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第17話:親権についての話し合い

 俺は元嫁と会うために福岡市内に来ていた。一応、朝は不動明王様にお参りしてから来た。


 嫁の指定したのは天神の大きなビルの地下にあるレストラン。ランチをやっているが、1人3000円なのでサラリーマンたちはほぼ入ってこない。接待的なランチなどに使われる店らしく、個室とまでは言わないがブースで仕切られていて、他の客の顔は見えない様な店だった。落ち着いた雰囲気で店員も着物を着ていた。


 明らかに今まで来たことが無いような店だった。元嫁は新しい結婚相手とこんな店でランチを楽しんでいるのだろうかと悔しい気持ちもあったが、元気ならと安心する気持ちもあった。「白」とか「黒」とかシンプルな色じゃなく、複数の色がぐねぐねと混ざり続けているような感情。これを言葉で表現できたとしたら、俺は大小説家になっていただろう。


「なんだよ、ここ」


 俺は一応不機嫌な感じで訊いた。元嫁としても俺が悔しい方が気持ちがいいだろう。そして、多少気持ちよくなってくれた方が、俺の希望が通りやすくなる。


「あんたなんかじゃ一生来ようと思わない店でしょ? 今の私はいつでもこんな店に来れるんだから!」


 そうかそうか。確かに、元嫁とランチに行ったのなんかいつ以来だろうか。医療機器の営業のときだったら、24時間365日いつ電話がなるか分からなかったし、何が必要なのかも分からなかった。よく使う商品はある程度は営業車に積んではいたんだけど、多くの場合会社の倉庫に取りに行って、病院まで届けなくちゃならなくて気が休まる暇なんてなかった。


 食べている間に抜けたりしたら、嫁は怒り狂っていただろう。それが分かっていたのでランチどころか夕飯も外食はあまり行きたいと思っていなかったのだ。


「それで……」

「ちょっと待ちなさいよ。話はご飯を食べてからでもいいでしょう?」


 俺が話を切り出そうとしたら、元嫁が半分笑みを浮かべて遮ってきた。さすが余裕があるな。こっちはこの後、母の病院に行ってお見舞いして帰りたいのに。村に戻るのに車で1時間以上。帰る前にホームセンターも行きたいってのに!


 なんか一品一品が一口しかないような料理がたくさん小分けした弁当箱みたいなのに入れられて運ばれてきた。美味いのは美味いが、口いっぱい頬張りたかった。


「これは日本酒が合うわね」


 料理の一つ、西京漬けを食べながら元嫁が言った。


「この松ぼっくりみたいなのは何だ?」

「バカね。それは松ぼっくりに見えるように彫刻してあるのよ。ものとしては『くわい』よ。くわい」


 くわいって何だ!? そんなのスーパーで見たことすらないぞ。味もそんなに美味しいってもんじゃない。


 多分、急いで食べたら1/10の時間で食べられたと思うけど、目の前にいる元嫁の気分を損なわないようにゆっくり食べた。50回くらい噛んだかも。普段からそうしていたら、この腹はこんなに成長しなかったかもな。


「それで娘達のことだけど……」

「ああ……」


 入店からここまで約1時間。ようやく本題に入れた。


「嫌よ。親権は渡さない。欲しかったら裁判でもしたら? 日本の裁判所は70%くらいの確率で女に有利な判決を出すのよ?」


 案の定、拒否して来たか。頼みごとをしてすんなりOKしたのを見た記憶が無いから、ある意味予想通りだった。10分以上元嫁の一方的な話……というか、煽りを聞いて勢いが収まってきた頃に言ってやった。


「お前の旦那、娘達に暴力をふるったらしいな」


 この一言でまたギャーギャー、ピーピー言い始めたので、また10分ほどスルー。このときほど人生に「早送りボタン」があって欲しいと思ったことはなかった。


「俺はその証拠を持っている。弁護士経由で裁判にしても良い覚悟だ。他なら何でも許すけど、娘のことなら俺は許さない。徹底的に戦ってそれなりの制裁を受けてもらう」


 俺がしっかりとした口調で言ったからか、元嫁はたじろいでいる様に見えた。実際は証拠はない。完全なブラフだ。内心ドキドキだけど、娘達のことを思って心を強く持った。


「帰って弁護士から連絡させるわっ!」


 元嫁はそれだけ言って帰っていってしまった。もちろん、会計は済まさずに……。2人分で6000円……。石膏ボードなら5~6枚買えたなぁ……。なんで、貧乏な方が会計を払うんだよ……。



 □□□ 母の近況


 母は手術が終わって調子は良好だった。入院して不安だろうから、週に2回から3回はお見舞いに来ていた。病院は市内なので、片道1時間以上かけて行ってた。今日は元嫁と会う予定があったから寄り道する形で顔を出したのだ。


 背骨を金属とボルトで固定したので、背中に少し盛り上がったところができたらしい。それが服やベッドとこすれて「湿潤(しつじゅん)」があると言われた。


 湿潤とは、じくじくした皮膚のただれらしく、痛そうだけど本人は気にしていないようだった。


「母さん、今何歳?」

「65歳です」


 自分に対して敬語なのも悲しかったが、75歳の母が自分のことを65歳と言ったのも悲しかった。


 痴呆がだいぶ進んでいるようで、母の年齢を訊いても毎回答えが違った。64歳のこともあれば、67歳のこともあった。なかなか70代を超えない。自分の親のこんな姿を見ると悲しくなった。何十年も父親と暮らしてきて、介護が必要になったら殴られて入院して、生活費も取り上げられて……。母の人生のことを考えると悲しい気持ちになった。


「母さん、俺のこと分かる?」

「分かるよ。『清司』さんです」


 清司は父親の名前だ。母は痴呆でここ5年から10年くらいの記憶が怪しい。名前などはしっかり言える。先日の通帳を作るときにも役に立った。


 父親が母にDVを始めたのはこの2~3年だと思われる。俺が気付かなかったらもっと前からかもしれないが……。つまり、母は父からDVされた記憶がおぼろげなのだ。ほとんど覚えていないと言っていいだろう。


 DVをする父親から離すのはそれが母の生活と安全を守るうえで正しいと思うから。ただ、それを当の本人が望んでいなかったら……? DVのことを覚えていなかったら、「父に会いたいか」という問いになんて答えるんだろう。俺は怖くて訊けなかった。


 本人の希望はあてにならない。何が本当なのか分からない。俺のしていることは本当に母にとって幸せなのか……。俺の心を悩ませた。


 病院の廊下で母に見つからないように泣いていたら、仲良くなった看護師さんからリーク情報を聞いた。父親は母の病室に来た際、ボイスレコーダーを持ち込んで「家に帰りたい」と言わせていたらしい。何度もリテイクさせられて母は「家に帰りたくない!」と叫んだところで「帰りたいって言え!」と怒られていたとか。


 病院が夫である父親のことではなく、ときどきしか見舞いに来ない俺のことをやけに信じてくれると思ったら、そういう事象が多々あったらしい。そんなのもあって、父親の面会禁止を俺に申し出ていたのだとのこと。


 病院が忖度してそこまで教えてくれなかったのだろうけど、言ってくれればすぐに面会禁止を希望したのにと思った。


 □□□ 善福清美のぼやき


 今日は久しぶりにあの人に会える日。朝から美容院に行ってバッチリ髪をセットした。服も新しい服。少し胸元が開いたやつ。久々に会ったら「見違えたな!」とか「別れなければよかった!」とか言わせてやると思っていた。


 ところが、会っても髪のことも、服のことも何も言われなかった。口から出たのは娘達のこと。


 素直に親権を渡したら面白くないから、先にご飯を食べてやった。こっちをチラチラ見て気になっているのかしら?


 私が普段どんなものを食べているのか見せつけてやろうと思ったのに。食べ物についてもほぼ無反応。考えているのは娘達のことばかり。それがすぐに分かる顔をしていた。


 途中から、彼のことを悪く言われて頭がおかしくなった。何一つ褒めてくれなかった! 絶対に泣いて謝らせてやるんだから!


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