俺は何が起きたのがまだ理解できてない。見たものは見た。多分、間違いなく元嫁だ。
でも、理解が追いつかない!
ここは営業先のスーパー。昔俺が住んでいたところの近く……元嫁はパートに出てた。それは、近所のスーパー。
元嫁はパート先の店長と浮気、不倫して……俺に慰謝料払って出ていった……。その後、俺のストーカーみたいになって、撃退して……。
今、目の前に元嫁がいる。営業先のスーパーの事務所。目の前には店長……。
分かった。
俺は全てを理解した。遅ればせながら理解した。
つまりは、目の前の店長こそが元嫁の不倫の相手で、俺の敵。結局一度も会わずに、名前も知らない……。
一応、興信所に調べてもらった書類には書いてあったんだろうけど、ちゃんと読まなかった……読めなかった……その人だ!
「なんであなたがここにいるの!? カレと何の話をしてるの!? 私のこと!? 私のことをどうするか話してるの!?」
「こら! やめないか! こちらは大切なお客様なんだよ! 出ていけ!」
店長さんが元嫁を追い出そうとしていた。
あまりのことに、せしるんが怯えて俺の肩に掴まる。俺も安心させようとその手に手を添えた。
「はあーーー!? 何!? その女! 浮気!? 浮気なの!?」
もうめちゃくちゃだ。
「お前は……静かにしろ!」
俺の一言で事務所は静まった。従業員さんは戻され、事務所には俺、せしるん、店長焦土嵜氏、俺の元嫁の四人になった。
人間関係が最高に複雑になった瞬間だった。あり得ない。神の悪戯か、悪魔の罠か。世の中ってこんなに狭いのか!? それとも、すごい確率なのか。はたまた、何らかの引き合わせなのか……。
事務所の応接セットに四人座ってた。俺の横には当然せしるん。テーブル挟んで向かいには店長焦土嵜氏、そして、その隣に俺の元嫁。
「ピンク頭! なんであんたがそこに座ってんのよ! そこは妻の席でしょ! 代わりなさいよ!」
先制攻撃は元嫁。
「お父さん……」
こういう高圧的な人間に徹底的に弱い、せしるん。俺の腕につかまって目で助けを求めてきた。
「もう分かったと思うけど、あの人は俺の別れた元妻だ」
「『あの人』とか言わないで! 妻でしょ!」
いや、もう別れてるから。頭がおかしいのか、このときにはもう元嫁には話しは通じないって思ってた。
「彼女はせしるん。俺の妻だ」
それでも元嫁にそう告げた。心を折れればいいと考えたのだ。
「はあーーー!? そんなの嘘でしょ! その子いくつよ! 頭ピンクだし!」
すごい剣幕に益々怯えるせしるん。俺は肩を抱きしめ安心させた。
「やめろ! こちらは糸より村の村長さんだぞ!」
「はあーーー!? そんちょう!? なにそれ!?」
焦土嵜氏が止めにかかったけど、元嫁はテーブルの上の俺の名刺を取り上げて見た。
「はあーーー!? 社長ーーー!? どういうこと!? あんた平社員の営業でしょ!? こんなの嘘でしょ!?」
「バカ! 誰と間違えてるんだ! 知らないのか!? この方は、糸より村野菜を一手に牛耳ってる会社の社長だぞ!」
別に牛耳ってないけどな。農家さんたちは普通にこれまで通り農産物をJAにも納めてるし。
「あなたが……?」
元嫁の視線が再び俺に……。
「やっと、私を迎える体制ができたってこと? もう、待たせすぎよ!」
元嫁の笑顔の発言は斜め上すぎて、もはやホラーだった。
「俺は彼女と結婚したんだ。何度も言うけど、お前とは終わったんだよ」
俺達の会話で、焦土嵜氏も状況を理解したらしい。みるみる顔が青くなっていった。
「そんなの嘘でしょ! こんな若い女があんたみたいなおっさんと結婚するわけない! 嘘つくなら、もっとマシな嘘つきなさい!」
「本当です! 私はお父さんと結婚しました! ちゃんと夫婦です!」
ここで、せしるんも参戦してしまった。
「はあーーー!? お父さんだあ!? 親子ほど年が離れてて結婚とか……汚らしい! 汚れてる!」
「汚れてるのはお前達だろ。俺は不倫されて傷ついた。トラウマにすらなった。もう、結婚はいいやとすら思ったよ! 彼女は……せしるんは、そんな俺に真っ向から好きだって言ってくれたんだよ」
いつの間にか、俺はせしるんとだったら頑張れるって思っていた。「結婚」って単語にはまだアレルギーがあるけど、せしるんとはお互いの家を行き来する「別居婚」だったし、俺の中では従来の結婚のイメージから離れていて、別のものと捉えていた。
新婚と従来の娘達との生活の両立……それでいて、その2つの融合……みたいな。それが今の俺の生活スタイル。かなり満足してる。
「あなたも、こんな若いのに騙されて! どうせ身体が目当てでしょう! いやらしい!」
うーん……身体は……かなりいい。そこの点は言い返せない。どうも、俺とせしるんは身体の相性がいいみたいで、かなり「仲良く」しちゃってる。
せしるんが気を失うのか、寝てしまうのか、そこは微妙だけど、とことんまでしてお互い裸で抱き合って寝てしまうのが最近のパターン。
俺もせしるんの全身にキスしたし、せしるんも真似して俺に返してくれる。舐めたり、甘噛みしたり、いろんなポーズでいろんな角度で……
「何、黙ってんのよ! いやらしい!」
元嫁の言葉で現実に呼び戻された。
あ、ホントにそんなことを考えてた。せしるんを見たら、彼女も真っ赤だ。多分、俺とおんなじようなことを考えてたな……。
「お父さんとの……その……は、すごくて……新しい扉が開いたっていうか……、今まであんまり興味なかったんですけど、今は夢中っていうか……」
「こらこら、何言い出すの」
暴走し始めた、せしるんを俺は慌てて止めた。
「だって……」
いや、だってじゃないから。
「きーーーっ! 見せつけて! あんたみたいのがいたら、私の帰る場所がないじゃない!」
「これも何度もいうけど、もうお前の帰る場所はうちにはないよ。娘達も嫌がってる」
(ガチャーーーン!)俺の言葉に元嫁がテーブルの上の茶碗を掴んで俺に投げつけてきた。
俺は反射的に避けると、それは後ろの壁にぶつかって大破した。それでも、お茶は少しかかった。冷めててよかったけど。
せしるんを確認したら、お茶もかかってない。よかった。
「娘達がお前みたいな女、追い出してくれるわ! 難しい年頃なんだから!」
「もうよせ。娘達はせしるんのことが大好きで、俺とのことも後押ししてくれてるみたいだ」
「……」
元嫁は黙り込んだ。立ち上がったまま鬼の形相で、ふーっ、ふーっ、ふーって肩で息をしてる。
「金持ちだから……、おっきな会社の社長だから……、イケメンだから……。幸せになれると思ったのに……。旦那まで捨てたのに……」
元嫁が何かつぶやいていた。
せしるんはソファに座ったままだけど、俺はその前に身を乗り出して彼女を守っている。
「中卒旦那が、社長の村長の、お金持ちの……、全部全部なくなって……私が……自分で……」
元嫁のつぶやきは意味不明でよく聞こえなかった。ただ、肌の色が明らかに悪くなっていったように見えた。肌色から茶色っぽい方向に5段階くらい色が暗くなった。
焦土嵜氏は……もう、空気。しゃべらないし、動かないし。顔は真っ青。
「きーーーーーっ!」
ここで元嫁が叫びだした。こんなのを発狂っていうのか!? 人が人じゃなくなったみたいに急に悲鳴みたいな嫌な音を発し始めた。
次の瞬間、横にソファに座っていた焦土嵜氏に馬乗りになって襟首掴んで「お前のせいだーーー! 全部お前のせいだーーー!」って叫んでいた。
俺は立ち上がり、せしるんも立たせた。
「ぜ、善福さん……」
焦土嵜氏が「助けて」なのか「契約は」なのか、とにかく縋るような視線でこちらを見て手を伸ばしてきた。
「俺は不倫する人は信じられませんし、娘達に変なことをしたり、暴力を振るう人とは仕事できません」
俺は焦土嵜氏の顔も見ず、背中越しに言った。狭間さんには事前に「即契約は待ってください」と言われていたけど、「即破談」は良かったのだろうか……と思ったけど、それを思い出したのは事務所の扉を出たあとだった。