(これは、本当のことなの? もしかしたらあたし、夢でも見てるんじゃない?)
ローゼがぼんやりしていると、再びアレン大神官の声が響く。
「……おいたわしいことでございます」
はっとして声の方を見ると、大神官はローゼを見つめたままだった。しかしその顔には先ほどまでと違い、何かの感情が浮かんでいるように思える。
「ローゼ様はごく普通の暮らしをなさっていたと聞き及んでおります。そのような方が急にこのような話を聞かされるなど……お受けになった衝撃はいかばかりか」
確かにその通りだ、とローゼは心の中でうなずく。
「ローゼ様、これより私が申し上げることは神々に背く行為なのかもしれません。しかし、あえて申し上げます」
アレン大神官の声には少しばかり哀れみが含まれている気がした。
「ローゼ様が手にされるご予定の聖剣は、四百年もの間、人の世から離れておりました。しかも最初の主様は聖剣を手にした後、十年もたたないうちに世を去っておられます」
「十年も……たたずに……」
印象深かった言葉をつい繰り返すと、アレン大神官がわずかに相好を崩して、再び引き締める。
「かねてより存在する十振の聖剣は長く人と共にございますため、その歴史も知られております。しかしその長い歴史の中、十年という短い期間で世を去られた主様など、おひとりたりともおられないのです」
十一振目の聖剣は先の十振とは何か違うのかもしれません、と続ける大神官の表情はとても切ないものとなった。初めに見た厳めしい表情が嘘のようだ。
「聖剣を手にした者は魔物と戦い続ける役目を負います。ローゼ様にとってはお辛いことでしょう。しかもそれより私は、十一振目の聖剣という正体不明の存在をお渡ししなくてはならない、そのことの方がつらくて仕方がありません」
確かに聖剣を持つからには、よく見る小物と戦うことを期待されているわけではないだろう。ときおり現れる手ごわい魔物たちとの戦いを求められるに違いない。
訓練で剣を握ったことがあるとはいえ、ローゼはまだ小さな魔物と戦ったことすらなかった。それなのに、強い魔物と戦うことなど出来るのだろうか?
正体不明の聖剣というのは確かに不気味だ。しかしそれ以上に、腕の未熟さのせいでローゼが命を落とす可能性は高い。もしかすると来年にはもうローゼはこの世にいないかもしれないのだ。
うつむいたローゼは血の気が引いてくるのを感じた。
(……あたし……どうしよう……怖い……)
足が震える。立っていられず、思わずしゃがみこみそうになる。
「ローゼ様」
そんな時に名を呼ばれた。顔を上げると、打って変わって優しい微笑みを浮かべた大神官がローゼを見ている。
「ローゼ様。もしもお嫌でしたら、断って構わないのです」
彼の声には、慈愛が含まれている。
「神々は人々を救うため聖剣を下されました。人々を救うために、です。決して苦しめるためにではありません。聖剣を振るうべき
そうかもしれない、とローゼは思った。まるで震えの延長かのように、首が何度も上下に動く。
「神は万能です。しかし神ならぬ人は万能と程遠く、できること、できないことがあります。神はそれを忘れておられる。よって、このような決定をなされてしまわれたのでしょう」
その通りだ、と思った。今度の首肯は先ほどよりも大きかった。
だってローゼはこの場にいる誰よりも弱い。それなのに聖剣の主となり、ここにいる誰よりも強い敵と戦うことなどできるはずがないのだ。
ローゼを見つめ、励ますようにしてアレン大神官はさらに続ける。
「地上は人のものです。地上において人の意思は、神々の意思よりも尊重されるべきだと私は思うのです」
彼の言葉に救いを感じ、震える手を握りしめてローゼは大神官を見る。
大神官はうなずく。彼の顔は、ローゼがこれまで見てきた誰よりも優しさに満ちている。少なくとも今のローゼにはそのように感じられた。
「良いのですよ、ローゼ様。どうぞ正直なお心のうちを明かしてください」
たった一言、できないと発すれば良い。大神官は言外にそう言っている。
ローゼが聖剣を持つようにと指示を下したのは天上の神だというのに、その神に仕える大神官はローゼのためを思って敢えて背いてくれている。
なんと優しい人物なのだろうと思って泣きたくなり、同時にローゼは心から安堵する。
きっとアレン大神官は、ローゼが聖剣の主にならずとも許してくれる。いやむしろ、彼はそれを望んでいる。こんなにもローゼのことを心配してくれているのだから。
神官よりも神に近い大神官がローゼの反意を肯定してくれているのならば、ローゼが聖剣の主を辞退したとしても神はきっと許してくださる。大丈夫だ。
(断ろう!)
そう決めて口を開いたローゼが声を出そうとしたその瞬間。
『雰囲気に飲まれないように』
耳の奥で静かな声が響いた気がして、ローゼはハッと顔を上げた。
(あたし……)
ローゼは大神官の後方を見る。褐色の髪をした神官は膝をついて頭を下げたままだ。その表情を窺い知ることは出来ないけれど、ローゼは彼の声を思い出せる。
『慌てず、落ち着いて、良く考えて』
体がいつの間にか縮こまっていたことに気づいてローゼは深呼吸を繰り返す。先ほどまで背にあった大きな手が支えてくれるような気がして、きちんと姿勢を直すこともできた。
(うん。分かった。あたし、ちゃんと考えるわ)
自分に魔物と戦う力があると思えないのは本当だ。そんな自分を神はどうして選んだのかはさっぱり分からない。ただ、託宣があったのは間違いないだろう。そうでなければこんな辺境まで大神官の一団がわざわざやってくるはずはない。
(でもなんで大神官は、あたしと一対一で話をしないの?)
この場で話していたのは結局、アレン大神官だけだ。大勢の人物は一言も発していない。
(だったら神殿で話せばいいだけよね。こんなところに呼び出して、これ見よがしにたくさんの人を並べて、全員に頭を下げさせるなんて。変なの)
おかげでローゼは委縮してしまい、
そこまで考えてふと思いつく。
(もしかして、それが目的? この人、あたしを聖剣の主にしたくないの?)
会話を思い出してみると、大神官はローゼに断るように促してはいたが、主になることを勧めてはいなかった。しかしアレン大神官がローゼを聖剣の主にしたくないのは、本当に心配の感情からなのか。
途中からみせた慈愛の眼差しだけを見るなら、確かにそうだと言い切れる。だけどローゼは最初に向けてきた表情が気になって仕方がない。あれは、ローゼに対して――。
「ローゼ様、どうなさいましたか」
優しい声をかけて来るアレン大神官は、相変わらず優しげな表情を浮かべている。ただ、なんとなく先ほどとは違う気がした。
そう思うと同時に、ローゼは相手のことをきちんと見る余裕ができてきたことに気付く。
『堂々としているんだよ』
低く、穏やかな声を思い出しながら、ローゼは腹に力を籠めてみる。
「大神官様、ご心配下さってありがとうございます」
思ったより大きな声が出て、ローゼはほっとする。大丈夫だ、震えたりもしていない。
「でも私のようなものには、聖剣のことは雲の上のお話なので、すぐに理解ができません」
ほんの一瞬、大神官の表情が困惑したように見えた。
「申し訳ありませんが、考えるお時間をいただけませんか? まさかここで今すぐにお返事しなくてはいけないなんてこと、ありませんよね?」
「……かしこまりました」
すぐに頭を下げた大神官の表情はもう見えなかった。
(これで良かったのかな……)
もう一度大神官の後方を見る。今は全員が頭を下げていてアーヴィンの表情はやはり分からない。しかしローゼは、どんな選択をしても必ず味方をすると言ってくれた、彼のその言葉を信じることにした。
* * *
話が終わるとローゼは村へ帰された。てっきりアーヴィンも一緒だと思ったのだが、アレン大神官曰く「レスター神官とは少し話がある」から駄目らしい。
仕方なくローゼは渡されたお守りと共に日の沈み切った道を一人で戻る。高い石壁をくぐり、門を開けておいてくれた衛兵に礼を言って、石で舗装された大通りを行く。集会所の前にさしかかると、中から扉が開いてディアナが顔を出した。
「ローゼ、こっちこっち」
「なあに? 待ってたの?」
笑いながら入ると他の少女たちの姿はなかった。日も暮れているし、家の手伝いもあるから、他の皆はそんなに遅くまで遊び歩いているわけにはいかない。ディアナがこうしてまだ集会所にいられるのは村長の娘だからだ。
村長の家は村で唯一、使用人を雇っている。おかげでディアナは雑事をする必要がない。それでもあまり長く外にいれば心配されてしまうだろうから、きっと何かしらの偽の用事を作って家を出て、ローゼが戻ってくるまでずっと集会所で待っていたのだろう。
集会所の中は外よりさらに暗かった。ディアナは手にした
「
「だってローゼがいつ戻ってくるか分からないでしょ」
人々が明かりとして使うのは主にこの輝石だ。衝撃を与えると輝くこの石は熱も
ディアナが持っているのは携帯用のごく小さい輝石だが、それでもローゼの家にあるどの石よりも大きく、室内で顔を寄せ合うふたりを思った以上に明るく照らした。
「ねえ、ローゼ。結局何があったの?」
ディアナに問われ、ローゼは少し考えてから答える。
「なんかあたしが、聖剣の主に選ばれたらしいのよね」
「え?」
ディアナの茶色の瞳が極限まで見開かれた。