文化祭の「演奏」は体育館で行われた。さすがに体育館は木造ではなかったし、割ときれいだったのでここ10年以内に建てられたものと思われる。
冒頭の挨拶にピンク頭のYoutuber「岡里セシル」通称「せしるん」が登場して応援のメッセージを言った。
「あ、あ、あ、あの……本日は大変お日柄もよく……。このような場所にお呼びいただき誠にかたじけない……」
マイクを持ち、全貌のステージの上で腰が引けた挨拶をしていたのだが、若者の間ではこれがいいのだろうか。俺の目には涙目になっているように見えるのだが、体育館に来ている生徒たちはすごく盛り上がっていた。
「YouTuber」という身近な有名人がこの村の学校に来ている、という事実に興奮しているのだろうか。それとも、このピンク頭のYouTuberはそれほど人気なのだろうか。俺にはそれが分かるほどYouTubeに詳しくなかった。
「お姉ちゃん、あのピンク頭のお姉さんは人気なの?」
これは分かる人に聞くのが間違いないとばかりにお姉ちゃんに訊いた。
「そういうのは、ちぃちゃんの方が詳しいから……」
二人で智恵理を見たらすごく不機嫌そうだった。腕を組んで見ているみたい。なんか若者独特の世界というか、価値観があるのかもしれない。俺はそれ以上聞かないことにした。
「そ、そっ、それでは、トップバッターは金管楽器部のトランペット、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバの演奏です」
随分偏った部だな。そこから「ハーモニカ部」「1年オーケストラ部」など色々な発表があった。生徒数少ないのに割とたくさん部があったな。しかもマニアックなやつ……。
「そ、それでは、トリは久根崎三兄弟さんの演奏です!」
ピンク頭のYouTuber岡里セシルさんが最後に紹介したのは久根崎三兄弟。もはや「部」ですらない。
久根先といえば、村長の名字。つまり、あの孫三兄弟が演奏するらしい。わーっと盛り上がっていることから割と人気があるのか!?
そう言えば、村長の孫なのだ。村の中では権力があるのかもしれない。
「曲は『くまくまミュー』さんの『もちもちロック』でーーーす!」
「はあーーーっ!?」
急に俺の横で騒ぎ始めたのは妹の智恵理。どうしたどうした。
(ジャジャーン)
演奏は開始された。ギター、ベース、ドラムの演奏。うちによく来ていた次男の日向はギターみたいだ。
(ギューーーーン、ジャカジャカジャカ)
演奏はいかにも中学生と高校生って感じの素人演奏。だけど、微笑ましい感じ。
一方、智恵理の表情は怒っているような、くやしいっような、複雑な表情をしていた。そして、今にも爆発しそうな様子。
それでも微笑ましい演奏は続いた。曲自体は好きな感じだったのでオレは楽しく見ていた。
「お姉ちゃん、『くまくまムー』さんとは?」
「『くまくまミュー』さんね。有名YouTuberの人だよ」
そんな人もいるんだろう。有名とか分からんけど。
「曲は『もちもちロック』!? 『もちもち』なのに『ロック』?」
「うーん……そこはセンスかな……。くまくまミューちゃんはセンスの塊だから。普段は首から下だけ映ってギターの演奏をしてる人なのよね……」
何かそんなギター演奏動画は見たことあるかもなぁ。色んな人がいてギターとかベースとかを演奏している動画。選んで見たわけじゃないけど、おすすめ動画に入ってて見たことがあるかもしれない。それは理解した。
「それで、なんで智恵理は不機嫌なの?」
それだけが理解できない。
「あ、もしかして智恵理の好きなYouTuber? 知ってるぞ! 『推し』でしょ?」
「うーん……ちぃちゃんのお気に入り……なのかなぁ?」
今いち煮え切らないお姉ちゃん。智恵理はどこかに行ってしまった。俺の帽子を奪って行ってしまった。意味が分からない。
なんか俺の知らないことがあるのかな? まあ、若い子には若い子だけ分かる世界があるだろうし……。娘達の成長が嬉しい半面、取り残されたような寂しさもあるというか……。
演奏も終わって、今度こそ帰ろうと思って姿を消した智恵理を探して周囲をきょろきょろ見渡してみた。
『と、飛び込みで『くまくまミュー』さんの登場です!!』
周囲が「え?! どういうこと」って空気になった。そして、一拍おいて音が爆発した。すると、その1音目で周囲は圧倒された。
(ジャジャーン)
よく分からないけど、ついさっき聞いた曲がもう一度演奏され始めた。体育館前方のステージにはスポットライトが当てられていた。
「え? あれって……」
大きな帽子を目深に被って顔は見えないのだけど、小さな女の子がギターを構えている。
(ドギューーーーン! ジャギャジャギャジャギャ)
さっきの日向達と同じ曲なのに、まるで迫力が違う。ギターしかいないのに、音の厚みはさっきの比じゃない。安定性というか、どっしりとした音だ。
体育館の中の生徒達が興奮している。いや、白熱している。いや、それどころか熱狂してる。人の視線と意識を吸い付けるみたいな演奏。
それは演奏の間、魂をも釘付けにしていた。
「おっ、お姉ちゃん。あの演奏してる子って……」
「え? あ、うん……。そう……」
少しバツが悪そうな表情のお姉ちゃん。
やっぱり、俺の予想通りだった。あれは間違いなく智絵里。単に俺の帽子を被ってギターを演奏してる智絵里だった。
(ギュルルギャララギュルルギャラララー)
左手の指はピアノでも弾くみたいに狭しなく動き、右手は安定してピックを弾く。俺は、ギター素人だが、これは分かる! うまい人の演奏だ! それも、素人のレベルには収まってない!
顔こそツバの大きな帽子で隠しているものの、ゴスロリの服装とギターは案外マッチして可愛らしさを演出していた。逆に帽子だけは「取って付けた感じ」が否めずミスマッチだった。
見学で参加した保護者達も彼女の演奏に心を奪われて1歩も動けない。
多分、数分間の演奏だったに違いないが、その間にこの会の全部を持っていった。
一曲引き終わると、「くまくまミュー」は少し息を切らしながらコメントした。
「えっとお……。偶然、ボクの曲を弾いてくれたから、そのお礼ってか……」
会場からは激しくアンコールが響く。この興奮は一曲だけでは不完全燃焼なのだ。
それを察して「くまくまミュー」は右手を上げた。
「えーっと、お姉ちゃん! ドラム叩いて! あと歌! ギターだけじゃ乗り切れないわー」
智絵里、もとい、「くまくまミュー」さんはステージからお姉ちゃんを呼んだ。
「おーっと! まさかの「にゃーたん」さんも参加だぁ!」
ピンク髪のYouTuber「せしるん」の司会も板についてきた。
お姉ちゃん智子は俺の汗拭きタオルを奪うと額にバンダナみたいに巻きつけて、残った長さを鼻の辺りに巻いて顔を隠した。まあ、目も口も出ているのだけど。
その「にゃーたん」(?)は既にセットされているドラムセットに腰掛けた。
(トコトコトコドコドコドコドコバシャーン!)
ステージでは挨拶代わりと言わんばかりに女の子のドラム音が轟いた。ドラムを叩いただけなのにこれまた明らかに素人ではないのが分かった。
その上、ドラムセットにはマイクも準備し、曲が始まるとドラムがボーカルまで担当する「ドラムボーカル」だった。
ギターやベースがボーカルを担当することはあっても、ドラムが担当するケースは珍しい。それだけ難しいのは素人でも分かる。ただ、世界的なアーティストをみるといない訳じゃない。
智絵里といい、お姉ちゃんといい、いつの間にこんなことができるようになったというのか。曲自体は俺もどこかで聞いたような気がする。俺は目の前の光景が現実とは思えず、背中から頭まで鳥肌というかぞわぞわが駆け上がった。
生徒達は「くまくまミュー」と「にゃーたん」を知っているのだろう。半狂乱で騒いでいた。
「お姉ちゃんの『にゃーたん』が来てくれたからもう一曲ね。えーーー……、『動画初投稿』の、曲で!」
○●○
二人で一曲弾き終わるころにはみんな声を失っていた。生徒達はもちろん、父兄と思われる来訪者たちまで魅了した。
ステージのスポットライトが消えると同時に「くまくまミュー」と「にゃーたん」も消えた。
会場は拍手喝采の嵐。
しばらくしてお姉ちゃんと智絵里がタオルで汗を拭きながら戻ってきた。服装とかそのままだから、バレバレだろうに。そうでなくても元々注目されていたのだ。
俺は二人を連れて体育館を出た。
『ネットで大人気で登録者数100万人超えのYouTuber「くまくまミュー」さんとそのお姉さん「にゃーたん」さんでしたーーー!』
そんなアナウンスが体育館内から聞こえた。
智絵里ってそんなにすごいの!? お姉ちゃんも何かしてるの!?
「お父さん、行こっ!」
「ちょっ、お姉ちゃん!?」
俺は二人に手を引かれて逃げるように学校をあとにした。
この件をきっかけに村内の様子、村外の様子が変わっていくのだった。