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11話 神官と神殿騎士

 家には戻らず、かといって畑に行くでもなく、ローゼは村の中をあてもなく歩きながら家族への言い訳を考える。しかしなかなか良い案は浮かばないまま昼を過ぎてしまった。

 アーヴィンと話がしたかったけれど、町へ行ったという彼がグラス村へ戻るのはどんなに早くても夕方だ。町へ行った理由にもよるが、今日は戻ってこない可能性もあった。


「あたし、明日には出発なのよ! もう会えないかもしれないのよ! そんな時に町なんて行かなくてもいいじゃない! アーヴィンのばーか!」


 アーヴィンは何も悪くないと分かっているのに口からは悪態が出てくる。ただの八つ当たりだ。

 ローゼはもう一度「ばーか!」と叫んで小石を蹴飛ばした。描いた見事な弧を追って顔を巡らせると、木の上からは白い鐘塔しょうとうが頭を覗かせている。中の黄金色が揺れて澄んだ音を響かせたのは、ちょうど鐘が鳴る時間だったのだろう。

 だけどローゼにはなんだかその姿とその音が、「こちらへおいで」と誘っているような気がした。


 神殿の中ではいつも清涼感のあるこうが焚かれている。アーヴィンがいなくても、あの香りを嗅げば頭がすっきりして良い考えが浮かぶかもしれない。


 そう考えたローゼは歩いていた小道を逸れた。わき道を通り、大通りへ出て、そこで足を止める。行こうとした先に見知らぬ男性が立っていたためだ。

 彼は背が高く、がっしりとした体格をしている。癖のある長い金髪を背中まで伸ばし、そして青いマントの下からは白い鎧が見えていた。


(……神殿騎士)


 警戒するローゼが足を止めたのと、当の神殿騎士がローゼの方を振り返って破顔するのとは同時だった。


「おっ! 俺ってばツイてるぜ! おーい!」


 ローゼが身を翻すよりも、大きく手を振る彼が間合いを詰める方が早かった。逃げそびれたローゼの前に立つ大柄な彼は顎に手を当て、目線を合わせるため腰をかがめてくる。



『挿絵』

https://kakuyomu.jp/users/Ak_kishi001/news/16818093079554571200



 まだ若い男だ。二十代の半ばくらいだろうか。目の前が一杯になるほどの存在感なのに不思議と威圧感がないのは、垂れ気味の青い目が柔和な印象を与えるからのような気がした。


「赤い髪と赤い瞳! 君、ローゼちゃんだろ?」

「そうです、けど」

「良かった、合ってた! 俺はジェラルド。神殿騎士のジェラルド・リウスってんだ。よろしくな!」

「……もしかしてアーヴィンの知り合いの方ですか?」

「その通り! フェリシアちゃんから聞いてた?」


 ローゼはうなずく。彼の名前に覚えがあったのは、昨日フェリシアが言っていたからだ。アーヴィンの知り合いだというから神官だと思っていたが、どうやら神殿騎士だったらしい。


「俺、あいつに呼ばれて神殿へ行くところなんだけど、道が分からなくて困ってたんだ。良かったら案内してくれねえかな?」

「それはいいんですけど……アーヴィンは今、留守だと思いますよ」

「ああ、町へ行くとか言ってたっけ。だけどこの時間を指定したのはあいつなんだ。そろそろ戻って来ると思うぜ」


 ジェラルドがさらりと言い切った話を聞いてローゼは目を丸くする。

 馬車はもちろんのこと、例え馬を使ったとしても、村から町までの往復がこの程度の時間で済むはずはない。どちらかが時間を間違えたのだろうか、と思いながらジェラルドと連れ立って神殿へ行くと、門の前には本当にアーヴィンがいた。横には馬の姿もある。


(本当に、帰ってた……)


 唖然とするローゼの横で、ジェラルドが軽く手を上げた。


「よう!」

「……よう、ではありませんよ」


 眉を寄せるアーヴィンの第一声を聞いて、ローゼは「あ、丁寧に話すんだ」と思った。

 アーヴィンは基本的に誰に対しても丁寧な口調で話す。彼がローゼに対して砕けた調子なのは、六年前にローゼがそう望んだからだ。ジェラルドとは親しい間柄だと聞いていたのでもしかしたらと思ったが、やはり彼に対しても丁寧な口調になるらしい。


「約束の時間に遅れておいて、悪びれもせずいられる精神の強さは相変わらずですね。私も見習いたいものです」


 ただし内容まで丁寧かどうかは別の問題のようだ。

 言われた当のジェラルドは小さく肩をすくめる。


「しょうがねえだろ。初めての場所だから迷っちまったんだ」

「初めての場所かどうかは関係ないでしょう? 大神殿内での待ち合わせでさえ遅れて来ていたではありませんか」

「否定はしねぇけどよ。でも今回はおかげでローゼちゃんと会えたんだぜ! 行き違いにならなくて済んだろ? ローゼちゃんも良かったって思うよな!」


 話を振られるが、状況が分からないローゼは「はい」とも「いいえ」とも言い難い。


「もしかしてジェラルドさんは、あたしに用があったんですか?」


 無難に返してみるが、答えは横からではなく正面からあった。


「いや、用があったのは私だよ、ローゼ。ジェラルドは私の用の――」

「えっ、すげぇ! お前がそんな風に砕けて喋ってるの初めて聞いた!」


 太い大きな声に話を遮られ、アーヴィンがじろりと睨む。しかし興奮した調子のジェラルドは気にする様子がない。「もう一度! なあ、今のもう一度聞かせてくれよ!」とはしゃぐ姿がおかしくてローゼが思わず吹き出すと、すかさずジェラルドがローゼに向けて親指を立てた。


「おっ、いいね! さっきの顔も美人さんだったけど、笑うともっと美人さんだぜ! そうだローゼちゃん、よければ――」


 そこにアーヴィンが「さて」と言いながら割って入り、ジェラルドを押しのける。


「そろそろ本題に入ろうか。ジェラルドに主導を握らせていたら話が横に逸れるばかりだからね」

「ち、相変わらず面白味がねえ奴だな」

「ジェラルド?」

「へいへい。俺はしばらく黙ってるから、お前のお話をどーぞ」


 おどけた様子で両手をあげるジェラルドを一睨ひとにらみして、アーヴィンはローゼの方へ近づく。その姿に何も違和感がなくて、逆にそれが違和感となって、ローゼは「あ」と声をあげた。


「あの青い衣装、脱いじゃったの?」


 アーヴィンの神官服はいつもと同じもの、白地に青で縁取りがなされたものに戻ってしまっていた。

 多分に残念な気持ちを含めながらローゼが言うと、アーヴィンは頓着なくうなずく。


「儀式が終わったからね」

「……儀式? なんの?」

「聖剣の主が神へ承諾の意を返す儀式。本当はもう少し複雑なんだけど、ここは大神殿から遠いから簡略化されてるんだ」


 そのように言うのだから、やはりアーヴィンは「ローゼが聖剣の主を受ける」ことを知っているのだ。


 ローゼがアレン大神官の元へ行ったとき、早朝に草原を発ったというアーヴィンは不在だった。ならばローゼが聖剣の主を受けた話を聞いたのは、町から戻って来てからのはずだ。


「この後のローゼがどんな選択をしても、私は必ずローゼの味方をするから」


 そう言ってくれたアーヴィンだが、実際にローゼが選択を出したあとも同じように考えていてくれているだろうか。尋ねてみようかとも思い、彼を見つめ、そこでローゼはアーヴィンの表情の硬さに気づく。


 最初に思ったのは、聖剣の主を受けたローゼに対する負の感情だ。口ではなんと言っていても、本当は受けて欲しくなかったのかもしれない。

 考えて胸の奥がずんと重くなるが、しかしよく見るとアーヴィンの表情は憂いや心配といったものではない気がする。


(迷い……かな?)


 悩んで答えを出したけれど、その答えが正しいのかどうかをまだ迷っている。今のローゼとよく似た、だけどそれよりもっと深刻な、そんな空気感。


(なにがあったの?)


 聞いてみようかと思ったが、なんだか躊躇われる。そしてアーヴィンの側も何も言わない。

 沈黙がおりる中、次に言葉を発したのはジェラルドだった。


「この馬。……まさか、北の」


 どうやらジェラルドはあまり大人しくしている性質ではないらしく、ふらふらとアーヴィンが連れている馬へ近づいて、「ほうほう」とか「なるほどなあ」などと呟いていたのだが、急に強張った声を出した。それがローゼよりほんの少し早かったのだ。


「おい。この栗毛馬、どうしたんだ?」


 アーヴィンがジェラルドを振り返る。


「黙っていてください」

「お前が乗ってるのは葦毛の馬だったよな? てことはリュシーちゃんに」

「黙っているはずでしたね、ジェラルド!」


 アーヴィンの声には有無を言わせない強さが含まれていた。

 確かに今しがたジェラルドは「しばらく黙っている」と言った。しかしアーヴィンの言葉に含まれているのはそのことなのだろうか。アーヴィンの立腹は何度も話の邪魔をされたからなのだろうか。

 ジェラルドの方へ顔を向けるアーヴィンの表情はローゼからは見えない。ただ、気圧された様子のジェラルドは横を向き、小さな声で呟く。


ーったよ」

「それでいいんです。私が紹介するときまで静かにしていてくださいね」


 村の子どもに対して諭すときと同じ調子で言ってアーヴィンはローゼに向き直る。その顔にあるのはローゼの良く知る穏やかな笑みだった。先ほどの迷いすらもう見当たらない。


「ちっとも話が進まないな。ごめん」

「ううん……」


 彼の声も、表情も、いつもと同じ。しかしそれが逆に不自然さを醸し出しているように見える。

 黙り込んだジェラルドと、戸惑いの表情を浮かべるローゼと。

 その中でひとり普段通りのアーヴィンが、自身の持っていた手綱をローゼに差し出す。意味が分からないローゼが手綱とアーヴィンの顔を交互に見つめていると、近寄ってきたアーヴィンがローゼの手を取り、手綱を握らせた。馬がローゼのすぐ目の前に来る。


 見る限り、まだ若い栗毛の馬だ。どうやら雌らしい。頭のてっぺんから足先に至るまで白いところも黒いところもなく、たてがみや尾は長い。

 優しい目をした彼女の、艶やかな毛に触れてみたくなって、今度はローゼが一歩近寄った。そこで風が吹き、ローゼは息をのむ。

 黄褐色だとばかり思っていたたてがみは宙に舞うと色が変わった。秋の夕暮れ時、海の向こうへ去りながら道に長い影を伸ばす、あの夕日と同じ色をしていたのだ。


「綺麗……!」


 風が静まってたてがみは元の位置に戻ったけれど、もう一度あの美しさが見たくてローゼはたてがみに手を這わせた。ふわりと持ち上げると、日に透けるたてがみはやはり茜の色に輝く。こんな素晴らしい毛色の馬をローゼは今まで見たことがない。


「こんにちは。あなたってとっても素敵ね。名前はなんていうの?」

「まだ無いんだよ」


 答えを返したのはもちろん馬ではなく、アーヴィンだ。

 馬に夢中で、自分のほかに人がいたことを失念していた。

 自分の言動が子どもっぽかったような気がして頬が熱くなる。


「へ、へえ、そうなの。じゃあ、この子は野生馬?」

「いや、違う。……そうだな、そういう意味では名はあるけれど、あくまで仮の名なんだ。ローゼが新しい名前を考えてあげるといい」

「なんで、あたしが?」

「この馬がローゼの馬になるからだよ。きちんと訓練された馬だから乗るに際しての心配はいらない。それに」


 続いてアーヴィンは馬に積んである荷物を示す。


「使えそうな物は入れておいた」


 ローゼは目を見開く。

 確かに何を持って行けば良いか分からないのでアーヴィンに相談してみようとは思っていたが、まさか用意されているとまでは思わなかった。


「でも、馬に荷物までなんて。あたし、そんなお金……」

「気にする必要はないよ。本来ならどれも大神殿側で用意するはずのものなんだ。ただ、アレン大神官は何も用意せずに来るだろうと思ったからね」


 アーヴィンの言う通りだ。ローゼに断らせることばかり考えていたアレン大神官が荷物を用意しているとは思えない。実際にアレン大神官はローゼに対して荷物の用意があるなんて一言も言わなかった。


「……本当に、いいの?」

「もちろんだよ。それから――ジェラルド」

「おう」


 太い声で返事をしたジェラルドがアーヴィンの横に立つ。

 ふたりの間には少しばかりぎこちない雰囲気はあったが、ローゼの眼差しを受けたジェラルドは不安を取り払うように明るく笑った。


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