孫劉連合軍が江陵城を包囲した直後、城から副将の牛金の部隊が突撃し、連合軍をかき乱そうとした。
「小勢だ。取り囲んで、全滅させてしまえ」
周瑜はあわてずに対処した。
牛金隊は全滅の危地に陥った。
そのとき、主将の曹仁がわずかな手勢を率いて揚州兵を攻撃し、牛金隊を救って、彼らを城に撤退させた。
曹仁が勇気を示したので、江陵城の士気は上がった。城兵たちは彼を「天人なり」とたたえ、団結した。
赤壁で奇跡的とも言える大勝利をした周瑜は、勢いのままに江陵城も陥落させようとしたが、この城は意外に堅かった。
曹仁と配下の城兵たちがよく守っていて、落とせない。
城攻めは、攻撃に守備の三倍の兵力が必要と言われる。十倍必要と言う兵法家もいる。
孫劉連合軍の兵力は四万で、江陵城の兵力は三万。しかも曹仁は名将だった。
赤壁は曹操軍が疫病で弱体化していたなどの諸々の条件が整って勝てたのであって、江陵ではそうはいかなかったのである。
江陵城の攻防は長期戦となった。
周瑜は城壁を突破するためのはしごを多数集め、総攻撃をしてみたが、曹仁が指揮する守備が堅く、撃退された。
補給路を断つ兵糧攻めに転じたが、長期の籠城を覚悟していた曹仁が充分な食糧を準備していたため、すぐには効果が出ない。
周瑜はむなしく城壁を眺めた。
江陵城は荊州南郡の要地で、どうしても確保したかったが、なかなか果たせない。
赤壁の戦いには勝ったが、この城に阻まれ、孫権の領地を広げることができないという状況に陥ってしまった。
劉備も困惑していた。
つまらない城攻めに付き合わされている。
「周瑜殿は水戦は見事だったが、陸戦はそれほどでもないな」と孔明に言った。
「江陵城にとどまっているのは、面白くありません。殿、我々は転戦しましょう」と軍師は答えた。
劉備は孔明の献策に従い、周瑜と交渉した。
「周瑜殿、江陵は敵地です。背後には、曹操の版図が広がっています。このままでは危険です。私に荊州南部を攻撃させてもらえませんか」
周瑜は考え込んだ。
劉備軍は、城攻めではたいして役に立っていない。別動隊として活用する方がいい、と思わないでもなかった。
荊州には七つの郡がある。
長江より北に、南陽郡、南郡、江夏郡の三郡。
長江の南に、長沙郡、武陵郡、桂陽郡、零陵郡の四郡。
このうち江夏郡を除く六郡が、曹操の支配下にある。
劉備の提案は、別働隊となって荊州の南部四郡を攻撃したい、というものだった。
荊州軍はいま、赤壁の敗戦を受けておとなしくしているが、周瑜配下の軍に牙をむくと、やっかいなことになる。
劉備軍一万を使って牽制しておくのはよい作戦かもしれない、と周瑜は考えた。
「よいでしょう。長江以南の土地を攻撃してください」と周瑜は答えた。
「では、私は江陵城を離れ、荊州の南部を討ちます」
劉備は周瑜の天幕から去った。孫権の軍師は、劉備にはたいしたことはできないだろう、という予測があった。
その見込みは甘く、後に周瑜はほぞを噛むことになる。
「おれたちは長江の南へ転戦する。曹操の領地を攻略するぞ」
劉備は、関羽や張飛たちに向かって言った。
周瑜の下手な城攻めに付き合わされていると思ってうんざりしていた劉備軍の武将たちは、大喜びした。
劉備軍はまず長沙郡に進出した。
羅県を攻めた。羅城は小城だったが、頑強に抵抗した。
「また城攻めで苦労するのか……」
劉備はがっかりしたが、悪いことばかりではなかった。羅県の郊外から二百人の兵を連れて帰順した若者がいた。
「劉封と言います。劉備様が新野におられた頃から、素晴らしい方だと思っていました。どうか配下に加えてください」
劉封の面構えは男らしく、劉備はひと目で気に入った。同じ劉という姓を持つことも好ましい。
「よいとも。わが武将として働いてくれ」
劉封は張り切って戦い、最初に城壁を突破して、城門を開けた。
彼の手柄により、羅城を陥落させることができた。
「よくやった、劉封」
劉備は手放しで喜んだ。
「なんのこれしき。私は殿のために、命を捨てる覚悟があります」
そう言った劉封を、劉備は健気なやつだと思った。
「おまえ、おれの養子にならないか」という言葉が口をついて出た。
「えっ、願ってもないことですが、よろしいのですか」
「おう、おまえがよければ、おれの息子になれ」
「ぜひともお願いします」
こうして、劉封は劉備の養子になった。209年のことである。
このとき、実子の劉禅は三歳、劉封は二十歳であった。
劉備軍は長沙郡の中心地、臨湘県へ入った。
臨湘城は郡太守の韓玄が守っていた。劉備は羅城以上の苦戦を覚悟したが、意外にも城門は簡単に開いた。
ひとりの偉丈夫が、韓玄の首級を持って、降伏してきた。
「魏延と申します。劉備様こそ救世の英雄であると思い、韓玄を斬りました。どうか家臣の末席に座らせてください」
劉備はまた喜んだ。
魏延はうやうやしくこうべを垂れ、恭順している。
そのとき、孔明が叫んだ。
「殿、そやつには反骨の相があります。裏切りをする顔です。げんに主君の韓玄を斬って、平然としているではないですか。魏延を受け入れてはなりません」
劉備は驚き、魏延は唖然とした。
「私は、劉備様のために決死の想いで斬ったのです。裏切りなどしません」
魏延は剣を捨て、抗弁した。
「孔明、おれは魏延を受け入れる。いま彼を追放すれば、以後、おれのために城門を開いてくれる者はいなくなるだろう」と劉備は言った。
「魏延、よく動いてくれた。礼を言うぞ」
魏延はほっとして、さらに深く頭を下げた。
劉備の広い心に感謝し、命懸けで仕えようと思った。
劉備軍はさらに、長沙郡南部の攸県へ進軍した。
攸城を守っていたのは、黄忠という名の武将だった。
劉備が攸県へ進んだ頃、周瑜はまだ江陵城を落とすことができないでいた。
焦って最前線に出て、攻城を指揮しているとき、肩に矢を受けてしまった。
矢傷が悪化し、周瑜は病床に伏すようになった。
「私がこうしている間にも、劉備は功名を遂げていく」
彼の顔色は悪かった。
「よけいなことは気にせず、傷を治してください」
周瑜にかわって攻城の指揮を執るようになった呂蒙が言った。
「わかってはいるが、気が焦る。このままでは、赤壁の勝利の果実を、劉備に取られてしまう」
呂蒙の顔色も陰った。
江陵城の城壁は堅く、高い。
揚州軍はそこに釘付けされ、動くことができなかった。