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第39話 荊州南部攻略

 長沙郡攸城は小城だったが、その抵抗は頑強だった。

 城主の黄忠はわずか五百の城兵を指揮して、一万の劉備軍に城壁を突破させなかった。

 黄忠は弓の名手で、城壁を登ろうとする兵士を次々に射て、落下させた。

 彼の部下にも弓が上手い兵が多かった。


「黄忠という男、なかなかすぐれた将だ。殺すのは惜しい。できれば部下にしたい」と劉備が言った。

「兄貴、おれに任せてください」と張飛が答えた。

「なにか考えがあるのか?」

「考えというほどのものじゃありません。弓の競争をやってみようと思います」


 張飛は攸城の前に立ち、黄忠に呼びかけた。

「黄忠殿、あなたは弓矢の腕に自信があるようだが、おれに勝てるかな」と叫んだ。

「貴公は誰だ?」と城壁の上から返答があった。

「張飛という。劉備の義弟だ」

「あなたの名は知っている。長坂で曹操軍を追い返したそうだな」

「そうだ。攸城も力押しに押せば、落とすことができる。しかし、それでは死人が多く出てしまう。おれとあなたの弓の勝負で決着をつけたいと思うが、どうだ?」

「よかろう。私が負けたら、開城しよう。張飛殿が負けたら、どうなさるつもりだ?」

「おれには軍の指揮権はないから、退却するという約束はできない。命を賭ける。負けたら死のう」


 黄忠は的を持った。

 張飛は矢を射て、命中させた。

 次に張飛が的を持ち、それに黄忠が当てた。

 それがずっとくり返された。

 両者百発百中になるまで、弓の勝負はつづいた。


「勝負がつかないが、私はあなたを尊敬する、張飛殿。命がかかっているのに、的をはずさなかった。常人にできることではない」

「おれも黄忠殿を見事だと思う。正直、こんなに勝負がつづくとは意外だった。さっさと勝てると思っていた」

 ふたりは完全にお互いを認め合った。

「降伏することにしよう。私の命は取られてもいい。配下の命は助けてほしい」

 黄忠は城門を開けて、外に出た。


「黄忠殿、あんたはすごい。部下になってくれ」と劉備は言った。

「この老骨、使えるのであれば、使ってください」

 黄忠は平伏した。

 彼が降伏した日の夜、劉備は酒宴を開いた。

 その場で、関羽と趙雲も弓の腕を披露した。張飛に勝るとも劣らない腕前だった。黄忠は唖然として、「なんだこの連中は……」とつぶやいた。


 劉備軍は長沙郡を平定し、武陵郡に進出した。

 黄忠と魏延が降伏を呼びかけ、次々に城門が開かれたが、最大の城、臨沅城主は抵抗した。

 城内では、抵抗派と降伏派が議論をくり返していた。

 城主の劉巴は、曹操がいつか天下を統一すると考えていて、あくまでも抵抗するとの姿勢を堅持していた。

 若いが優秀であると評判の馬良と馬謖は、劉備が漢王朝の守護者で、新時代の盟主であると思い、降伏を勧めつづけた。

 ある日劉巴は、馬良と馬謖に「城から出ていけ」と命令した。


 ふたりは城から出たが、臨沅城はもうすぐ陥落すると考える者は多く、城兵の半数が一緒に門を出て、劉備に投降した。

 それを見て、劉巴は逐電した。

 武陵郡も劉備のものとなった。

 馬良と馬謖は劉備に臣従した。馬謖は孔明の聡明さに惹かれ、その弟子のようになった。


 残りふたつの郡、零陵郡と桂陽郡は大きな抵抗はせず、劉備の軍門に降った。

 こうして、劉備は荊州南部四郡の主となった。

 長江南岸の公安を本拠地にすることにして、四郡の統治を開始。

 孔明が行政手腕を存分に発揮し始めた。彼は軍事よりも内治に大きな才能を有していた。


 その頃ようやく、周瑜は江陵城を落とした。

 曹仁と牛金は北へ逃げた。

 城を陥落させて、周瑜は力尽きた。赤壁勝利の立役者、稀代の軍師周瑜は病没した。

「孫権様に天下を献上したかった……」というのが最期の言葉だった。

 その報告を聞いて、孫権は涙を流した。


 同じ頃、江夏郡太守の劉琦も病死した。彼は郡を劉備に譲ると遺言していた。

 劉備は荊州五郡の支配者となった。

 揚州軍は周瑜の死後撤退し、江陵城を維持することはできなかった。その城も劉備軍が占拠した。

 周瑜がなげいたとおり、赤壁勝利の果実は劉備がもぎ取った形となった。

 荊州北部の南陽郡と南郡の北半分は、なおも曹操の版図であった。

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