちは剣呑な空気に戸惑いを隠せない様子だったが、リューファス王は退室を命じた。

 二人きりになると、空間は一層緊張に満ちる。


「なぜ、人払いなど?」

「そなたが何を言おうとも、問題にはならぬように、だ」

「……そのようなお気遣いは、ご無用です」

「女心とは難しいものだな。余は、いかに国益に繋がるとはいえ、尊敬も好意も抱けぬ者を、身内に迎えることに耐えられぬ気質だ。好いた女に心を砕くのが、そんなにも意外か?」


 その言葉に、一瞬心が揺らぐ。が、すぐに打算的な思考を悟り反論した。


「貴方ほど、計算高い男はいないと思っていましたが」

「打算は当然ある。それが無い為政者など、頼りにならんだろう。それはそれとして、余は己の意志を貫き通す。欲しいものは必ず手に入れ、国の繁栄にも繋げてみせる」

「繁栄のため、ですって?」


 私は口元を歪め、嘲るように笑った。

 これまでの苦々しい想いのすべてを込めて。


「貴方にとって繁栄とは、支配地と臣民を増やすことだけを指すのでしょう。私たちの文化や信仰は、貴方の権力のための道具に過ぎない」

「理屈をこねるな。事前に嫁入りの話を伝えなかったから、怒っているのだろう。素直にそう言えばいい」


 無遠慮な物言いに、心の奥で何かが切れる音がした。


「そうですね! 事前に話し合う時間があれば、ここまで苛立つことはなかったでしょうね」


 だが、王の表情は崩れない。

 むしろ、その鋭利さを面白がるような目をしている。


「その直情的な物言い、嫌いではない。だが、感情だけで理屈はこね回せるものではないし、国を動かすこともできぬ。お前も、火守りの巫女としてその道理は理解しているはずだ」


 リューファス王は軽く肩を竦めた。


「感情が不要と仰るのなら、なぜ私を娶る必要があるのですか。盟約のためだけなら、もっと適任はいたでしょう」

「不要とは言っていない。まさか、もっと従順な女を選べと?」


 今まで冷静だった王の声に、苛立ちが滲んだ。


「余が欲しいのは、ただの象徴ではない。そなたほどベスタルの現状を憎む巫女はいないだろう。他者に容易く恭順しない強靭さ、聡明さ、そして内に秘めた激情、それら全てが余には必要だと感じたのだ」


 王の言葉に、思わず言葉を失った。

 強さや聡明さへの評価が、単なる挑発なのか、それとも純粋な賞賛なのか、真意を測りかねた。


「貴方が私をどう評価しようと、私は駒ではありません」

「理屈をこねるな、と言っているだろうに」


 王の声に、さらに苛立ちが混じっていく。


「いずれは、そなたに東の地ベスタルとその周辺地域の自治権を委ねようと考えている。東の地を治めるのは、そなた、そしていずれ生まれるそなたの子らだ」

「……私が?」

「ああ、そなたに任せよう。もし、ベスタルの文化や神聖性を重要視し、巫女たちを飼い殺しにしたいなら、そうするがいい。流石にそのような愚策を目の当たりにすれば、見込み違いだったと落胆はするだろう。それでも約束を違えるつもりはない。どうせ隅々まで集権しきるには、数世代はかかる」


 リューファス王の語る計画が、私の胸中で渦巻いていた怒りと困惑を掻き乱した。

 東の地を私に委ねるという言葉の重みが、じわじわと心の奥底に沈殿していく。


 視線を真正面から受け止める王の瞳には、一片の揺るぎもなかった。


「もし、貴方が本気で言っているのなら――」


 私は静かに言葉を紡いだ。声が震えるのを必死に抑えながら。


「ベスタルの地を私に委ね、その統治を認めると言う約束は、必ずや果たされると保証して頂けるのでしょうか」


 すると王は、露骨にうんざりとした表情をこちらに向けた。


「保証だと? 疑うなら、巫女の力で未来を視ればいい。で、何だ。危険も苦難も一切引き受けずに、全てを手に入れる保証が欲しいとでも言うのか」


 王の声が徐々に熱を帯びていく。その肩が微かに打ち震えていた。


「ああ、見込んだ女に婚姻を申し込んで、何故こうもつまらぬ問答を延々と続けねばならん。そなたの才覚も人となりも、気に入ったからこそ欲した。後は、そなたの覚悟と気持ち次第だろう! 己の腹の内も明かさぬくせに、他人に誠意を示せと求めるなッ! 保証が無ければ何も決断できず、不満を口にせずにはいられないと言うのかッ!」


 轟音と共に、石壁に亀裂が走った。リューファス王が、拳を渾身の力で叩きつけたのだ


「もう良い。そこまで嫌がるのならば、なかったことにしてやる」


 溜息を吐いたリューファス王には、失望の色があった。


「余が見初めた女が、つまらぬ女だったというだけの話だ。ベスタルの檻が気に入っているなら、死ぬまでそこで暮らせ。もっと気概のある女を探すことにする」


 その場に立ち尽くし、私は暫く声を発することができなかった。

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