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第76話:乱入

 直接取引を新しいスーパーのチェーン本部と始める予定だ。しかも、俺達の評判を聞いて向こうからのオファーなので、契約できる可能性はかなり高い。


 1つだけ気になるのは、狭間さんから契約は即決しないことを言われたこと。実は、これまでも新しく行くお客さんのところは、事前に狭間さんに相談してから行っていた。それなのに今回だけそんなことを言われたのだ。


 それが少しだけ気になっていた。それでも、意味は分からないから、とりあえず話だけは聞いていこうと思っている。


「焦土嵜といいます」


 改めて自己紹介された。かなりウエルカムムードがあって、お茶はもちろん、お茶菓子まで出してもらった。今までスーパーの本部に何度も営業に行ったけど、こんな対応は初めてだった。


「私は、善福熊五郎です。焼酎みたいな名前ですが、本名です」

「ぜんぷく……? どこかで聞いたことがあるような……」


 割と珍しい名前なので、初めてそんなことを言われた。


「こっちはせしるん、YouTuberです」

「すごいですね、こんな若くてかわいい秘書さんがご一緒で羨ましいです」

「いや、それほどでも……」


 せしるんは褒められて、めろめろだった。焦土嵜さんは俺よりも若そうだし、イケメンだったので少しだけ嫉妬した。彼女は若い。これからはこんなことも多いだろう。俺の方が慣れないとな。そして、常に、せしるんをめろめろにしていかないといけないな!


 少し余計なことを考えたけど、焦土嵜さんはスーパーの内情を教えてくれた。


「最近、スーパーの売上が下がっていて存続の危機なんです。幸いうちは他の部門もあるので経済的には強固なんですけど……」


 聞けば、食品の製造とかもやっているらしく、一族で幅広く商売をやってる家系なのだそう。俺みたいなのからしたら羨ましい限りだ。


「ちょうどうちくらいが一番苦しくて、大手の全国チェーンは資本力が違います。あと、1店舗とか2店舗とかのところは、従業員との関係も密で小回りがききます」


 だけど、10店舗くらいの経営となると、段々従業員一人一人の顔は分からなくなるし、会社の求心力がなくなっていくのだとか。


「そこで、御社の野菜です! 失礼ながら調べさせていただきました。直接取引を始めてから全店舗売上げアップ! これは凄いです!」

「ありがとうございます」


 お姉ちゃんと智恵理、せしるんの功績は計り知れない。


「中堅ではうちだけ置いてないので、お客様からも問い合わせをいただいてて……」


 かなり良い流れ。


「私は当店の店長もしてますが、もともと本部の人間でして、今は修行中というか、現場に経験中なんです。だから、私の意見は本部の意見と考えてくださって差し支え有りません」


 もんのすごく良い流れ! これのどこに不安要素があるっての? 今回ばかりは狭間さん情報も間違い……ってか足りなかったかな?


「ここだけの話、売上げのV字回復を期待してまして、のカンフル剤として……」


(ガシャーーーン!)『困ります! ここは関係者以外立ち入り禁止です!』


 事務所の外で何か騒ぎ?


 店長さんが話していると、それを遮るように外で騒ぎが起きているようだ。


『私はカレの奥さんだって言ってるでしょ! 直接話したら分かるんだから! 通しなさいよ!』

『すいません! 今、大事な来客中なんてす! お静かに!』


 ここは比較的大きなスーパー。事務所への扉は店の人しか気づかない。俺だって何度も来たのにここまで入ってきたのは初めてだ。


 つまり、外の人は店の関係者? なんかモメてるなぁ。あと、気のせいか聞き覚えがあるような声……?


「……すいません。何かお客さんが騒いでるみたいで……」


 慌てながらも申し訳なさそうな店長さん。接客業って大変なんだろうなぁって漠然と思った。


(ガチャ!)「ちょっと! もう連絡するなってどういうこと!?」


 さっき外で騒いでいた人が、従業員さんを振り切って事務所の中にまで乱入してきて決まったようだ。


「すっ、すいません! 店長!」

「もう、何なんだ! 今は大事な接客中だって言っただろ!」

「すいません! でも、この人が!」


 従業員さんがめっちゃ怒られてる。こんな場面に遭遇したら、どんな顔をしたらいいのか……。俺は見ないふりで出されたお茶に手を付けた。


 せしるんはそっとお茶菓子を食べてる。多分、俺と同じ心理状態だろう。俺達は何も見ていない。見ていないのだ。


「あんたねぇ! 私はあんたのために離婚までしたのよ! それが……あなた?」


 大騒ぎしているクレーム客がピタリと止まった。ついついそっちを見てしまった。



 そしたら、そこに別れた元嫁がいた。


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