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第7話 僕はデザートが食べたい

 しかし、そこでリューファスは剣呑な目つきで、鼻腔を微かに動かし、漂う敵意を嗅ぎ取るように小さく息を吸い込んだ。


「――フム、騒がしい連中が来たようだ。我らが食事を終えるまで待てばよいものを」


 酒場の外から、聞こえた怒鳴り声。不快な響き。


「ジジイ、金髪! テメェら、ただじゃおかねえぞ、コラァ! さっさと出てきやがれっ!」


 賑やかな宴のざわめきが、不意にピタリと止まった。

 楽しげに料理を頬張っていたサンチョの手が止まり、エールを飲もうとしていた老騎士キホーテのジョッキが傾いだまま静止する。


「はあ。もういっそ待たせておけば?」


 メッツァは、げんなりしながら言った。

 腰を落ち着ける時間があまりにも短すぎる、まだデザートのベリーの砂糖漬けにチーズ添えも注文していないのだ。彼の心は、食事の中断に対する不満でいっぱいだった。


 なのに、むしろ乗り気なキホーテは、すでに立ち上がっていた。甲冑の表面を誇らしげに払うと共に、肩をコキコキと鳴らす。さながら舞台俳優が役に入る直前のようだ。


「ふむ、どうやら儂らのことを言っているようですな、リューファス殿。この正義の騎士に挑むとは身の程知らずめ」

「はぁ?!ちょ、キホーテ爺さん!まだ全然メシあんだけど行かなくてもよくね、つかトナカイ肉まだ食えるしっ!」

「馬鹿もんがっ、この儂が臆したと思われたらどうするのじゃっ!」


 サンチョは袖を引っ張り止めようとするが、もう片方の手ではカメラを構える準備を怠らない。この情けなくも軽薄な男は、こうした騒ぎに明らかに場慣れしていた。


 店内は騒然となっていたが、気の強い店主がカウンターの裏にあった鋭利な銛を握りしめると、躊躇なく窓から外に向けて怒鳴り返した。


「おう、ずいぶん威勢がいいじゃねえか。だがよ……まさか俺の店で暴れる気じゃねえだろうな? ここは俺たちの飯場だ。てめえらみてえなチンピラが好き勝手できる場所じゃねえぞ」


 店主に呼応し、客たちが一斉に立ち上がる。日焼けした肌にがっしりとした体つき、いかつく太い腕、それぞれすぐ手の届く範囲に物々しい武器を置いていた。

 カモスランド人の川船乗りたちを甘く見てはいけない。この辺りの河を自在に乗りこなし、運行中の危険――怪物、盗賊、あるいは他の荒くれ者――をすべて退けてきたのだ。

 川船乗りたちにとって、この酒場は一日を終え、仲間と憩う神聖な居場所。多少の喧嘩は大目に見るが、何事にも分水嶺がある。


 店主の威嚇に圧されたのか、外の怒声がわずかに静まった。


「ジジイと金髪野郎を引き渡せば、他の奴には手ぇ出さねえ! アンタらと争いてぇわけじゃねえんだ、生意気な余所者にきっちり落とし前をつけさせてやる」


 想像以上に冷静なやりとり、これがここの秩序か。そうメッツァは状況を把握すると、さっさと残っていた酒を飲みほした。口に残るスパイスがザラザラしてて辛い。


(これ、知らないフリを決め込むのは無理そうだ。せめて僕だけでも、安全な場所に……とか思ったんだけどなあ。僕、兵士じゃないのに)


 メッツァはカウンターに向かい、支払いを済ませ始める。

 店主は差し出した金を受け取ると、手早く釣り銭を押し付けてきた。一同は、店主と客たちからの「早く行ってくれ」という無言の圧力から逃れるように扉へ向かった。


 唯一、給仕の女の子が申し訳なさそうな瞳を向けていたので、メッツァは軽く肩をすくめる。「気にしないでね、美味しかったよ」とウインクで応じた。

 実際に、彼女を助けたのはドン・キホーテとリューファスだったわけだが、騒ぎの発端となった責任の一端は感じていた。


 木製の扉を開ければ、外の夏の陽気に涼しい風が店内に流れ込む。昼間の喧騒は去り、本来は夕暮れ前の穏やかな時間が流れているはずだった。


 しかし、その穏やかさは路地を塞ぐ武装集団によって破られている。


 先頭に立つのは、先ほどリューファスに腕を握り潰された男。顔には屈辱と、それ以上の報復を誓う明確な殺意が浮かぶ。背後の連中から突き刺さる視線は熱気を帯び、手には鈍く光る刃、魔導式のスタンロッド、そして物々しい槍先。

 彼らは、単なるチンピラではなかった。その装備と組織だった構えは、まさしくこの街で活動する冒険者事務所の一団。規律こそ感じられないが、確かな戦闘経験を積んだ者たちの集まりだ。


 リューファスは、そんな彼らの様子を面白がるように見つめながら、泰然たいぜんと酒場から出てきた。ドン・キホーテは重厚な足取りで続き、サンチョは肩から写真機を提げ、少し腰が引けていた。


「よく堂々と出てこれたものだなあ、その度胸だけは――」

「眠れ、安寧の雲」


 すかさず、メッツァの首から下がる虚数演算宝珠がエメラルドの煌きを放つ。指先をパチンと鳴らすと、白い霧が立ち込めた。

 それはアルコールから合成されたエーテル誘導体の一種。常温で気化し空気中に素早く拡散、呼吸により肺から吸収されると、血流にのり脳へ到達。脳神経細胞に作用し、GABA受容体の機能を刺激、シナプスの運動を阻害すると著しく意識レベルを低下、消失させる。


 簡単に言えば、人間を昏倒させるガスである。


「褒めて――ぐっ!?」


 男の声が不自然に途切れる。喉の奥で何かが詰まったような微かな咳。瞬間、眼差しの鋭さが失われ、焦点が合わなくなる。握りしめていた刃物がカラン、と音を立てて地面に落ちた。


 白い霧は瞬く間に広がる。冒険者たちは何が起こったのか理解できないまま、不審な霧を吸い込んでしまう。


「な、なんだこれ……なんか、甘い香りが……くそっ、けほっ!」

「体が…力が入らねぇ……!」

「ぐあ……っ、め……む……」


 次々と呻き声が上がり、まるでドミノ倒しのように武装集団が倒れ始めた。手から滑り落ちるスタンロッドからバチバチと微かな火花が散り、槍が地面に突き刺さる鈍い音が響く。


「くっ、術師だ! 奴らのなかに術師がいるぞ!」

「聞いてねえぞ、そんなの!? とにかく吸うな、どうせ死にはしねえ!」


 冒険者は通常、魔術師との戦闘を想定しない。都市の頭脳である彼らが、鉄火場に出てくること自体が合理的でないのが1つ。もう1つが、戦闘に特化した魔術師との戦いを想定しても無駄であるからだ。

 普通の人間では、戦闘魔術師にどう足掻いてもかなわない。


「最低限、対化学兵装ガスマスクくらいないと戦場には立てないよね。 ……あ、非殺傷術式ではあるけど、吐き気とか頭痛くらいの副作用はあるし、運が悪ければ死ぬから気を付けてね」


 メッツァは一応、そう警告した。

 いつでも殺そうと思えば殺せるが、都市内でのいざこざで殺戮をするほど、まだ突き抜けてもいない。


(まあ、外での戦闘なら容赦してないけどね)

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