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9話 味方

 さすがに小屋の内部の様子は記憶と違っていたのでローゼはホッとする。その安心感のおかげだろうか、中に入っても取り乱すようなことはなかった。

 明り取りから入るうっすらとした光を頼りに周囲を見渡し、ローゼは木の箱に腰かける。その正面には椅子もあるのだが、あれは綺麗な青い衣を着たままのアーヴィンに譲った方がいい。


「昨日は、アーヴィンも大変だったんでしょう?」


 箱の上のローゼが足をぶらぶらさせながら声をかけると、立ったままぼんやりとしていたらしいアーヴィンは、ハッとしたようにローゼを見る。


「え? ああ、ごめん。私の方は大丈夫だよ」


 そんなことはないはずだ。きっと大神官から八つ当たりなどされたに違いない。今だってぼんやりしていたのは、その気疲れが抜けないからだろう。

 ローゼが黙って椅子を示すと、アーヴィンは「ありがとう」と言って腰かける。


「ローゼの方がよほど疲れたろう?」

「あたしは……ううん。確かにびっくりしたけど、その……アーヴィンに、いろいろ言ってもらってたし……だから、平気……」


 照れ臭いので少しそっぽを向いたし、素直に言い出せなくて最後に付け加えた「ありがとう」は小さくなった。だけど彼に気を悪くした様子はない。声も表情もいつものように穏やかなままだ。


「そうか。さすがに申し訳なく思っていたんだけれど、少しでも役に立てたなら良かった」

「うん。でもね、今は情報がなさすぎて困ってるのよ。だから……」


 昨日のアーヴィンは、何を尋ねてもほぼ答えをくれなかった。だけど。


「……今日は、聞いたら答えてくれる?」

「私が知っていることなら」


 アーヴィンがしっかりと頷いてくれたので、ローゼは胸をなでおろした。


「良かった。じゃあ、教えて。大神官が言ってたことって、どこまで本当なの?」

「ローゼが聖剣の主として選ばれた件に関してなら、すべてが本当のことだよ」

「本当なんだ……」


 こくりと唾をのむローゼを見ながら、アーヴィンは椅子の上で居住まいを正す。


「二か月ほど前、大神殿にいる巫子全員が神によって託宣を受けた。グラス村に住むローゼ・ファラーが十一振目の聖剣の主に選ばれたと」

「大神官の言った通りなのね。……ねえ、アーヴィン。十一振目の聖剣って、なに? 他の聖剣とはどう違うの?」


 大陸にある十振の聖剣は最初に手にした者の子孫が代々の主だ。魔物に対して強力な力を発揮する聖剣、その力を扱えるのは主だけ。十一振目の聖剣も同じかたちになるのだろうか。

 ローゼの質問を受けてアーヴィンは小さく首を横に振った。


「分からない。十一振目の聖剣は血には縛られていないようだけれど、どうなるのか。……もともとこの聖剣は謎が多くてね。分かっているのは、最初に託宣を受けた人物が十年ほどあるじを務めただけで、以降四百年の間は姿を現していないということくらいだ」


 そうしてアーヴィンは少し考えて付け加える。


「……十年ほどというのを、より正確に言うのなら八年かな。八年と少し」

「そう……」


 期間は十年よりも短くなった。

 ローゼは泥汚れのついた靴に視線を落とす。


「なんでその聖剣は四百年も主がいないの?」

「分からない」

「なんで今になってまた人間に下されるの?」

「分からない」

「どういう理由であたしが主に選ばれたの?」

「分からない」

「最初の主はどんな人だったの?」

「分からない」

「最初の主が世を去った理由は?」

「分からない」

「分かんないことばっかりじゃない!」


 振っていた足は力を入れたせいで箱にぶつかる。ローゼ自身ですら思わず首をすくめるような音が響くが、アーヴィンは穏やかな態度を崩さない。


「言ったろう? この聖剣に関して分かっていることはほとんど無いんだよ。当時の記録もどうやら意図的に消されているみたいでね」

「なんで意図的に……あ、この質問は無し」

「いい判断だね。一応言っておくと、意図的に消された理由は分からない」


 ローゼは天を仰ぐ。どうやら十一振目の聖剣に関することは質問しても無駄のようだ。

 深く息を吐き、改めて座りなおす。今度は足をぶらつかせない。


「もしもあたしが聖剣の主になるって決めたら、この後はどうなるの?」

いにしえ聖窟せいくつという場所まで大神殿の一団が送り届ける。馬車もあることだし、グラス村からだと七日くらいかかるかな。そこで神から聖剣を渡されるそうだよ」

「古の聖窟……」


 言葉に覚えがあった。


「……ねえ、アーヴィン。アレン大神官様……大神官は、あたしに聖剣の主になって欲しくないの? それはあたしが、ただの村人だから? 貴族とか、そういう偉い家の生まれじゃないから?」


 アーヴィンは黙ってうなずく。そっか、とローゼは呟いた。

 最初に見た大神官の顔を思い出す、あれは、蔑みの表情だ。


『俺みたいな、貴族でも騎士でもない、剣もほとんど扱えないような奴が、聖剣の主だなんて』


 どこからか男性の声が聞こえた気がした。


「……あたしが断ったら、大神官はどうするんだろう」


 口に出したのは質問というより独り言だったのだが、アーヴィンからは答えが戻る。


「巫子を通じて神へお伺いをたてるつもりだろうね。主が断ったので別の人にしてくださいとでも言うんじゃないかな」

「そんなことができるの?」

「できなくはないよ。ただ、神がどのように答えを出すかは分からないけれどね」

「それなのに、ちゃんとあたしを古の聖窟に連れて行く? その……殺したりしない?」

「しない。今回来ている全員がアレン大神官の配下というわけではないんだ。それにあの男は悪知恵を巡らせるのは得意だけれど、自分の関与が明白な状態で聖剣の主に手を下す、というたぐいの度胸は持ち合わせていない」


 そもそも、と言ってアーヴィンは膝の上で両手を組む。


「アレン大神官は今回、自分から伝言の役目を買って出たそうだ。おそらくローゼに聖剣の主を断らせる計画に全力を注いだはずだし、本人の中では決定事項にもなっているだろうから、ローゼが受けるなんていうことは頭の片隅にもないと思う」

「……うん」


 草原でアレン大神官が言った内容を思い返すと「こんなに大変なんだぞ」と諭しているように思えたし、同時に「お前にこんな大変な役目が出来るとでも思っているのか?」と恫喝されているようにも思えた。


「あの……あのね」


 言い淀んで一度は唇を結んだが、ローゼは思い切って口を開く。


「アーヴィン。あたしに、聖剣の主なんて……出来ると思う?」


 問いかける声は、心の弱さを示すように小さい。

 しかし対するアーヴィンの答えはきっぱりとしたものだった。


「出来る。ローゼが出来ると思うのなら、きっと」


 もっともらしいことを述べて惑わしているようにも聞こえるが、そうではないとローゼは知っている。

 彼が言っているのは覚悟のことだ。ローゼが聖剣の主になるためにしなくてはならない努力はかなり多い。やると決めるのならそれも含めて考えろということ。そしてその努力をする気があるのなら、きっと出来る、と。


「じゃあ、アーヴィンは、あたしが聖剣の主にならない方がいい?」

「決めるのはローゼだよ。ローゼがしたいようにするといい」

「でも」


 アーヴィンは憂いも不安も含まれていない微笑を浮かべて告げる。


「私の考えは最初から変わっていないよ、ローゼ」


 最初から。

 つまりアーヴィンは「この後のローゼがどんな選択をしても、私は必ずローゼの味方をするから」と言ってくれたあのときのままだということだ。


「……うん。分かった。ありがとう」


 アレン大神官には言外に「断れ」と言われた。

 ディアナには、はっきりと「聖剣の主になってほしくない」と言われた。

 事情を知る人に反対される中で、アーヴィンだけはローゼの味方になると言ってくれた。

 彼の言葉が震えるローゼの心に一本の芯を通す。深く息を吐くと、ローゼの肩から力が抜けた。


「質問を戻すわ。あたしが望むなら、アレン大神官はあたしをいにしえ聖窟せいくつまで送るのね?」

「送る。ただしそこまでの可能性が高い。本来なら一団を以て主を王都までお連れするはずだけど、しないと思う」

「そんなことが許されるの?」

「許されるわけではないけど、やるだろうね」


 やるということは、アレン大神官はそれがやれるということか。そうしてやるからには何か意味もある。


「古の聖窟って、近くに町とか村はある?」

「残念ながら近くにはない。古の聖窟がある場所は山の中腹なんだ。低い山だし、道は楽だけど、それでも町まで行くなら馬で半日くらいかかるかもしれない」

「そっか。どうしよう……」


 ローゼの家に馬は一頭しかいない。あれに乗って行ってしまうと家族は困るだろう。

 ううん、と唸りながら無意識に拳を握りしめたところで、ローゼは左手に包みがあるのを思い出した。フェリシアが最後に渡してくれたものだ。

 立ち上がり、ローゼはアーヴィンに包みを差し出す。


「はい、身分証。神官にとって大事なものなんでしょ?」

「そうだね。ありがとう」

「……これが無かったら来なかったのに」

「じゃあ、渡して良かったな」


 すました声を聞いてローゼは目を見張った。


「本当にアーヴィンって意地悪ね! そ、そもそも、どうしてこんなとこを待ち合わせに指定したのよ!」

「私はこの森が好きなんだ。だからローゼにも、いつまでも嫌いなままでいてほしくなかったんだよ」


 そう言って彼がとても優しい瞳で見つめるのでローゼは憎まれ口を叩けない。


「あたしには良さが分かんないわ。……アーヴィンはこの森のどこが好きなの?」

「雰囲気が、とでも言っておこうか。まさかこんな森があるなんて思わなかったから、初めてグラス村に来たときは本当に驚いたよ」


 初めて来たときとは初めて会ったときだと気がついて、ローゼの頭を恥ずかしい記憶が駆け抜けていく。


「そう? 普通の森だと思うけど。南の森だって同じ感じでしょ」


 少々上ずった声で返すと、アーヴィンは首を横に振った。


「違うんだよ」


 とても愛情にあふれた笑みを見て、ローゼは「アーヴィンって本当にこの森が好きなんだな」と思う。それがなんだか面白くなくて、だけど面白くないと思う理由がよく分からなくて、自分に少し腹が立ってローゼは眉を寄せた。

 そんなローゼに気が付いたのだろうか、アーヴィンは表情を悪戯っぽいものに変える。


「困ったことに北の森へ来るとつい長居をしてしまうんだ。それで過去には約束の時間に遅れたこともあったかな」


 言葉に詰まるローゼを見たアーヴィンは何か言いかけ、そしてふと視線を虚空へさ迷わせる。


「……ごめん、ここまでみたいだ」

「え?」

「私を探す者が近くまで来ている」


 ローゼは耳を澄ませてみるが、外からは何も聞こえない。もしかすると神に仕えるものは互いに気配でも分かるのだろうか。


「残念だけど、そろそろ行くよ」

「うん。……そういえば、あの大神官がよく外出を許してくれたね」

「これを落としたから探しに行く、と言って出てきたんだ。少し強引だったけど……まあ、見張りを途中でけたし、良かったよ」


 立ち上がったアーヴィンが見せるのは先ほどローゼが渡した身分証だ。大神官がアーヴィンを外に出してくれたのだから、身分証は神官にとってよほど大事なものらしい。


「来てくれてありがとう、ローゼ。でも、分からないことばかりで申し訳なかったね」

「ううん。『ありがとう』は、あたしが言うことよ。いろいろ分かったし……自分の気持ちもみえたもの」

「それならよかった」


 微笑むアーヴィンが扉を開く。入り込む風が緩く髪を揺らした。


「ここへは誰も来ないと思うけど、念のために少し時間をあけてから帰るんだよ」


 そう言ってアーヴィンは衣擦れの音を残し、扉の向こうへ去って行った。



   *   *   *



 アーヴィンに言われた通り、ローゼはしばらく小屋の中で時間を潰してからこっそりと家に戻った。

 幸いにも家の中には誰もいなかったので、着替えたあとに洗濯物の入った籠を持って川へ向う。中には先ほどまで着ていたテオの服も入れておいた。今日は風があるから、今ならまだ洗濯をしても乾くはずだ。


 冷たい水に顔をしかめながら洗っていると、近くに住む年配の女性がローゼを見つけ、傍へ寄って来る。


「あら、ローゼちゃん。洗濯中?」

「ええ、まあ」

「大変ね。ところで」


 女性はぐっと距離を詰めてくる。洗濯のことはただの口実で、本当は何かを話したかったらしい。


「テオ君の話、もう聞いた?」

「いいえ。何かありましたか?」

「それがね」


 女性はさらにローゼへ近づき、声をひそめる。


「女の子を泣かせてたんですって」


 ローゼの背中にじわりと嫌な汗が流れる。


「女の子は見たことのない子らしいわ。どっかの親戚の子が遊びに来てたのかしらねえ。まあ、とにかくその女の子がテオ君と喧嘩でもしたみたいで、急に泣き始めてね。走って誰かにぶつかって、どうやらその人に慰めてもらってたらしいのよ」

「……わああ、知りませんでした。でもそれは本当に、テオなんですか?」


 ローゼは棒読みで答えるが、意味深な笑顔を浮かべている彼女は気づかない。


「服がテオ君のものだったらしいし、背格好もそっくりだったからテオ君なんじゃないかって。ねえ、テオ君も隅に置けないわね。ローゼちゃんもお姉さんとして複雑な気分でしょ?」

「そ、そうですね……」


 言いながらローゼは、洗い終えたテオの服をそっと籠の奥に押し込んだ。


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