朝イチ、玄関のチャイムが鳴ったからドアを開けたら、そこにピンク髪の女が土下座していた。
なになになになに!? 何なの!? ついに俺には幻覚が見え始めたんだ。嫁の不倫、そして、離婚。父親の母へのDV、母の入院、村への移住。娘達がYouTuberだった……。
ここのところ次々俺の目の前で事件が起きて状況がコロコロ変わっていた。俺の心が付いて行っていない。だから、こんな変な幻覚を見るんだ。
それでも、ユング先生もフロイト先生も絶対予想できないはず! 玄関あけたらピンク頭が土下座!
夢占いとかしたら、俺の心の中がひどい状態なのがバレてしまうかもしれない。
どれくらい俺は固まっていたんだろう。ドアを開けた手はドアノブを握ったままだった。
「お父さん! その人を中に入れてあげてください! 近所からひそひそされます!」
お姉ちゃんの大人な発言で俺は我に帰り、ピンク頭のお姉さんに声をかけ、家の中に招き入れた。
リビングのテーブルの席に座ったピンク頭のお姉さんにお茶を出すと、「すいませんすいません」とペコぺオコと頭を下げた。
とりあえず、テーブル向かいに俺が座り話を聞くことに。娘達は少し離れたところでクッションに座り静観。
ピンク頭のYoutuberはチラチラと娘達を見ている。
「あのー、玄関前のアレは一体……?」
「はいっっ! すいません!」
もはや話が進まない。だいぶ面倒な感じになってきていた。
「私って個人勢の零細YouTuberなんです」
零細YouTuberとは……!?
「チャンネル登録者数は一瞬多かったけど、完全に伸び悩んで廃業待ったなしの状態で……。老後が心配になって家賃タダのこの村の募集人数乗っかってしまって……」
なんか華やかそうな動画の世界とはだいぶかけ離れてるぞ!?
「いられるだけいて、ダメならまたそのとき考えようかと……」
確か、この子まだ二十歳そこそこだったような……。今の若者はみんなこんな感じなのだろうか……心配になるわ。
「それで……?」
単にそれを告白しに来たわけじゃないだろうに。
「はい! くまくまミュー様とにゃーたん様が動画に参加してくださってから私のチャンネル登録者数が爆増しました! そのお礼と……」
ここでチラリと彼女は娘達の方を見た。
「大変厚かましいお願いですが、今後もコラボをお願いできないかと思いまして……」
俺だって「コラボ」くらい分かるぞ。どっちかの番組にもう片方が出ることだろ?
「それは娘達の決めることで……」
「それはその通りです! ですが、まずはお父様にお許しを頂いてから……と……」
なんだか娘の結婚のお許しを頼まれているような気になってきたぞ?
俺が答えに窮していると、ピンク頭のYouTuberは床に飛び降りそのまま土下座。
「大変不躾なお願いですが、一緒にコラボを! 何卒! なにとぞ!」
なんか生活がかかってるんだろうな。必死さが伝わってきた。
「お姉ちゃん、助けてあげられないのかな?」
俺はこのピンク頭が不憫に思えてきてお姉ちゃんに訊いてみた。
「ふーーー、動画に関しては私じゃなく、ちぃちゃんがメインだから……」
「え!? 私!?」
急に話を振られて慌てる智絵里。
「智絵里がそんなことやってるとかお父さん知らなかったよ。すごいと思うし、大変だったこともあるんだろう……でも、困ってる人がいるから……」
「ちょっ、まっ! 私、渋ってない! あと、頑張ってもない!」
どういうことか理解が追いつかない俺。
「ギターが好きなのはホント。練習の記録で動画をアップしてたら、いつの間にか登録者が増えてて……最初は自分だけしか見れない設定のはずだったけど、間違えてたみたいで……」
手をせわしなく動かしながら話している。多分本当のことだろう。
「なんか、消し忘れ動画みたいな扱いでバズってて、気づいたときには10万人超えてて……」
俺はピンク頭のYouTuberを見た。
「はい……あり得ます。でも、10万人はすごいことです」
すごいことらしい。
「その上、リクエストが来るようになってきたから演奏したら、下手くそが一生懸命弾くの微笑ましいとか言われて、ムカついたから練習しまくってたら、アドバイスとか来るようになってて……」
俺はまたピンク頭の方を見た。
「リスナーとのプロレスは生配信の王道です」
王道らしい。そうなんだ。なんかケンカじゃないけど、ちいさな言い合いみたいのは割と予定されたバトルでネット界では「プロレス」とか言われている。
智絵里の場合はそんな余裕ないだろうから、ガチ切れしてそうなんだけど……。きっと、リスナーさんが良い人なんだろうな。良い具合にイジってそれに智絵里がキレて……。なんか目に浮かぶ。
「お父さんは私達があんな活動をしていることを怒らないの?」
お姉ちゃんが尋ねた。智絵里もうんうんと頷いていた。
「驚きはしたけど、俺の大事な娘達だから人気が出るのは当たり前。後は変な虫が付かないかの心配くらいかな……」
ストーカー的なやつもいるって聞くし、俺が娘達を守らないと!
「お父さん! ありがとう!」
お姉ちゃんは俺に抱きついてきた。愛情表現が激しい。誰に似たんだか。
「……ありがと」
智絵里は控えめだ。もしかしたら、これまでこの動画のことを秘密にしてたのかも。だから少しよそよそしかったのかも。年頃だからかなぁって思ってた。
「家族なんだから何でも話すってことで……」
俺はこのところ気になっていたことを聞いてみることにした。
「村長さんのとこのお孫さん三人が言い寄って来てると思うけど……二人はどう思ってる?」
これだ。俺が聞きたかったのはこれ。
「うーん……、お母さんの彼氏さんのこともあって男の人はちょっと怖くて……」
たった今、俺の首に抱きついてきたお姉ちゃんは軽い男性恐怖症になってるみたい。
「ウザい」
智絵里は歯に衣着せないな。でも意見としては同じなのかも。
「じゃあ、強く言い寄ってきたらお父さんに言ってくれ。俺からも村長さんに言うから」
「でも、お父さんは村長さんから仕事もらうんだよね? そんなことしたら……」
お姉ちゃんは変なところで忖度が働いているらしい。
「娘以上に大事なもんなんかないさ。家なんかいつでも手放す! 3人いたらどこでも何とかやっていけるさ」
「ありがとう!」
「……」
再び抱きついてくるお姉ちゃんと、何となく近寄ってきた智絵里の二人を抱きしめて三人の結束と気持ちを確かめあえた。
ふと、忘れていたピンク頭のYouTuberのお姉さんの方を見たら泣いていた。
「良いですねーーー! 親子ってーーー! 羨ましいです!!」
いや、きみは娘とそれほど変わらない年齢でしょう。親御さんはまだ健在だろうに。
「それでその……コラボの方は……」
ピンク頭のYouTuberお姉さんは土下座の姿勢のまま上目遣いで俺達に訊いた。
「そんなそんな、とりあえず、頭を上げてください」
娘達にとっては年上の人が目の前で土下座しているのだ。彼女達の性格を考えたら落ち着かないだろう。お姉ちゃんが慌てて頭を上げさせていた。
「私なら……ちぃちゃんも、ね? ね?」
お姉ちゃんは勢いに負けるタイプだな。将来が少し心配になった。
「……村のことなら」
智恵理は腕を組んで少々懐疑的ではあったが、お姉ちゃんの様子を見て折れたみたいだ。
それを訊いてピンク髪のYouTuberはスキップしながら帰っていった。帰りがけは、180度じゃないかと思うくらい頭を真下まで下げてお礼を言って帰っていった。
人気商売って大変だな……と思ったのだった。
(ピンポーン)
ピンク髪のYoutuber「せしるん」が帰ったかと思ったら、すぐに戻って来たらしい。忘れ物か!?
インターフォンに出るべきか、直接玄関に行くべきか迷っていたら、またチャイムが鳴った。落ち着きのない子だ。たしか、推定20歳だったか。まあ、年相応なのか!?
「はいはい。忘れ物ですか?」
俺は彼女が恐縮しないようにできるだけ笑顔で玄関を開けるのだった。