「なによ、やっぱりあたしに用事があったんじゃない! だったらあのとき素直に言いなさいよ! アーヴィンってばそういうところがもう、本当に意地悪というか卑怯というか!」
「馬鹿っ、声が大きい!」
叫んだローゼの口をディアナが片手で慌てて塞ぐ。
「周りの子にバレないようにしてローゼだけを呼んで欲しい、って話だったんだから。静かにしなさいよね」
「ご、ごめん……?」
ディアナの手越しにもごもごとローゼが謝ると、きょろきょろと辺りを見回してからディアナは手を離す。
「まったく……あんたってばまた何かやったんでしょ。今度は何?」
「ぜんっぜん思い浮かばない。っていうかあたし、『今度は』って言われるほど問題児じゃないわ」
「嘘言うんじゃないの。だいたいね、今の神官様が初めて村にいらした時、半年くらい逃げ回ってたことは誰も忘れてないわよ? あれもあんたが
「えーっ……違う……」
「だったら何があったのか言ってみなさいよ。みんな未だに真相を知りたがってるんだからね」
「な、なんでもいいじゃない。もう六年も前に終わったことよ!」
目をそらしたローゼを笑った後、ディアナはローゼの背を思い切り押す。
「まあいいわ。とにかく、神官様にお会いして叱られてきなさいな。みんなには私が適当に言っておくから!」
押されてよろけたローゼが姿勢を整えて振り向くと、ディアナは扉の向こうに消えていくところだった。ため息をつき、ローゼは仕方なく神殿へ向かう。
“グラス村の集会所”という名前はついているものの、元はと言えばこれは神殿が所有する建物の一つであり、神殿側の好意で村人用に使わせてもらっているだけにすぎない。よって、集会所の先にある角を曲がると、神殿の入り口はすぐそこだった。
短い距離を歩きながら、ローゼはアーヴィンの用が何なのかを考える。
(この前の勉強会で質問した『神殿が魔物の序列についてどう考えてるか』についての内容がまずかったのかな。そりゃ、強い魔物が上位に決まってるのはあたしだって知ってるけど。でも……あ、それともあれかな。『神聖術を使う時にかかる対価については誰がどうやって決めたのか』。もちろん王都の大神殿の偉い人あたりが決定した金額なんだろうけどさ……いや、待てよ。もしかしたら『神官と神殿騎士、魔物と戦ったときに強いのはどっち?』って話が駄目だった? うーん、あるいは……)
結局まったく思い当らないまま角を曲がり、神殿の門が見えたところでローゼは息が止まるかと思った。とても美しい青の色が風に揺れていたからだ。
グラス村の北には小さな池があり、空の青を映してとても美しくきらめく時がある。しかしローゼが一番美しいと思っていたあの青にだって負けないくらい、この青は美しい。
とても鮮やかで、風に揺れるたびに光の加減で強く、弱く、輝く青。
それがアーヴィンの着る衣装の色なのだと分かったのは数瞬の後だった。
「アーヴィン、その衣装どうしたの!」
叫んで駆け寄り、そしてローゼは分かった。衣装の全面、胸元から足元までは、金の糸を使って豪華な刺繍まで施されている。
「すごいわ、こんなの見たことがない! なんて綺麗な――」
「ローゼ」
衣装だけしか目に入っていなかったローゼが視線を上げると、彼の顔色は良くない。
「えっ……アーヴィン? 具合でも悪いの?」
「いや、大丈夫だ」
ローゼの言葉を受けてアーヴィンはゆるゆると首を左右に振る。
「実は、ローゼに会いたいというお客様がいらしてる」
「え? あたしに?」
アーヴィンが顔色を悪くしているのはどうやらその“客”が問題のようだ。
村内の人物であればアーヴィンがこのような言い方をするはずがない。だとすると。
「村の外から……?」
アーヴィンの頷きを見て、ローゼの心には戸惑いと不安が湧き上がってきた。
村からほとんど出たことがないローゼには他から訪ねてくるような相手の心当たりなんてない。しかもアーヴィンは「いらした」と言った。であれば身分ある人物だろうか。それはアーヴィンにとって悪い相手なのだろうか。ならばますます心当たりなどない。
「ええと……誰、なの?」
「大神官様だよ」
「は?」
言われた内容はあまりに意外すぎた。ローゼは目を見開いたままぽかんとする。
ローゼが生まれたこの大陸には五つの国がある。そして大陸の宗教は基本的に一つしかない。“
大神官とは、そんなウォルス教の神官たちを束ねるもの。常に各王都の大神殿にいる彼らはそれぞれの国に五人ずつ、つまりこの広い大陸すべてにおいて二十五人しか存在しない人物だ。しかも貴族相応の地位を持っているとまで聞いたことがある。
「や、やだなあ、アーヴィンたら。そんな偉い人がただの村人に会いに来るはずないでしょ? 騙すつもりならもう少しマシな嘘を言ってよね!」
あはははは、と乾いた笑い声をあげるローゼだが、アーヴィンの生真面目な表情は変わらない。夕の声に乗って流れていくローゼの声は徐々にすぼんでいき、やがてかき消える。
「……嘘……よね?」
小さな声にはきっぱりとした返事が戻ってきた。
「本当のことだよ」
「本当の、こと……」
ローゼは呟いてみるが、実感などまったく湧かない。
「だって、どうして? 大神官様なんて、そんな偉い人があたしなんかに……そうよ。そもそも、どうしてあたしのことを知ってるの?」
「すべて大神官様が教えてくださるはずだよ」
「アーヴィンが教えてくれたらいいじゃないの」
「申し訳ないけれど、私は何も言えない」
「そんな……」
うつむいたローゼは服の裾を握る。落としきれない泥汚れがスカートにあるのを見つけた。袖回りには、ほつれも。
(こんな状態のあたしが、偉い人の前に出なきゃいけないの?)
どんなに綺羅を纏っていてもそれがアーヴィンなら構わない。グラス村の神官であるアーヴィンは普段の村人の状況もよく分かっている。
だけどこれから会わなくてはいけないのは華やかな王都から来た大神官、ただの村娘であるローゼにしてみれば雲の上の人物だ。どのような態度で会えば良いのか分からないし、きちんとした受け答えができる自信だってない。
唇を噛んだローゼは顔を上げる。アーヴィンの灰青の瞳を見て言い切った。
「絶対に会わない」
ローゼの言葉を聞き、彼は小さく笑う。
「そう言うと思った。でも、絶対に会ってもらうよ」
アーヴィンの言葉にむっとしたローゼは、考えついた「会いたくない理由」を矢継ぎ早に述べる。
「嫌よ。だってあたし乙女の会の途中で何も言わずに抜け出してきたのよ。次に皆に会ったとき質問攻めにされるからせめて一度戻らないと。あと、もう少ししたら家の手伝いに行かなきゃいけないし、それに――」
しかしローゼがどれだけ言葉を尽くして断っても、アーヴィンは頑として会ってくれという姿勢を崩さないし、大神官が来た理由も答えない。業を煮やしたローゼが帰るそぶりを見せると、アーヴィンは回り込んで門を閉めてしまった。ならば壁をよじ登ろうと辺りをちらちら窺っていると、今度は宥めすかし、挙句には「ローゼが欲しいものがあれば、なんでも用意してあげよう。王都から本を取り寄せたって構わない」とまで言ってくる。
どうやらアーヴィンの態度から察するに、彼は大神官がこの村まで来た理由を知っている。知っているが言うつもりはない。そしてその状態のままローゼを大神官に会わせたいと考えている。
ローゼはため息をついた。
(これは『何か』あるわ……)
おそらくアーヴィンが頑なに何も言わないのは口止めされているからだろう。しかしきっとそれだけではない。
アーヴィンがこの村に赴任してきてから約六年。今まで彼と話してきた中でローゼは、彼に不思議な空気を感じたことが幾度もある。
それはしがらみや身分などにあまり囚われていないところ。
例えば神官は民から尊崇を受ける立場にあり、本来ならローゼが「アーヴィン」と名前を呼び捨てにするのはありえないことなのだが、頓着なく許しているのもその片鱗だともいえる。
今回だって例え上層部から口止めされていたとしても、言った方が良いとアーヴィンが判断したのならきっとローゼの問いに答えてくれたはず。
だけど彼は何も言わない。
ならばアーヴィンは「何も知らないまま大神官に会うのはローゼにとって必要なこと」だと判断したに違いない。
少々腹黒いところもあるアーヴィンだが、状況を考えずにただ意地悪をするわけではないことくらいローゼだって知っている。
(……会うしかないみたいね……)
諦めたローゼは、嫌々ながら首を縦に振る。
「分かった。会うわ。で? 大神官様はどちらにいらっしゃるの? 神殿?」
「いいや。村の外の草原だよ」
「草原?」
ローゼは眉をひそめる。
村の外にある草原は、ここからだとそれなりに距離のある場所だ。なぜそんな所にいるのだろうか。
尋ねてみると、これには答えがあった。
「人数が多いし、他に荷物もあるからね」
「そうなの?」
田舎だけあって、グラス村の土地は広い。
道幅もあり、それなりに舗装もされているので、馬車が通っても平気だ。家と家の間だって十分な間隔がある。
それでも村に入るのは難しいと判断したのなら、いったい何人で来たのだろうか。
(十人や二十人じゃないってことかしら)
大神官ほどの人物ともなれば護衛の数もそれなりにいるのかもしれない。
「そんなにたくさんの人を引き連れてくるなんて、大神官様って本当に偉いのね。アーヴィンがこんなすごい衣装を着てるのも、大神官様をお迎えするからなんでしょう?」
「それもあるかな」
「それも? 他にも理由があるの?」
首をかしげるローゼから視線を外し、アーヴィンは神殿の入り口を示した。
「本は神官補佐に預けておいで。持っていくわけには行かないからね」
どうやら衣装を着ている理由も答えたくないらしい。
彼の態度は不満だが、大神官に会うと決めたローゼに残された選択肢はほぼない。渋々ながらも言われたとおりにして、ローゼはアーヴィンと連れだって草原へと向かった。
道すがらローゼが質問しても、アーヴィンからの答えはほとんどなかった。会話にまったく意味を感じなくなったので、仕方なくローゼも黙って歩を進める。村人は珍しい衣装を着たアーヴィンと、そのアーヴィンと一緒にいるローゼの組み合わせに興味津々のようだったが、重い雰囲気を察したのか質問してくる人は少ない。
あとで質問攻めにあうんだろうな、と思いながら道を行き、村の内外の境である高い石壁から出た辺りでアーヴィンはふいに立ち止まる。どうしたのだろうかと見上げてみると、彼はとても真摯な面持ちをローゼに向けている。
「ローゼ。雰囲気に飲まれないように。慌てず、落ち着いて、良く考えて。そして堂々としているんだよ」
夕刻の冷たい風が、ローゼの赤い髪と、アーヴィンの褐色の髪を揺らす。
「この後のローゼがどんな選択をしても、私は必ずローゼの味方をするから」
どういう意味なのかは分からないが、おそらくこれから大神官と会うことに関係するのだろう。
考えて、ローゼはうなずく。
「……うん、分かった」
ローゼの返事を聞いたアーヴィンは雰囲気をやわらげ、いつも通りの声で促した。
「じゃあ、行こうか」
そうして彼は微笑むが、それは多分に憂慮が感じられる笑みだった。