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6話 不思議な夢を見た

 ローゼとディアナだけしかいない集会所は先ほどまでの騒がしさが嘘のように静かだ。

 その中でまるではばかるように、潜めた声でディアナが尋ねてくる。


「せ、聖剣って、あの魔物と戦うための聖剣?」

「そう。その聖剣みたいよ」

「あんた魔物と戦うの?」

「どうなのかしらね」


 手を広げて「さあ?」という仕草をしてみると、ディアナは思わずといった様子で吹き出した。一緒に笑った後、ローゼは小さくため息をつく。


「大神官様はあたしに主になって欲しくないみたいだったけどね」

「そうなの?」


 言いながらディアナが椅子に座って手招きをしたので、ローゼも隣に腰かける。


「うーん。多分、そうなんだと思う」


 かいつまんだ内容をディアナに話すうち、ローゼも冷静になって状況を振り返ることができた。

 考えてみればアレン大神官は魔物や戦うことの恐ろしさや聖剣の不明さばかりを説き、だから聖剣の主になってはいけないと強く勧めていたが、ローゼがどうしたいのかは一度も聞いてこなかった。


「あれは、あたしの考えを誘導したかったんじゃないかな……」


 冷静さを失わせ、考える暇を与えず。村生まれの小娘が恐ろしさに負けそうになったところで優しい顔をし、「断ってもいい」とそそのかしたのは、むしろ断ってほしかったからではないか。そう考えると辻褄が合う気がするのだ。


「さすがは大神官様なんて呼ばれる人なだけあるわ。結構な説得力があって、思わず『やりません』って言いそうになったくらいよ」


 あとは大人数の前で話をする重圧も大変なものだった。あれも絶対に作戦だった、と思いながらため息を吐くと、ディアナがローゼの顔を覗き込んでくる。


「言いそうになった……ってことは、あんた、断ってないの? もしかして受けるつもり?」

「そこが問題なのよね」


 ローゼは書庫にあった『戦闘記録』も読んだことがある。これは神話ではなくてただの事務的な内容だったが、淡々とした状況描写は神話よりもずっと現実的で生々しく、神殿側の人たちの怪我や損失状況が目に見えるような気がして体が震えたものだ。


 それを今度は自分もやる。無茶だとしか思えないし、自分が聖剣を持つことに関してもまったく実感が湧かない。

 ただ、どういう流れでこんなことになっているのかの詳細は知りたいところだが、大神官に聞いてもきっと教えてくれないだろう。そしてもちろんアーヴィンにも会わせてくれないはずだ。彼をあの場にめおいたのはローゼに詳しい話をさせないためなのだろうから。

 もともと大神官はアーヴィンに口止めをしていた。今にして思えばこれだって、ローゼに心の準備をさせず衝撃を与えるためだったのだ。


(そう考えると、アレン大神官って本当にヤなやつ!)


 分からないのはアーヴィンが大神官に加担していた理由だ。もしかしたらアーヴィンも本当はローゼに断らせたいのだろうか。そう考えるとローゼの気持ちは揺れる。

 これも実際に理由を聞いてみたいところだが、会わせてもらえない今はアーヴィンの考えに思いを馳せても仕方がない。まずは自分自身の気持ちを確かめることから始めるべきだ。


「とにかく、もうちょっと考えてみる。……あと、今更だけどこの話は大っぴらにしない方がいいと思うから、ディアナも知らんふりしててよね」

「分かったけど……でもね。正直に言うなら、私は断ってほしい。あんたに、そんな危ないことして欲しくない」


 ディアナの表情は真剣そのものだった。

 誰も彼もがローゼに聖剣を持たせたくないらしい。ただしアレン大神官とは違って、ディアナが反対する理由は心から心配してくれているためだ。


「ありがとう」


 ローゼが言うと、ディアナはふいと横を向く。


「別に、ローゼのために言ってるんじゃないわよ。あんたに何かあったら、ええと、あんたの弟が泣くんじゃないかって心配だから!」

「弟? マルクとテオが?」

「そうよっ、テオが、よ!」


 ローゼには弟がふたりいる。マルクは上の弟で十六歳、下の弟テオは十四歳だ。


「なんでテオの名前だけ改めて言うの?」

「それは……その……」


 恋愛にはさほど興味のないローゼだが、毎回『乙女の会』に参加していれば分かる。今のディアナのように頬をそめながら、恥ずかしそうな、むずがゆそうな、表情の少女たちは嫌というほど見てきた。


「……もしかしてディアナ、テオのことが好きだったりする?」

「うぐ……そ、そうよっ、気になってるわよ!」

「えー初耳。ディアナとテオじゃ五歳違うけど」

「別にいいじゃない! あの子可愛いものっ。ああ、私、なんでローゼにこんなこと言ってるのかしら!」

「自分で勝手に言いだしたんでしょ」


 そう言って笑うと、ディアナはますます赤くなった。

 本当はローゼを励ますつもりもあって言ったのだろう。あの大神官に会ったあとのローゼにとって、ディアナの心遣いはとても嬉しいものだった。



   *   *   *   



 ローゼの家は農業を営んでいる。

 今の時期はちょうど収穫できる葉野菜があるうえに、新たに種まきも発生するので少し忙しい。本来なら『乙女の会』が終わる夕方からまた手伝いをしなくてはいけなかったのだが、ローゼは見事にすっぽかした。

 自宅へ戻ると帰宅が遅くなったことを両親から叱られたのも、今まで何をしていたのかを聞かれたのも当然だ。


 本当のことを言う訳に行かないローゼは少し考え、


「王都の大神殿から偉い人が来たの。どうやらグラス村のものを買いたいみたいだったから、たまたま居合わせたあたしが生産物の説明をしてたのよ」


 と嘘の説明をする。両親と祖父母の目の色が変わった。

 これはいい、と内心でほくそ笑みながら、


「ちょっとくらいなら高値でも買ってくれそうな雰囲気だったなあ」


 とも付け加えてみると父は、


「あー、ごほん。そういうことなら仕方がないな、うん」


 とわざとらしく咳ばらいをしながら祖父と目配せをし、納屋の方へ向かう。

 一方で母と祖母は、


「ちょっと隣の家に用事があるのを思い出したわ」


 と言ってそそくさと家を出て行った。

 どうやらローゼが手伝いをしなかったことは、すっかり頭から抜け落ちたようだ。


 思惑通りに事を運び終えたローゼが何食わぬ顔で机に座ると、妹のイレーネが遅くなった姉のために夕食を持ってきてくれた。大食いの男性陣の目から隠して取り分けておいてくれたらしい。まだ十一歳なのにとても良く出来た妹だ。

 彼女に礼を言ってローゼは食べ始める。


 母と祖母が近所に出かけたということは、この話は明日の朝にはもう村中に広まる。きっと大神官の元には多くの村人が様々な品を持って押し寄せるだろう。大人数なのだから食料が必要なのは間違いないはずだし、きっと金だってたっぷり持っているはずだ。せっかくだから儲けさせてもらえば良い。


 ニヤニヤしながら食事をする姉に対してイレーネはとても胡乱な目を向けていたが、ローゼは何も気づいていないふりをした。


(それより、聖剣のことよね……あたし、どうしよう)


 寝台に入っても考え続けるローゼは眠れる気がしない。それでも空の星がきらめきを失い始める頃にようやくウトウトしたのだが、そこでローゼは不思議な夢を見た。

 夢の中のローゼは、茶色の髪と水色の瞳を持つ、十八歳の男性だった。



   *   *   *



「どうだい、レオン。準備はできたかね」


 呼ばれて俺は振り返る。戸口にいるのは神官様だ。


「何を準備すればいいのか見当もつきません」


 散らかった床の上で素直に言うと、神官様は豪快に笑う。


「だったら無理に用意する必要はないぞ。大神殿からの迎えはお前の分の荷物だって用意してくれてるんだ」

「それは何度も聞きましたけど、でも。現地までは七日かかるんだし、何も用意しないってわけには」

「気にするな気にするな、甘えておけ。お前が持って行くものは覚悟と気合くらいで構わん」


 この神官様は、俺が生まれた時にはもう村の神官様だった。

 子どものときに父親を魔物に殺され、二年前に母親も亡くした俺だけど、いつもこの神官様がいてくれたから心細くなかった。

 今だってそんな風に言ってくれるから、肩に入ってた力もちょっと抜けた気がする。


「……そうですね」


 ほっと息を吐いた俺が立ち上がると、神官様は今気づいたとばかりに手を打つ。


「おっといかん、本来の目的を忘れるところだった。お前よりも旅が得意な子が来てるぞ。旅の心得でも聞いておけ」


 神官様がそう言うや否や扉の陰から誰かが飛び込んできて、あっという間に俺の腕の中に納まる。

 赤い髪の位置は記憶よりもずっと上にあるけれど、でも、昔と同じふんわりと甘い香りは同じだから間違えたりしない。彼女が十歳になるまでの数年間だったけど、俺たちは一緒に暮らしてたんだからさ。


「……エルゼ? 嘘だろう?」

「嘘じゃないわ!」


 朗らかに笑って、エルゼは神官様の方を振り返る。


「もう、神官様ったら! 私が待ってるんですから、先に紹介してくださっても良かったのに!」

「はははは、ごめんごめん。じゃあ私は下で待っていよう」


 そう言って神官様は部屋を出ていく。だけど俺はエルゼを腕に抱いたまま動けない。


「……本当に、エルゼなのか……?」

「本当に、私よ!」


 三歳年下の幼馴染はキラキラとした赤い瞳で俺のことを見上げる。

 十歳のときに王都へ行ったエルゼに会うのは実に五年ぶりだ。


「だって、お前……王都の大神殿にいるんじゃなかったのか? 神官修行は?」

「里帰りさせてもらっちゃった。手紙じゃなくて直接『おめでとう』を言いたかったんだもの」


 その真っすぐな視線を受け止めかねて、俺は目をそらした。


「……まだ決まったわけじゃないよ。これからいにしえ聖窟せいくつへ行かなくちゃいけないんだし」

「でも託宣があったんだから決まりみたいなものでしょう? 古の聖窟では受け渡しの儀式みたいなものしかないって、大神殿の神官様方が言ってらしたわ」

「そうかもしれないけど」


 俺はエルゼから体を離す。


「……今回の聖剣は初めて人へと渡されるんだし、何があるか分からないじゃないか。それに……俺みたいな、貴族でも騎士でもない、剣もほとんど扱えないような奴が、聖剣の主だなんて……」


 今までの聖剣の主は、ずっと同じ一族の中から選ばれていた。

 だけど今回、神から下される聖剣は今までとはまったく違う新しいものだ。詳しい理屈は俺なんかには分からないけど、この聖剣の主は「血筋と関係なく選ばれる」と託宣があったんだとか。


「だからっていい気になるなよ。ただの庶民が聖剣の主になるなんて不愉快だ。みんなだってそう思ってるんだからな!」


 村に来た神官の一人が唾でも吐きそうな勢いで俺に言った。

 なのにエルゼは首をかしげる。


「だからこそレオンが選ばれたんじゃないの?」

「え?」

「ほら。聖剣の主様って、今はもうすっかり貴族の一員みたいになっていらっしゃるでしょ?」

「……らしいっていうか、あの人たちは貴族だろ?」


 大神殿では官職によってちゃんとくらいがあるそうだ。聖剣の主というのは貴族で言うところの伯爵とかいう身分にあたるらしく、新たな聖剣の主となった俺も同じ地位を得るらしい。俺が他の人たちから睨まれてるのはこのせいだ。

 気持ちは分かる。昨日までただの平民だった奴がいきなり貴族になるんだ。そりゃ面白くないだろうさ。


 下を向いてた俺の頬をエルゼが両手で包む。「よいしょ」なんて言いながら持ち上げるもんだから、なんだかおかしくて少し笑うと、エルゼもにっこりと笑ってくれた。


「レオンの言う通りよ。聖剣の主様たちは国を巡って魔物と戦っておいでだけど、きちんと貴族の地位をお持ちよね。でも、どんなに魔物を倒しながら世を巡っていても、生まれが貴族だと見えないこともあるはずよ。考え方だって一般の民と違うんじゃないかとも思うの」

「……そうかな」

「絶対そうよ。だからレオンが新しい聖剣の主様に選ばれたのよ! ……ってこれは、私の教育係をしてくださってる神官様がおっしゃってたことなんだけどね。でも私もそう思うの」

「……そっか。そうだといいな」

「だから、レオン。本当におめでとう」

「うん」


 気が付くとエルゼの顔は想像以上に近いところにあった。俺はちょっと恥ずかしくなって扉の方を向く。

 そこでふと、さっき神官様に言われたことを思い出した。


「ところでエルゼ。聞きたいことがあるんだ」

「なあに? 私で分かりそうなことならなんでも聞いて!」

「旅の心得を教えてくれ」


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