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12話 出発に際して

 ローゼから見てアーヴィンは背の低い方ではないし、別に華奢なわけでもない。彼だって傷ついた村人を抱え上げられる程度の力はあるのだから当然だ。

 だけどこうしてふたりが並ぶと、ジェラルドはアーヴィンより頭半分ほど高いし、横幅も思いのほか差がある。やはり神官と神殿騎士ではいろいろと違うのかもしれない。


「ローゼ、改めて紹介しよう。彼はジェラルド・リウス。見ての通り神殿騎士だ。アレン大神官の一団として来てもらえるように私があらかじめ頼んでいたんだよ」

「よろしくな、ローゼちゃん!」


 ほんの短時間の付き合いだけでもジェラルドが悪い人でなさそうに見えていたが、アーヴィンがわざわざ頼んでいた、という事実がローゼの最後の警戒心を解かせた。


「ジェラルドさんがとてもいい人みたいで安心しました。こちらこそ、よろしくお願いします」

「おうよ! 俺はいい人だぜ!」

「そうだね。とても単純な彼は、裏表を考えて付き合う必要がない。とてもいい人だよ」

「……お前。それ、褒めてるのか?」

「おや、褒めてるように聞こえませんでしたか? 腹芸ができないから信用には足ると言ったつもりですが」


 すました調子でまぜ返し、アーヴィンはローゼに視線を向けてわずかに眉尻を下げる。


「だからいにしえ聖窟せいくつへ行く間に困ったことがあれば、ジェラルドを頼るといい。……私も一緒に行ってあげられたら良かったのだけれど、私はこの村の神官だからね」

「……うん。分かってる」


 嘘だ。

 きちんと分かったのは今だ。


 心の奥底でローゼは、実はアーヴィンが一緒に古の聖窟まで来てくれるのではないかと思っていた。

 だけどアーヴィンは来ない。

 代わりに彼は馬を始めとする精一杯の品物を用意してくれた。ジェラルドを呼んでくれたのだって「初めての旅に出るローゼが困らないように」との心遣いだ。


(それだけじゃないわ。アレン大神官と初めて会ったときに、何も教えてくれなかったこともよ)


 もしも先にアレン大神官の企みを聞いていたなら、ローゼが草原で受けた衝撃はもっとずっと弱かった。立っていられないほど震えることはなかったし、ひどく悩むこともなかった。

 けれど逆にいま心の奥にある「あれを乗り越えた」という実感も自信もなかったに違いない。

 あのときアレン大神官と対峙した経験があったからこそ、ローゼは少し強くなれた。


「ありがとう、アーヴィン。あたし……」


 移動するにも馬がなければ不便だ。もちろんローゼだって馬に乗ることは出来るが、ローゼの家には馬が一頭きりしかいない。明日からの旅で乗って行ってしまった場合は自宅に馬がいなくなってしまう。

 荷物だってそうだ。旅に出ると決めたのはローゼなのだから、本来ならこれはローゼが用意しなくてはいけないことだった。


 ひとつひとつに対しての言葉を尽くして礼を言う必要があるだろうが、灰青の瞳はローゼの気持ちなどすべて見通している気がした。

 だからローゼが選んだのは一言だけ。


「あたし、必ず帰ってくるから」


 笑顔でうなずくアーヴィンを見つめながらローゼは心に誓う。


(あたしが甘えるのは、今回だけにするわ)


 今回の旅の間に、アーヴィンが用意してくれた荷物を確認して、次からはきちんと自分で用意する。

 馬に関してのジェラルドとアーヴィンの遣り取りは少しばかり引っ掛かるが、これも後々の課題だ。

 とりあえず今すぐに気になるのはまた別のこと。


「ねえ。あたしがアレン大神官に答えを出したのは今日の朝よ? なのにアーヴィンはもっとずっと早く町にでかけてたでしょ? それって」


 言いかけてローゼは首を横に振った。


「ううん。違う。馬や荷物を手配して、ジェラルドさんに連絡まで取ってたんだもの。もしかしてアーヴィンはずっと前から、あたしの出す答えが分かってたの? それも神々からの予言?」

「まさか。今までの経験から得たものだよ」

「……経験って、なんの?」


 ローゼは困惑するが、アーヴィンは微笑むだけで何も答えなかった。代わりにローゼから手綱を受け取って言う。


「馬と荷物は神殿で預かっておくよ。出発はいつ?」

「ええと、明日の昼過ぎだってアレン大神官が言ってた」


 アーヴィンはジェラルドを見る。ジェラルドも同様にアーヴィンを。

 ふたりの表情が芳しくなくて、ローゼは胸の奥がざわざわする。


「……どうしたの?」

「出発は昼過ぎだと、アレン大神官が言ったんだね?」

「うん。ちゃんと聞いたわ」


 しかも念を押すようにして最後にもう一度「昼過ぎだ」と言った。ローゼがそう伝えると、ふたりは揃って苦い顔をする。


「あなたはどのように聞きましたか、ジェラルド?」

「追って伝える、だ。お前は?」

「あそこに立ち寄っていないので知りません」

「勝手にて勝手に帰って来たのかよ。自由な奴だな。まあいい。とにかく、間違いねえだろうよ」

「でしょう? 昼過ぎ、よね?」

「残念ながら、昼過ぎの出発にはならないよ」

「え?」


 アーヴィンの言葉にローゼが目を瞬かせると、ジェラルドが肩をすくめる。


「ローゼちゃんが昼過ぎに草原へ来たら、もう誰もいねぇだろうなあ」

「え? えええ?」


 つまり大神官はローゼを村へ置き去りにしたいらしい。皆には「聖剣の主は気が変わって、一緒に来なかった」とでも告げるのだろう。そう聞いてローゼは絶句する。


「早めに出発する腹積もりでいてくれな。時間が分かり次第、俺かフェリシアちゃんが迎えに――あ、そうだ。それで思い出した。フェリシアちゃんから預かってたんだ」


 ひとつ手を叩いたジェラルドは持っていた袋から一着の服を取り出す。フェリシアに貸していた上着だ。


「ありがとうってさ。フェリシアちゃんも明日を楽しみにしてたぜ。『ローゼ様と一緒に行けますわ~』なんつってよ」


 ジェラルドが妙に高い声でフェリシアの真似をするのがおかしい。笑って上着を受け取ると、ふわりと優しい香りがした。それが彼女の気持ちのように思えてローゼの緊張をわずかにほぐす。


「ありがとうございます。フェリシアにも伝えておいてください。『明日からよろしくお願いします』って」

「任せな! 覚えてたら伝えとく!」


 自慢げに胸を張るジェラルドと、彼に視線を向けてため息をつくアーヴィンと。息が合って見えるふたりがおかしくて、ローゼはつい吹き出してしまった。


 こうしてローゼの出立に当たって問題だったうちの一つ、荷物に関してはアーヴィンのおかげで解決した。

 しかしまだもう一つは解決していない。家族への言い訳だ。

 アーヴィンからは「口裏を合わせる」と約束してもらえているのであとはローゼが内容を考えるだけなのだが、困ったことに何も思いつかない。


(……もういいや。黙って抜け出そう)


 半ば自棄やけでそう決めたローゼだったが、幸か不幸か抜け出さずに済んだのは、帰宅後すぐに居間へ呼ばれたからだった。

 祖父母、両親、弟ふたりが待ち受ける部屋でローゼは椅子に座らされる。

 そうして机の向こうで祖父が口を開いた。


「村長さんから聞いたんだがな、ローゼ。大神官様に見初められたそうじゃないか」

「えっ、誰が?」

「お前がだ」

「ん?」


 よく分からなくてローゼが首をひねると、父が重いため息をこぼす。


「大神官様のところか……遠いな」

「良い話じゃないか。ローゼのためだ、祝福してやれ」

「なになに? あたし? あたしがどうしたって?」

「だからお前は、大神官様の元へ嫁に行くんだろう?」

「あたしが? 大神官、の?」


 幻の草原でアレン大神官が「あなた様は私の嫁に選ばれたのです」と告げる。

 ローゼの呼吸は瞬き三回分とまった。


「はあ? はああああ!?」


 叫んでローゼは立ち上がる。派手な音を立てて椅子が倒れるがそれどころではない。


「なにそれ! ない! ない! 絶対ない!」

「隠さなくていいぞ。ワシはこの耳ではっきりと聞いた」

「ちょっと待って! なんて聞いたの!」

「大神官様がローゼに一目惚れして、明日の出発に合わせて連れて行きたいと仰った、と」

「ちっ、がーう! 誤解――!」


 そこでローゼはふと気がついた。話の出所が村長だというなら、もしかしたらディアナがローゼのために村長へ何か進言してくれた可能性がある。何しろディアナは村長の娘だ。


 聖剣の主に関する話は大神殿から公布されるまで口外禁止だと聞いている。信頼できるごく少数の相手になら話しても構わないそうだが、しかしローゼの家族、特に祖母と母の口は、ひとつまみの砂よりもまだ軽い。聖剣の主の話をしたが最後、あっという間に村中に広まってしまうだろう。

 考えてみれば村を出る良い言い訳が思いつかなかったローゼにとって、この“嫁”の話は好機な気もする。

 ただし相手がアレン大神官だというのは嘘でも絶対に嫌だ。考えてローゼは一部分だけを採用することに決める。


「ええと、その。王都へ行く話は本当よ。ただし、相手が大神官っていうのは誤解」


 相も変わらず棒読みの口調になったが、話に食いつく家族は気づいていないようだ。


「大神官様でないのなら誰なのかね?」

「だ、大神官一行の、人……」

「なるほどな。しかし、いったいどんな人物だ? 遠くへ連れて行く相手の家に挨拶にも来ないのは少々不誠実だと思うぞ」

「それは……その……他の人たちの手前もあって、噂になるようなことは慎みたかったっていうか……そ、そう、本決まりになったら改めて挨拶に来るつもりでいるのよ。この話はアーヴィンも知ってるから、嘘じゃないわ」

「ふむ、アーヴィン様も知っておられるのなら間違いはないか。……だけどせめて名前と素性くらいは聞かせてくれてもいいんじゃないかね」


 祖父の言い分はもっともだ。今回の一団の中で名前を知る人物はひとりしかいないローゼは、心の中で何度も「ごめんなさい」と彼に頭を下げてから言う。


「神殿騎士の……ジェラルド・リウス……さん」


 すかさず弟ふたりが「カッコいい!」と叫ぶ。

 目をキラキラとさせた祖母と母は互いに顔を見合わせた。


「神殿騎士っていうと、鎧を着てたあの人たちだね」

「神官様もいいけど、神殿騎士も素敵ですよね、お義母かあさん!」


 一方の祖父と父はまだ難しい顔をしていたが、イレーネが酒とコップを持って現れるとたちまち相好を崩した。


「まあ、なんだ。めでたいことには変わりなかろう」

「父としてはローゼの門出を祝ってやらないとな」


 ふたりは「祝杯だ」と言いながら酒を注ぎ始める。

 机にはイレーネが運ぶ料理が並び、賑やかな空間を湯気と良い香りで満たした。

 その様子を見ながらそっと立ち上がり、ローゼは賑やかな居間を後にして自室へ戻る。居間の机にはローゼの好物も並んでいたので惜しい気もするが仕方がない。


 アーヴィンは荷物を用意してくれているが、下着や愛用の品など身の回りの品はローゼ自身で準備する必要がある。

 それにローゼが家を出るのはおそらく星が瞬く頃合だ。

 出発前に少しでも休み、皆に迷惑をかけないようにしなくてはいけない。何しろこれがローゼにとって初めての旅なのだ。



   *   *   *



 俺の初めての旅はひどいものだった。


「レオン様は聖剣の主ですから、ご一緒するなど恐れ多いことです」


 そう言って神官どもは同乗者のいない馬車に俺を押し込めた。いにしえ聖窟せいくつへ行く間も、王都へ向かうときも、俺はずっとひとりきり。傍に誰か来るのはせいぜいが食事時くらい。もちろん一緒に食うわけじゃなくて単に持ってくるだけだから、なんだか俺は軟禁されてる気分になってくる。


 王都へ行ったら解放されるかと思ったが、今度は『聖剣の主を拝命する儀式』があるとかで留め置かれた。

 さらに王宮のお披露目会とかいうものにも行かされたが、なんのことはない。神殿関係者や貴族どもに笑いものにされただけだった。

 しょうがないだろ。丈の長い服なんて着たことがない俺はどうしても裾を踏んでしまう。それに食事マナーや受け答えの常套句だってよく分からない。


 しかもこのあとは各国の聖剣の主を集めての交流式にも出なきゃいけないそうだ。

 他にもできるだけ、新年の神殿祭礼や王宮の催しに参加する必要があるとは、神官のひとりが言いやがったこと。嫌味のように「次こそはきちんとしてくださいよ、レオン“様”」と敬称まで強調してな。


 そうか、分かったよ。

 交流だか祭礼だか社交界だか知らんがやりたきゃ勝手にやれ、俺は二度と出ない。

 聖剣の主としての役目を真面目にこなせば問題ないだろ?


 ……だけど大神殿にいるエルゼのことを思うと胸が痛い。

 俺の幼馴染ってことで嫌がらせされなきゃいいんだけど。


 村の神官様にも申し訳なく思う。

 本当なら「聖剣の主を輩出した村の神官」ってことで大手を振って歩けるはずなのに、逆に肩身が狭くなってるかもしれない。


 ごめん。

 せっかくの聖剣の主が俺みたいな奴で。

 でも俺は俺しか頼れない。

 そして俺ひとりじゃ、あんなの、どうすることもできないんだ……。


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