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4話 草原

 集落をぐるりと取り囲む高い壁は聖なる祈りを込めた石でつくられており、結界の役目も果たしている。内にある神殿の日々の祈りを受け止め、内へ戻すことにより、内に住む人々を守っているのだ。この石壁さえあれば、よほどのことがない限り集落の中に魔物が出ることはない。


 だけど壁の外は話が別だ。地の底から現れる魔物たちとは、いつ、どこで、会うか分からない。よって人々は壁の外へ出る用事があるとき、守りの力を持つ札を神殿で買うのが一般的だった。今日のローゼは札を持っていないが、魔物に対抗できる力を持つ神官が一緒にいるのだから安全だ。


 その頼りになる神官、アーヴィンと並んで村の外を歩いているうち、ローゼは見知らぬ場所を目にして首を傾げる。


(……ここ、草原だったよね? アーヴィンも大神官様は草原で待ってるって言ってたのに、変だな。こんな場所が村の近くにあったっけ……)


 心の中で呟いたローゼは目をすがめ、息をのみ、足を止めた。

 そこが草原だと分からなかったのは、色が違っていたからだ。


 草原は普段なら緑が広がる。たまに家畜が放牧されて違う色がまざることはあるけれど、基本の緑は変わらない。

 しかし夕の光に照らされる草原は、草が目立たなくなるほど別の色で溢れている。

 主に、青と、白。神殿の基調色だ。


「ア、アーヴィン。あれって……」


 声は震えていた。しかしアーヴィンはローゼの言葉に、


「ローゼはさっき、会うって言ったね?」


 とだけ言い、背にまわしてきた手に力をこめる。強いわけではないのだが、立っているのもやっとのローゼの足は抵抗できない。よろめくようにして前へ進む。


「待って。ねえ、だって」


 言いながら幾度か押されて移動するうち、向こう側でもローゼに気づいたらしい。誰かの合図を機に人々が一斉に動いて列を形成する。洗練された見事な動きだ。そしてその先頭へ恰幅の良い男性が悠々と現れ出る。


 彼が着ているものは、今のアーヴィンとよく似た神官服だ。しかしアーヴィンの鮮やかな青とは違って色は黒に近い紺。後ろにも同じような衣装の人々はいるが、先頭の男性よりも濃い色の服を着ている人はいないように見えるので、もしかすると神殿では身分が高い人物ほど濃い色の服になるのかもしれない。

 青い服の人々の後ろには白い色が見え隠れしているが、これがどういうものなのかは分からない。分かるのは、パッと見ただけでは把握できないほどの人数がいるということだけだ。


(どうなってるの!?)


 ただならぬ雰囲気を感じたローゼの足がまた止まる。


「――落ち着いて」


 今度は低い声で言ってから、アーヴィンが手にそっと力を籠めた。ローゼはぎこちない足取りのまま歩き出し、よく分からないまま集団の先頭にたどり着く。

 ローゼは先頭の男性と向き合う形になった。痺れたような頭のどこかで「彼の胸元にある黄金の刺繍はアーヴィンのものよりずっと豪華だな」などと考える。

 その男性がローゼを見た。表情は厳めしく、眼光は鋭い。彼の視線に嫌なものを感じて思わず後ずさりそうになったが、背中を支えていてくれた手があったおかげでローゼはなんとか場にとどまれた。


 そのまま軽く二、三度ローゼの背を叩いてアーヴィンは離れ、男性の前に立つと恭しく一礼する。


「アレン大神官様。ローゼ・ファラー様をお連れ致しました」


(ローゼ・ファラー……さま?)


 アーヴィンがローゼに敬称をつけて呼んだことなどない。むしろ本来はローゼが神官に敬称を付けなくてはならない立場だ。しかしアレン大神官はそれに対して眉を顰めることもなく、


「ご苦労」


 とだけ言う。

 アーヴィンはさらに一礼して、並んでいた人々の中へ入っていく。

 彼を呼び止めたくなる気持ちを堪えながら目の端で後ろ姿を追っていたローゼはふと、いつの間にか大神官が更に近くへ来ていることに気が付いた。


 アレン大神官の年齢は六十歳といったところか。生え際の薄茶色は少々後退しているが、後ろ髪はきちんと肩より下に伸ばしている。これは神殿所属の人物のきまりだから当然だ。

 そうして彼はローゼと向かい合い、髪とよく似た色の瞳でジロジロとローゼのことを見ていたが、ややあって足を引き、長い裾をうまくさばきながら膝を折った。それを合図にして後ろの人たちも大神官にならう。

 立っているのはローゼだけとなったところで、ようやくこの場の全容が分かった。


 手前の方にいるのは青い神官服を着た人々だ。五十名ほどはいるように見える。その後ろには白い鎧の人々が、神官と同じくらいか、もしかしたら少し多いくらい。

 さらに後ろには馬車が置かれている。人を乗せると思しき馬車の中には一台だけ豪華なものがあり、荷運び用であろう馬車もあるが、馬の姿は見えない。近くの林にでも繋いでいるのだろうか。


 すっかり様変わりした草原を見てローゼは呆然とする。

 本当に、どういうことなのだろう。

 そしてなぜ全員が、それこそ大神官までが、ただの村娘である自分に向かって膝をついているのだろう。

 ずらりと並んだ人々を前にして何が起きているのかも分からないローゼは、ただおろおろと視線を彷徨わせるばかりだ。


(ねえ、アーヴィン。これは何?)


 この場でひとりきりの知り合いに向かってローゼはそう尋ねたい。しかし彼は青い群衆の中でローゼに向かって頭を下げていて顔も見えない。そればかりか雰囲気からは余所余所しさしか感じられず、ローゼは本当に彼と知り合いだったのかどうかさえ判然としなくなってくる。


 怖くて堪らないローゼが足元の緑へ視線を落とすと、正面から声が聞こえた。


「ローゼ・ファラー様。お目にかかれて光栄に存じます。私はアストラン王国の大神殿にて大神官を務めます、モーリス・アレンと申します」


 おそるおそる見てみると、彼はまだ頭を下げていて顔は見えない。だが、その状態でも声は思いのほかよく響いた。


「本来ならば私が出向かねばならぬところを、わざわざこの場までご足労頂きました非礼をどうぞお許しください」


 その声からは何の感情も窺うことができない。

 答えて良いものなのか、しかしなんと答えたら良いのか。分からないのでローゼは黙っていた。


「我々がこの地まで参りましたのは、神々より託宣たくせんがあったからでございます」


 そう言って大神官は顔を上げる。


「ローゼ様、聖剣のことはお分かりですね?」


 神々から与えられた魔物を打ち倒すための武器、聖剣。

 この世で聖剣のことを知らない人物がいるとは思えない。教典に記載があるのだから。

 そうでなくともローゼは聖剣の伝説も好きだ。神殿の書庫にあった本も読んでいるので、教典にある以上の知識も持っている。


 ローゼがうなずくと、大神官は先ほどまで打って変わって痛ましそうな視線を向けて来る。


「神より賜った、魔物を打ち倒すための聖剣。――ローゼ・ファラー様。あなた様は神により、聖剣せいけんあるじとして選ばれたのでございます」


 何を言われたのか理解するまでにはしばらく時間が必要だった。

 目を見開いたまま動きを止め、やがてローゼはかすれた声で呟く。


「聖剣の主に選ばれた……? ……あ、あたしが……?」


 まず浮かんだのは否定の言葉だ。まさか、ありえない、とローゼは頭の中で繰り返す。


 天上には主神のウォルスを始めとした“ひかり十柱とおはしら”と呼ばれる神々が存在し、人々に恩恵を与えてくれている。

 そんな光の神々と敵対する者が、地の底深くに住まう“闇の王”。その闇の王が人間を苦しめるために地上へ出現させているのが『小鬼こおに』のような魔物たちだ。


 魔物は個別にしか現れないし、しかも出てくるものの大半は、さほどに強くない小鬼ばかり。グラス村だって近くに小鬼が出ることはあるし、その場合は大人たちが討伐隊を組み、神官と共に戦う。

 だが、時には『食人鬼しょくじんき』や『幽鬼ゆうき』といった強力なものが現れる。そういった魔物になると一般の者たちには手が出せず、神の力を行使できる『神官』や『神殿騎士』が主となって戦うのだが、彼らですら苦境に陥ることもしばしばだ。

 そうした人々を哀れみ、神々が与えてくださったのが、魔物に対して強大な威力を発揮する『聖剣』だった。


 この大陸に聖剣は十振ある。大陸の五つの国に十振の聖剣、つまり各国に二振ずつ。

 どの聖剣も初めに聖剣を手にした人物の子孫がそのまま主となるが、彼らの住居は王都にあると聞く。辺境の村で生まれ育ったローゼには何の関係もないし、農業を営む家系に生まれたローゼに聖剣の主の血が入っているはずもない。


 呆然としたままのローゼに、大神官は言う。


「二か月ほど前、アストラン大神殿にいる巫子みこたちが全員同じ夢を見ました。それは、グラス村のローゼ・ファラーという娘が聖剣の使い手として神に選ばれた、というものでした」


 大神殿は各国に一か所、それぞれ王都に存在する。

 ローゼが住むのは大陸の西にあるアストラン王国、だからアストラン大神殿。


 そして大神殿には巫子という、神々の声を受け取るものがいるそうだ。彼らは夢を介して神からの託宣を得たり、神々を体に降ろして人との仲立ちをするらしい。

 各大神殿には十名の巫子が在籍している。夢で託宣を得る時は、同じ夢を見た人数が多いほど信ぴょう性が高くなるという話だった。


 ――では、全員が同じ夢をみたということは。


 ローゼが思いを巡らせる間にも、大神官は話を続ける。


「十振の聖剣は千年前から人の世にあり、今もその主様方あるじさまがたが日々魔物と戦っておられます。よってローゼ様がお持ちになるのはこの十振の聖剣のいずれかではなく――」


 一度会話を切り、大神官は言う。


「最後に作られた一振。四百年前に人の手に渡されて初めての主様がお使いになり、以降は誰も手にしていない聖剣」


 さらにもう一度切り、ローゼを見つめた大神官は厳かに告げる。


「ローゼ様は十一振目の聖剣の、歴史上おふたり目の主様となられるのです」


 大神官の話を聞いても、ローゼは何の言葉も発することができない。


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