「狭間」さんは電話の翌日には来てくれた。言ったら何だけど、こんな田舎の村の俺の家まで来てくれたんだ。
「こんにちは」
「お邪魔します」
来訪は2人、あの美人で若いオーナーさんと、多分電話の相手と思われる男性「狭間」さん、作業着だ。残念ながら、あの美人秘書さんはいなかった……。そもそも来るって言ってなかったし……。
いつものようにお姉ちゃんがコーヒーを準備してくれていた。
「どうぞどうぞ」
俺はリビングに案内したけど、例によって座布団がない! テーブルを案内することになった。
「いらっしゃいま……」
お姉ちゃんがいつものようにコーヒーをお客さんに出してくれている時に止まった。
「せ」
「「せ?」」
俺には分かった。娘だから分かった。途中まで言いかけたから、残った言葉を言ったのだ。そんなこととは分からないお二人は、二人とも首を傾げてしまった。
「あ、こちらもどうぞ」
お姉ちゃんがとっておきにしておいた饅頭を出してしまった。まあ、話を聞いてもらうんだし、お茶菓子くらい出さないと。
「どうぞ、お構いなく」
「お構いなく」
狭間さんも美人オーナーさんも眩しい笑顔だった。
「智恵理」
俺が智恵理の名を呼んだら、キッチンの陰の方でビクッとして止まった。手にはお皿に載ったケーキが持たれている。どうも、自分も何か出したくなったらしい。
「お姉ちゃん、智恵理。二人ともお茶もケーキももういいから、横に座って邪魔しないように」
「は、はい!」
「はい!」
なぜか、二人とも素直に席に座り敬礼をして返事をした。
理由は分かる。来てくれた狭間さんの作業着がめちゃくちゃ似合ってる。狭間さん自体も中々のイケメンだ。あの美人オーナーさんの横にいても全然遜色がない。それどころか、自信のある伸びた背筋、余裕の微笑、そして、筋トレじゃなくて普段から使ってるから育った筋肉。これはお姉ちゃんの好みにドンピシャだったのだろう。エルメスのバッグよりマキタの大容量キャリーバッグの方を好むお姉ちゃんだ。ふらふらと付いて行かないように注意しなければ……。
はっ! 智恵理も! 目がハートになっている! 待て待て……なぜだ!? お姉ちゃんと智恵理の好みはクロスオーバーしないはず! なぜだ!? 作業服の狭間さんにそんなに惹かれるはずが……。いや! 作業着の下の白いシャツ! なんでもない風に着ているけど、多分ブランドものだ。縫製がすごくしっかりしている。よーーーく見ると襟が二重になってる。下の方はうっすらブルーになってる。しかも、襟の内側は目立たないようにやはりブルー。そんなオシャレなシャツが安物のはずがない! ブランド大好きな智恵理がそんなのを見逃すはずがない! ふらふらと付いて行かないように注意しなければ……。
「あのー……」
俺が狭間さんの分析をしていると、話しかけられてしまった! し、しまった!
「す、すいません。あの……その……」
「大丈夫ですよ。今日はたっぷり時間を取ってきました。ゆっくりで」
狭間さん優しい! 良い男だな。 こんないい男なら、安心して娘を……いや、俺もなにを考えているんだ。色々混乱してきた。
「すいません、私は先日ご挨拶させていただきました。高鳥さやかです。『朝市』のオーナーです。こっちは、専務の狭間です。よろしくお願いします」
美人オーナーさんから挨拶をされてしまった。
「善福熊五郎です」「智子です」「智恵理です」
……被ってしまった。なぜ、三人一緒に挨拶をする! ここはやっぱり、父親の俺からだろう!
「善福熊五郎です」「智子です」「智恵理です」
また被った!
「ふふふ、親子で仲よしなんですね」
「面目ない……」
美人オーナー高鳥さんが楽しそうに笑った。智子よりも少し年上か? かわいい人だなぁ。
「えーっと……実は、道の駅の売り上げが……霞取さんが地主で……」
「お父さん!」
お姉ちゃんに止められてしまった。
「父が、この村を盛り上げる役目をいただいたんですけど、何から手を付けていいのか分からなくて……。そこで、地域的に不利なのにあんなにお客さんが来ている『朝市』様のノウハウを真似させていただけたら……と思って!」
お姉ちゃんが一息で言った。すごいな。お姉ちゃんの国語力。俺の言いたいことをほとんど言ってしまった。
「ありがとうございます。『朝市』を誉めてもらって。でも、俺達は朝市が地域的に不利だとは思っていないんです」
「……それはどういう……?」
どう考えても、福岡市から離れている。福岡市から「朝市」まで車で行ってもかなりの時間がかかる。これを不利と言わずして何と言うのか……。
「お客様は実にわがままです。しかし、惹きつける物があったら向こうから探し出してでも来てくださいます。私達は自分達が楽しいと思うものを次々あそこに具現化させています。お客様も一緒に楽しんでもらっているつもりでいるのです。『朝市』には野菜があって、お弁当があって、レストランも屋台もあります。毎日のようにイベントもあって……」
美人オーナーさんしゃべり始めたら止まらない!
「……こほん。つまり、私はあそこが好きってことです」
「そ、そうですか……」
段々何の話をしているのか分からなくなってきたけど、お二人の「朝市」にかける情熱は伝わってきた。
「実は、この村にも規模は全然小さいのですが、道の駅で野菜を販売しています」
「それはいいですね!」
すかさず狭間さんが相槌を打つ。ちょうど、話しやすいくらいの話を邪魔しない相槌。
「実は、見よう見まねで『朝市』様の直売所のやり方を真似させてもらったのですが……」
「どうでしたか?」
「お陰様で……朝から約200人くらい並んでもらえて……」
「それはすごい! どうやったんですか?」
あ、ここからは「反則」かも。野菜のことじゃなくて人を呼び込んでる。
「えーっと……」
「YouTubeを使って告知をして、リスナーさんに来てもらいました!」
俺が言い淀んでいると、お姉ちゃんがよどみなく答えてしまった。
「リスナー……ってことはVチューバ―でもされているんですか?」
「いえ、ギター演奏とトークのチャンネルを少々……」
狭間さんとお姉ちゃんのちょっとしたお見合いみたいな話し合いになっている……のか?
「私は50万人くらいをふらふらしていますけど、妹の智恵理は100万人超えたみたいで……」
「それはすごい」
その後も、狭間さんとお姉ちゃん、智恵理の会話が続いたけど、正直俺には何を言っているのか単語すら分からなかった。「ぴーぶい」とか「ゆにーく」とか「こんばーじょん」とか……。俺は最後の方でここまでにあったことを包み隠さず話した。
道の駅の土地の賃料が10倍になること、野菜を供給してくれる農家さんの畑の賃料も10倍になること。そして、それらの不満が俺に来ていること……。恥ずかしいも何もなかった。二人とも俺より明らかに年下だけど、絶対に俺よりも商売のことが分かってる。しかも、成功させているんだ。俺はテーブルに額をこすりつけてお願いした。
「この村を盛り上げたいんです! 知恵と力を貸してください!」
しばらく狭間さんが「んーーーーー」って顎を触りながら考えていたみたいだ。
「何もありませんが、協力していただければ、俺の差し出せるものなら何でも差し出します!」
「そうですか……。ちょっとだけ、調べさせてもらえますか。えーっと、1か月間時間をください」
「は、はい!」
この人は「経営者」だ。営業をしていた俺なら分かる。経営者は「持ち帰ります」なんて言わないんだ。誰かに相談などせず、その場で判断するのが「経営者」。単なる使いっ走りのサラリーマンとは判断までの時間が違う。
しかし、どんなにすごい経営者でもその場で判断しないことがある。いや、判断「できない」ことがある。それは、判断するだけの十分な情報が足りないとき。その時は経営者も判断を先送りにする。その代わり、俺達サラリーマンと違うのは「いつまで待てばいいか」を予め決めている。相手を待たせるのならば延々と待たせるのではなく、「いつまで待てばいいのか」を先に決めてくれるのだ。
病院の会計のときに自分の順番が来るまでどれくらい待てばいいのか分からない状態で待つ30分は長い。ところが、最初から30分待ってくださいと言われれば、人は意外と待てるのだ。途中で食事に抜けたり、トイレに行ったり、スマホでゲームをしたり、時間を有効に使うからかもしれない。
この目の前の狭間さんは、俺が思っていた以上にやり手だ。しかも、いい人だ。人情味もある。おんぶにだっこってわけにはいかないけど、とりあえず、1か月待ってみましょう。その間は自分だけで頑張ってみよう。
「よろしくお願いします」
俺は再びテーブルに額が付くまで頭を下げた。すると両脇で娘達も頭を下げているようだった。そんな気配を感じた。
〇●〇
「じゃあ、また追ってご連絡させてもらいます。あ、表の畑少し見せてもらえますか?」
狭間さんが玄関で靴を履きながら訊いた。
「はいっ! 案内します!」
次の瞬間、お姉ちゃんが申し出た。
「私もーーー」
なぜ、そこで智恵理まで。お前は基本的に土いじりとか好きじゃないだろ!
高鳥さんが狭間さんの作業着の裾を少し引っ張ったのを俺は見逃さなかった。きっと、ここは二人かっぷるなんだろう。美男美女でお似合いだ。お姉ちゃんや智恵理の入り込む隙なんてないなこりゃ……。
おっと、外に出たらレクサスだよ! 高級車! 完全なお金持ちだった。そして、あの美人秘書さんは外で待ってたようだ。3人も入ったらうちがキャパいっぱいだからかな? 気を使ってくれたみたいだ。今日も美人!
「お、これって『サラたまちゃん』ですか? あ、こっちは『白石』。玉ねぎ好きなんですか?」
「は、はい……」
お姉ちゃん、玉ねぎが好きか聞かれてなぜ照れる!? そんなもじもじした姿、今まで見たことないよ!
「あ、これ『博多こがね』だ。え? これは?」
「あ、ノンクーラーです。固定種に挑戦したくて……」
「やっぱり! ノンクーラー! 野菜がお好きなんですね」
「は、はい……好き……です」
狭間さんとお姉ちゃん、何の話? それ。
「お姉ちゃんはコンニャクが上手なんだよね」
「ちぃちゃん! それやめてって言ってるでしょ!」
狭間さんはなぜか野菜に詳しいし、好きなんだと……。そんなことも分かったのだった。