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第37話 赤壁の戦い

 208年冬、曹操軍と孫劉連合軍は、長江を挟んで対峙した。

 赤壁の戦いが始まったのである。

 曹操軍の兵力は四十万。連合軍は四万にすぎない。

 劉備は十倍の敵と対決することに不安を感じたが、周瑜は平然としていた。


 周瑜と孔明が打ち合わせをした。

「劉備軍は、私の指揮下に入ってください」と周瑜は要求した。

「わが軍は揚州軍に協力しますが、指揮権はあくまでも劉備様にあります。それは譲ることはできません」と孔明はつっぱねた。

 周瑜は鼻白んだが、無理強いはしなかった。

「総攻撃のときは、歩調を合わせてくださいよ」と言うにとどめた。


 曹操の大水軍が、長江北岸の烏林から出撃し、南岸の赤壁へ迫ってきた。

 周瑜はただちに迎撃を命じた。

「水戦では、周瑜殿の指揮に従え」と劉備は旗下に指示した。


 曹操は大軍で一気に押しつぶそうとしてきたが、周瑜は水軍を巧みに指揮して、曹操水軍を自軍の下流に誘導した。

 水戦では、上流にいる軍の勢いが強い。初戦は連合軍が勝った。

 曹操側はいくらか軍船を沈没させられて、退却した。

 水軍戦術においては、揚州軍の優越が明らかとなった。

 以後、曹操は船を温存することにし、烏林に大軍をとどめて、守勢に転じた。

 連合軍が攻めてきた場合のみ、迎撃した。

 完全に守りをかためた曹操軍を攻略することはむずかしく、戦線は膠着した。


「曹操軍に精彩がないな」と赤壁から対岸を遠望しながら、劉備はつぶやいた。

「どうやら、敵陣では疫病が流行しているようです」と孔明は答えた。

「疫病?」

「はい。曹操軍は兵糧が全軍に行き渡らず、兵が飢え、弱っています。その上、慣れない南方の風土に悩まされ、疫病が流行り始めたのです。曹操は軍事よりも、疫病対策に忙殺されているらしいです」

「そうか。この戦、勝てるかもしれんな」

「勝たなくてはなりません。ここが正念場です」


 孔明は周瑜と頻繁に会った。

「曹操軍を撃滅する作戦はありますか?」と孔明はたずねた。

「火攻めをしたいと考えています」と周瑜は答えた。

 孔明はしばらく考え込んだ。

「風向きが悪いですね」

「そうなのです」

 この季節、この地域では、北西の風が吹く。

 その風向きでは、敵の船を焼くと、味方の船に飛び火してしまう。

「南東の風が吹くのを待っています。風が逆になれば、総攻撃を仕掛けます」


 周瑜は多数の快速船に薪と油を乗せ、いつでも火攻めができるように準備した。

 快速船団は燃えたまま曹操水軍に突入する決死隊である。

 決死隊の指揮官には、孫堅の代から仕えている宿将、黄蓋が志願した。

 彼はこの戦いを孫家に対する最後の奉公と考え、死を賭して敵を撃ち破る覚悟を決めていた。


 曹操軍の動きは鈍い。

 疫病の流行は深刻だった。

 曹操は医者を大量に雇い、野戦病院を設営して、疫病に罹った兵士たちを療養させていた。

 数万の兵士が、病気のために戦線から離脱している。


「殿、ここはいったん、撤退するべきではありませんか」と曹操の軍師、賈詡は進言した。

「だめだ。この戦いに勝利すれば、私の天下統一は成るのだ。踏ん張らねばならん」

 曹操はそう答えたが、心中では迷いに迷っていた。

 私は揚州軍ではなく、疫病に負けるのか……。


 そして、南東の風が吹いた。強風。

 黄蓋隊が曹操水軍に突入した。

 黄蓋は敵船と接触する寸前に自船を燃えあがらせ、曹操の船に激突させ、長江に飛び込んだ。

 快速船の船首には鈎針が取り付けられていて、敵船にぶつかったら簡単には離れないようになっている。

 他の快速船も同じように突入し、激突した。

 長江を懸命に泳ぐ決死隊員を、救助船の乗組員が引き上げていった。

 黄蓋は死を覚悟していたが、生き延びた。


 曹操の大船団は燃えあがった。

 火の海が生じた。

 北西の季節風が毎日吹いていたので、火攻めに対する警戒は薄かった。

 逆風になった日に奇襲され、曹操はまんまとやられてしまったのだ。

 荊州中から集めてきた船はことごとく焼け、船上の兵士たちの多くが焼け死ぬか、長江に飛び込んで溺死するという末路をたどった。

「なんということだ……」

 曹操は呆然と燃え沈む船団を眺めていた。


「殿、負けました。退却するしかありません」と賈詡が叫んだ。

「ああ……」

 曹操は返答とも嘆きともつかぬ声を発し、突っ立っていた。

 周瑜と劉備の軍が長江北岸に上陸し、火攻めから掃討戦に移ろうとしている。

「殿!」

 賈詡から耳元で叫ばれ、曹操は我に返った。

「わかった。ただちに撤退する。全軍、江陵城へ向かえ」


「殿、援護します。馬に乗ってください」

 許褚が曹操の馬を引いてやってきた。

「おお、虎痴か。頼む、私を守ってくれ」

 虎痴とは、許褚のあだ名である。虎のように強いが、頭の回転が鈍いために、そう呼ばれていた。

 許褚はそのあだ名を嫌い、曹操以外が言うと怒った。曹操は愛情を込めて、虎痴と呼びつづけている。


「そこにいるのは曹操か。その命、もらったぞ」

 張飛の隊が襲ってきた。

「殿、ここはおれが防ぎます。逃げてください!」

「虎痴、死ぬなよ!」

 許褚隊と張飛隊がぶつかった。

 両隊は互角だった。許褚が奮戦している間に、曹操は脱兎のごとく逃走した。


 曹操軍は赤壁の戦いで大敗北した。十万を超す兵士が死傷。

 しかし、曹操は江陵城へ逃げ延び、死ななかった。

 曹操は曹仁に三万の兵を与えて城を守らせることにし、自身は傷心を抱えて許都へ帰還した。


 孫劉連合軍が進軍してきて、江陵城を包囲した。

「こんな城はひと揉みにして、荊州を征服してやる」

 周瑜は意気盛んだった。    

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