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10話 答え

 昨日、北の森でアーヴィンと話した時に心は決まった。決着を付けるなら今日だ。


 まだ空が暗いうちに起き出したローゼはよそいきの服を取り出す。

 このよそいきでも、いつもの服でも、大神官から見ればどちらも等しく粗末な服だろう。だが別に構わない。これは大神官のために着るのではなく、自分の気持ちのために着る服だ。


 髪を結い、帽子をかぶり、準備を終えたローゼは深呼吸をして部屋を出る。

 今日の朝から用事があることはイレーネに伝えてあった。姉の挙動がおかしいとはイレーネも気づいていたようで、「負担をかけてごめん」と言うと、イレーネは「お兄ちゃんたちに手伝ってもらう算段はできてるから平気」と答えた。相変わらず頼もしい妹だ。


 いつもなら家人が起きるのはもう少し後のはずだが、今日は裏手にある納屋の方から既に祖父母の声がする。出会うのを避けるために急いで玄関から出ようとしたローゼは、取っ手を握ったところで思い返して戻り、厨房からパンを一つだけ取る。改めてそっと玄関の扉を開き、外の風に身を震わせると、パンをかじりながら歩き出した。口の中がもそもそするが飲み物はないので仕方がない。


 今日の行先は草原、会うべき人物は大神官だ。


 この時間ならまだ人々は家の中にいるはずだが、今日の村の中の大きな道は妙に人通り、いや、荷馬車通りが多い。

 車輪の音を聞きつけるたびに身を隠すローゼが物陰からこっそり窺うと、馬車には野菜や肉などの食料が載っている。


 この村の収穫物は近くの町で買い取ってもらう。

 町へ行くのは一日がかりの大仕事となるため、朝早くに出かけるのは当たり前の話だ。しかし今朝の道行く馬車は少し雰囲気が違う。遠出をする前の覚悟といった様子が見られず、もっと気楽な様子に見える。

 なのでこれは、おそらく。


(……大神官のところへ行くつもりかな)


 ローゼの流した適当な噂を信じた村人たちは、こんなに早くから草原へ押しかけているようだ。できるだけ村人に会わないよう早めに出てきたというのにこれでは意味がない。


(予想外だったなあ。とりあえず、気を付けて進むか)


 パンの最後の一切れを口に放り込んだローゼは、細い道や、人がいないはずの場所を選びながら、草原がある東の出入口へ向かう。馬車の切れ間を縫って外へ出て、木に隠れながら少しずつ進んだ。

 おかげで空が暗い頃に出てきた割に予想以上に時間がかかってしまって、草原が見えてくるころには陽があかあかと緑の草を照らしていた。


 草原の奥にはいくつも天幕が見え、そこには大勢の神官や神殿騎士たちがいる。一方で手前の方にも神官がいるのは、村人の対応に追われているためのようだ。荷馬車の列に目を向けると、途中にはローゼの祖父母の姿もある。

 仕方なくここでも大きく迂回し、ローゼは草原の奥地へ向かった。さすがに百人からの人々がいるだけあって天幕の数は多いが、そのなかにひときわ大きく、豪華な物を見つけた。あれがきっと大神官の天幕に違いない。


 そのころになると当然ながら神官たちもローゼに気づいている。もっと早く誰何すいかの声を掛けられなかったのは、きっとローゼが『グラス村の村娘』だからだ。それでローゼは帽子を取った。髪をほどき、風になびかせると、神官たちの空気が変わるのが分かった。やはり赤い髪の娘は既にここの人々の中でも認知されているらしい。

 彼らの視線を受け、ローゼはわざとゆっくり天幕群を巡る。声を掛けられたのは目的の天幕の近くだ。


「ローゼ・ファラー様でいらっしゃいますね。何か御用でしょうか」


 アーヴィンのものより濃い青を着た神官に一礼し、ローゼはできるだけか細い声を出す。


「はい。ローゼ・ファラーです。大神官様にお目にかかりに来たんですけど、どちらにいらっしゃいますか」

「こちらにおいでですよ。少々お待ちください」


 神官は言い置いて天幕に入る。想像通りだ。

 待っている間に髪をなでつけるふりをして後方を確認すると、人数は想像以上だった。どうやら作戦は成功したようだと分かり、ローゼはほくそ笑む。

 ややあって入るよう促された天幕の中で、ローゼは唖然とした。


 正面には大きな椅子があって、大神官はそこにゆったりと腰かけている。

 立派な間仕切りの向こう側にも十分に空間があるようなので、この様子だと寝具などが置いてあるのかもしれない。


(これを運んできたってこと? 随分と無駄な労力ね。偉い人の考えることって分からないわ)


 呆れながら毛足の長い絨毯を踏み、ローゼはおずおずと進み出る。

 歩幅が狭すぎて演技過剰だったかとも思ったが、幸い大神官はそう思わなかったようだ。


「これはこれはローゼ様。ようこそおいで下さいました」


 アレン大神官は慈愛を感じさせる笑顔を浮かべて立ち上がり、両腕を広げる。ただ、目の奥は笑っていない。

 うっかり鼻で笑ってしまったのを浅い呼吸の連続で誤魔化しつつ、ローゼは大神官に会えて安堵したような表情を見せ――られるようになるべく努力した。


「大神官様。突然お邪魔して、本当に申し訳ありません」

「いいえ、ローゼ様でしたらいつでも歓迎いたしますよ。本日はいかがなさいましたか」

「実はあたし……いいえ、私は。先日のお返事をしに伺ったんです」


 アレン大神官の目が一瞬嫌な風に細められ、すぐに柔和な表情に戻る。


「そうでしたか。で、お返事はいかに?」

「私、ずっと考えて、それで……大神官様の、おっしゃることは……とても正しいと、思ったんです……」


 相変わらず演技は苦手で棒読みになるが、それがぼそぼそと喋るのにも役立ってくれている。


「だから私は、聖剣の主を、お受けすると、決めました……」

「そうでしょう。やはりこのような話はただの村人には荷が重いというものです。王都に戻り次第、私の方からしかるべきかたの……なんですって?」

「私、聖剣の主、やろうと思うんです」


 言って顔を上げると、アレン大神官は口を開けたまま呆然としている。正直に言えば、とても間が抜けた顔だ。

 ローゼはとっさに両手で口元を押さえた。


「あ、あれから家に帰って、大神官様の、おおお、お言葉を、考えたんです」


 声が震えるのは怖いせいではない。笑いそうなのを堪えているせいだ。


「大神官様は私に、やらなくても良いと言って下さいました。でも……でもそれはきっと、私に試練を課してくださったのだと思ったのです。だからこそ逃げてはいけないと……大神官様の御心に添わなくてはいけないと……思ったから……」


 衝撃から立ち直ったらしい大神官が焦りの見える表情になった。

 口を開いた彼が何か言葉を発する前に、ローゼは出来る限りの大声で叫ぶ。


「私は、聖剣の主になります!」


 天幕の外で大勢の気配がざわりと揺れた。


 大神官の気持ちになって考えてみるのなら、二回目の状況だってさほど悪くなかったはずだとローゼは思う。


 やってきた娘はおどおどとしていて声が小さく、きっと外には聞こえない。

 十中八九「聖剣の主をやらない」という返事だろうが、もし「やる」と言い出しても、また丸め込むことができるだろう。


(なんて考えてたのかもしれないけど、ふふふ、残念でした!)


 天幕の素材は薄い。ローゼが大声で宣言した内容は周囲の野次馬たちの耳に充分届いているはず。ローゼが聖剣の主を受けたという話はすぐ草原中に知れ渡るだろう。そうでないと困る。この天幕の周囲に人を集めるため、ローゼはわざとあちこち歩いたのだから。


「それで? 私はこの後どのようにしたらよろしいですか、大神官様?」


 ローゼがにっこりと笑いかけると、アレン大神官は苦いものを噛んだような表情を浮かべ、背を向ける。


「明日の昼過ぎに出発する」


 彼の発した言葉は敬語ですらなかった。


「明日ですか?」

「左様。無理なら諦めるのだな」

「いいえ、諦めません。必ず来ます」


 もう一度「昼過ぎだ」と繰り返す言葉を聞きながら、ローゼは天幕を退出する。途端に周りの人々が何食わぬ顔で謎の作業を始めるのだが、元はと言えばこの天幕の周辺でこんなに人が必要なはずはない。


(みんな! あたしのために集まってくれてありがとう!)


 内心で礼を述べたローゼが近くの神官にアーヴィンの居場所を尋ねると、彼は「あそこにいる」と離れた天幕を示したあとで、しまったと言いたげな表情を浮かべる。


「……いや、だけど、会わせたらいけないと言われてるのは答えを出す前で……出したあとなんだから、大丈夫だよな……」


 ブツブツと呟きながら連れて行ってくれるが、中には誰もいない。通りかかった神官が「レスター神官なら町へ行くと言って朝早くにここを発ちましたよ」と教えてくれると、ローゼと一緒にいた神官が目を剥いた。


「おい、大神官様がレスター神官には謹慎の処分を下していただろうが」

「そうでしたっけ?」

「忘れたのか? ほら、身分証紛失の件で」

「あれはもうお許しが出たって聞きましたけど」

「出てないぞ!」


 情報が錯綜しているのは、アレン大神官側とそうでない側との連携が取れていない証拠だろうか。


「ええと、いないならいいです。ありがとうございました」


 言い合いをしているふたりの神官にそう言って背を向け、ローゼは草原を後にする。荷馬車の列を避けて再び大きく迂回し、向かったのはディアナの家だ。


「待ってたわ。決めたの? 結局どうするつもり?」


 ローゼを自室に通して問いかけてくるディアナには焦りと不安が見えた。椅子に座り、ローゼはディアナから視線を外しつつ答える。


「明日、出かけることになっちゃった」


 小さな悲鳴が聞こえる。


「受けちゃったの? 本当に聖剣の主様になるつもり?」

「なれるかどうかは分からないよ。聖剣をもらい行く途中で何かあるかもしれないし」

「嫌なこと言わないで。……だけど行くってことは、なるつもりがあるってことでしょ? あんた、本当にやれると思ってるの? 訓練で剣を握った時だってあんなに腰が引けてたのに」

「それを言っちゃう?」

「言うわよ。だって聖剣の主って魔物と戦うのよ。剣を振るうのが日常のことになるの。分かってる?」

「うーん、まあ」

「まあ、じゃないわよ……」


 そこへ使用人がやってきた。お茶を受け取ってため息をつくディアナの背に、ローゼは声をかける。


「とりあえず、まずは神様に会ってみるつもり」

「……なによ、それ」


 ディアナが振り返ってお茶のカップを渡してくれる。ふんわりと良い香りが立ち上る向こうに泣きそうな顔がある。


「あのね、ディアナ。あたしには聖剣の主として選ばれる資質なんてないでしょう?」


 ローゼはただの村人だ。秀でた能力があるわけでもなく、剣の名手という訳でもない。こればかりはアレン大神官の言う通りだ。ローゼには聖剣の主なんて荷が重い。


「だけど選ばれたからには理由があるはずよね。だからまずは神様に会って、どうしてあたしを選んだのか、本当にあたしにやらせる気があるのか、その辺りを確認しようと思うの」

「それで神が『やりなさい』っておっしゃったらどうするつもり」

「しょうがないから、やるかもね」

「やっぱりやるんじゃないの」


 ディアナはそう言って視線を落とす。

 以降の彼女は言葉少なになってしまったので、ローゼは気まずいままお茶を飲み終えて村長の家を後にした。


 確かに世間を知らない自分が聖剣の主になるなんて無謀だ。ディアナの言い分も良く分かる。本音を言えばローゼもまだ迷っているので、今なら草原に戻って先ほどの言葉を取り消すことも出来るのではないかという思いもあった。


(……だけど、あたし。一度きりでも構わないから、村の外へ出て、いつもと違う場所を見てみたいの)


 これがきっと最初で最後の機会だ。神に「お前は不要だ」と告げられても構わない。そうしたら古の聖崫への旅を思い出にし、村へ戻って一生を静かに暮らす。だけど神に「やれ」と言われたのなら、一生をかけて役目を果たしてみせる。


 問題は、今回の出発があまりに急なことだ。

 果たして夕方までに家族への良い言い訳が思いつくだろうか。


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