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第75話:トラブルの予感

 あの日以降、せしるんが俺と一緒に歩くとき、手をつないで来るようになった。そして、せしるんの方を見ると、テレたようなはにかんだような顔をしてくる。……かわいいじゃないか。


 そして、ときどき、せしるんの家に泊まることになった。


 もちろん、せしるんがうちに来ることもあるんだけど、泊まっていくときはお姉ちゃんと智恵理と三人で一緒の部屋で寝てしまう。ちょっとした女子会みたいで俺はその世界には入れてもらえない。


 ……泣いていいだろうか。


 娘達とせしるんはめっちゃ仲良し。同じ動画配信者ってこともあるし、年齢も近い。音楽をやってるってのもあるし、もしも前世なんてもんがあるとしたら、きっと親しい三人だった気がする。


 俺は邪魔しないようにキッチンでコーヒーを淹れた。自分の分もあるし、三人のためでもある。


 コーヒーメーカーもあるけど、たまには手間をかけて紙フィルターのドリップコーヒーを淹れたくなることもある。


「あ、お父さん」


 そこに、せしるん登場。


「コーヒー淹れてくれてるんですか?」


 コーヒーの量とかからもみんなの分だとバレてしまったみたいだ。


「お茶菓子とコーヒーくらい持っていこうかなって」


 俺はコーヒーのドリップ中だから手が離せない。なんかここでお湯を切らすとダメな気がする。お湯は最後まで多めで豆の粉は浮いてないといけない気がするんだ。


 そしたら、せしるんが俺の後ろに回ってきてやかんを持ってる手に彼女の手を添えてきた。


「せしるん?」

「仲間外れにしてごめんなさい」


 ふっ……と笑いが出てしまった。ちゃんと気にしてくれていたらしい。


「娘との大事な時間だ。邪魔しないよ」

「明日はうちに行きましょうね。朝までたっぷり『仲良く』してくださいね」


 せしるんは、俺の耳元で俺にだけ聞こえるくらいの声でささやいた。


 もちろん意味は分かる。めちゃくちゃテレくさい。「せしるんのうちに泊まってくる」って言ったら、娘達は何にも聞かないんだ。


 多分、意味が分かってて聞かないんだなぁって思う。女の子はすごいなぁ。察する能力が半端じゃない。


 今日の俺の仕事は、娘達のためにコーヒーを淹れることだけだな。



 ○●○


 それからしばらくして、俺達の「スーパーマーケットイベント作戦」は大当たりだった。


 YouTubeで新しい拠点の宣伝を動画内で行うので、参加したスーパーがそろって売り上げを伸ばした。狙い通りだった。


 くまくまみゅー、にゃーたん、せしるんのユニットがオープニングイベントを行った。

 そして、それをネットニュースが取り上げて、さらに集客になり売り上げが爆増というおまけ付き。


 スーパーの本部としては、大喜びで一定期間ごとのイベント依頼の話まであったほどだ。


 予定外だったのは、他のスーパーマーケットチェーンからもイベントのオファーがあったこと。


 契約したスーパー本部さんもOKってことで、糸より村の野菜は思いの外好条件でたくさんの店に置かれ始めた。


 スーパーの本部の人に聞いたら、一社独占より多くのところでイベントをした方が長く話題になるし、「最初はうちの店」みたいに話題にもなるなるのだとか。


 専属契約とかじゃなかったからよかった。


 それでも、最初のチェーン店は10店。週末ごとにイベントをしても3ヶ月はかかった。


 嬉しいことに、チェーン店単位で2つ目、3つ目と契約していくと、逆に「糸より村の野菜を入れてないと客が減る」みたいな流れになってきた。


 まあ、俺達にとっては追い風。意気揚々と契約を進め、株式会社糸より村はその販売先を増やしていった。


 そして、今日も一軒のスーパーへ。そこの店長さんは焦土嵜(しょうどさき)さんと言うらしい。俺達糸より村の噂を聞きつけてオファーしてくれたのだ。


 例によって、せしるんは一緒に仕事に付いてきてくれている。ちょっとした秘書みたいな仕事もしてくれてるし、ありがたい限り。


「お父さん、今日はここなんですね」

「そうそう。ここの店長さんが本部の役員さんでもあるんだって。焦土嵜さんっていうんだって」

「しょうどさき……珍しい名前ですね」

「確かに。覚えやすくていいや」


 そんな話をしながら現場に着いた。スーパーの屋上駐車場を使わせてもらってるんだけど、結構広い。ショッピングモールみたいだ。


 今日行くのは3階の事務所。どこにあるのか扉を探すのが一苦労だ。なまじよく知ってる店だから余計にか。


 事務所までは距離もあるし、相変わらず、せしるんが俺の手に指を絡めてくる。なんか、最近ますます好かれてるな。


「実は俺、この辺りに住んでたんだ。お客さんとして何度も来てるから、そんな事務所に続く扉があるなんて不思議だ」

「へー、思い出の場所なんですね」


 まあ、思い出と言えば思い出だけど、元嫁とも何度も行った店だ。仕事とはいえまた来るようになるとは……。気分は複雑だ。


 あ、こんなとこに!


 3階のトイレの奥に事務所への扉を発見した。


 普通のお客さんが入らない場所に入れるのは何だか特別感があって嬉しい。


「あ、もしかして、糸より村の……?」


 大きなドアをガッチャンコと開けたところでたまたまお店の方とエンカウントした。訪問時間は事前に決めていたので迎えに来てくれたのかも。


「あ、はい。株式会社糸より村の善福熊五郎てす。焼酎みたいな名前ですが本名です」

「はは、焦土嵜です。どうぞこちらに」


 そう言って事務所のドアを案内してもらった。そして、ここで大事件が起きることになる。

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