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13話 旅立ちの朝

 良い具合にまだ暗いうちに目が覚めた。ローゼは枕元に置いた輝石きせきを点し、仄かな明かりの中で支度を始める。

 靴は履きなれたものにしたけれど、着るものは昨日のうちに渡してもらったものだ。

 聖剣の主になるのだから魔物と戦うことは多くなるが、ローゼは鎧を着慣れていない。それを考慮してアーヴィンが用意してくれたのが、大神殿で作られたという紺色の旅装りょそうだった。


 上は長袖チュニック、下は長ズボンというあっさりとした組み合わせの服だが、実は聖なる力が籠められた糸で作られており、魔物の攻撃をある程度防ぐ効果があるらしい。見た目は硬そうなのに不思議と肌触りはなめらかで、ごわついた服ばかりを着るローゼにとっては着慣れていなくて少しくすぐったいものだった。


(だけど夢の中のレオンはただの服を着てたっけ……)


 彼の服装は薄茶色をした厚手のシャツとズボン、その上から濃茶のマントを羽織っていただけ。やはり鎧ですらなく、旅装でもなかったが、手の甲から前腕部までは革の籠手も着用して戦闘に臨める態勢は整っていた。


 そして剣帯には、印象深い一振の剣が。


 握り部分の模様はあっさりしていたが、代わりに鍔は黄金の翼を模した豪華なものだった。

 しかも柄頭には透明の美しい玉がはめ込まれており、その中では金色の光がちらちらと瞬いていた。

 なんとも優美で、なんとも高貴な印象を見る人に与える剣。


(あれはきっと、聖剣だった……のよね?)


 ただし聖剣を得たというのに、レオン自身の表情は以前と違って暗かった。

 前に夢で見たとき――赤い髪のエルゼや村の神官様と一緒にいたときのレオンには笑顔も見られたが、今回の見た夢の中のレオンはずっと硬い表情だった。彼の旅路はどうやら良いものではなかったようだ。


(前にレオンの夢を見たのも「聖剣の主に選ばれた」と言われた翌日だったっけ)


 古の聖窟なる知らない言葉が出てきたし、知らない景色もいろいろと出てきたが、今までの本や絵で見たことがあったのだろう。頭の片隅に知識として残っていたから、きっと夢に見た。


(あれもあたしの不安が作り出した夢なんだろうなあ。……今回のあたしも、旅がどうなるか分からなくて不安なんだわ)


 だからこの出発の日に、またレオンの夢を見てしまったのだ。


 しかし夢は夢でしかない。

 頭を振ってレオンのことを追い出し、髪を結って準備を終えたローゼは荷物を持ってそっと裏口から出る。

 井戸の水を汲み、縁の欠けた木の桶に手を入れると、中の水は感覚が麻痺するほど冷たかった。顔にかけるとまだ頭に残っていた眠気がパッと去って行くのがありがたい。


 この水で顔を洗うのも、ローゼを日々迎えてくれる家に戻るのも、いつものこの道を通るのも、しばらくは先のことになる。そう考えるたびに、見知らぬ世界へ出るときめき期待の奥で、ひっそりとした痛みが湧き上がる。もしかするとこれが感傷というものかもしれない。

 なんとなく道の途中で立ち止まり、家の全容を目に焼き付ける。家族の顔を思い浮かべながら大きく手を振ったローゼは、星明かりの下、星のような輝石の光で足元を照らしながら神殿へ向かう。


 普段は夕方になると鍵を閉めている神殿の門だが、今日は一晩中開けたままにしているとアーヴィンは言っていた。

 ローゼは先ほどの水と同じくらい冷たい鉄の門を握って押す。神殿の前庭にはまだ誰もいないので、さすがにこの時間の出発はないようだ。


 仄かな花の香りに包まれながらぼんやりしていると、正面にある神殿の扉が開いた。姿を見せたのは神官服姿の男性だ。


「アーヴィン!」


 ローゼの声を聞いた彼はランタンを軽く上げた。その明かりに向かってローゼは走る。

 夜の神殿にいるのは神官だけ、つまりアーヴィンだけ。だから音を立てても他の誰かの迷惑にはならない。


「ごめんね。起こしちゃった?」

「いや、ローゼが来るかもしれないと思って今日は起きていたんだ。お入り、暖炉に火をいれてあげるよ」

「……ううん。あたし、外にいるから、いい」


 なんとなく、暖かい室内でぬくもっているより、寒くても外で景色を見ていたい気分だった。

 アーヴィンの好意を断った形になったけれど、静かに微笑む彼に気を悪くした様子はない。代わりに「暖かくするんだよ」と言って戻って行ったので、ローゼは神殿の石段を手で払って座り、旅装一式に含まれていたマントにくるまる。

 静かな空気の中、少しずつ変わる夜空を背景に村の様子を眺めていると、背後からは足音が聞こえたあとに再び扉が開いた。黙ったまま振り向くこともしないローゼの横で、コトリと小さな音がする。


「もう少しのあいだ、村と話をしておいで」


 穏やかな低い声がそう囁き、足音はまた奥へ消える。ローゼの鼻腔に芳しい香りが届くのは、アーヴィンがカップを置いて行ってくれたからだ。湯気の立つカップを冷えた手で持ち、熱を楽しんでから一口飲みこむと、じんわりとしたあたたかさが体を満たす。


「……美味しい」


 もう一口飲んで、ほっと息を吐いたローゼはまた顔を上げる。


「……村と話、か……」


 その言葉はローゼの今の気持ちを表現するのによく合っていた。

 そうしてローゼは村を見つめたままチビチビとお茶を飲む。お茶は本当に美味しかったのだけれど、ほんの少しだけ涙の味がした。

 出来れば今は誰にも会いたくないと思ったけれど、ありがたいことにアーヴィンがローゼを呼びに来たのは、カップの中身が空になって少し経った頃だった。


「そろそろ支度をしておいた方がいい」

「うん」


 ローゼは立ち上がる。きっと寒さで顔は赤くなっているはず。目が赤くなっているのも同様に考えてもらえるといいな、と思いながら手にしたカップを差し出した。


「お茶をありがとう。とっても美味しかった」

「それは良かった。見よう見真似だけど上手くいくものだね」

「誰かの真似なの?」

「ジェラルドのね。彼は大雑把だけれど、お茶を淹れる技術だけは大したものなんだよ」

「へえ……」


 そこでローゼは、旅に出る言い訳としてジェラルドの名を使ったことを思い出した。口裏を合わせてもらうためには、アーヴィンにも言い訳の内容を伝えておかなくてはいけない。


「そうだ、アーヴィン。家族への言い訳なんだけど……」


 ささっと伝えれば良いだけなのに、なぜか言葉が出てこない。アーヴィンはローゼを急がせることなく黙って待ってくれている。


「あ、あのね。誤解しないでほしいんだけど。あたし別に、そういう気持ちは全然なくて。あくまで成り行きで、これっぽっちも、そんなつもりはないから、そこは、分かってね」


 弁明の言葉を先に並べ立てておいて、深呼吸を一つ。ようやくローゼも踏ん切りがついた。


「あたしが村を出る理由は、ジェラルドさんと結婚の約束をしたから、って話にしてあるの!」


 二、三度瞬いたアーヴィンが口を開きかける。それを制してローゼはは更に言い募る。


「違うの違うの! だってね、昨日家に帰ったらお祖父じいちゃんになんて言われたと思う? 『アレン大神官に見初められて王都へ行くんだろう?』よ! 村長さんからそう聞いたんだって! 多分ディアナが気を利かせてくれたんだと思うんだけど、でも、相手があのアレン大神官よ? こんな嫌な言い訳ってある? だからね!」

「ローゼ」

「本当よ。本当の本当にジェラルドさんに恋愛感情はないの。アーヴィンが信用してるから良い人なんだろうなって思うけど、それだけよ。でも家族からは相手の名前を教えろって言われて、他にあの一団にいる人の名前なんて知らなくて、だから仕方なくて。つまり心の底から恋愛なんて関係無くて、ジェラルドさんのことは全然なんとも思ってなくて、間違いなく断言するけど言い訳するためだけのもので!」

「……そこまで否定されると、ジェラルドが可哀想になってくるな」


 肩で息をしながら言いきったローゼに向け、アーヴィンはくすりと笑う。


「事情は分かった。今はそういうことにしておこうか。いずれ否定しておくし、理由も私の方で考えておくよ」

「うん。お願い」


 踵を返し、アーヴィンは先に神殿へ入る。ローゼはその背中を追いかけた。

 中ではいつものように清涼感のあるこうが焚かれている。ローゼはこれを神殿の匂いとして認識しているのだが、どこの神殿でも同じ香が焚かれているのだろうか。


「ねえ。アーヴィンの出身地ってどこ?」


 答えが戻るまでには一瞬の間があった。


「……もっと北の方だよ」

「ふうん、北なんだ。村? それとも町だった? まあ、どっちにせよ神殿はあるよね。そこの神殿でもグラス村のと同じ香は――」

「馬は裏庭にいる。今日はここを通ろう」

「えっ?」


 急に話を切られたのには少々驚いたが、大した話ではないので問題はない。それよりも、神殿関係者だけにしか通行が許されない扉をアーヴィンが開けてくれたことの方に驚いた。この扉の先をローゼは今まで見たことがない。


「いいの?」

「構わないよ」


 村の中で唯一、絶対に入れなかった場所に行ける。

 やった、と心の中で呟き、ローゼは再びアーヴィンの背中を追いかけた。

 年代物の青い絨毯が敷かれた廊下を進み、いくつかの扉や角を通り過ぎる。最後に曲がった先で少し様相が違う扉をアーヴィンが開くと、そこには草のそよぐ場所が広がっていた。


 ここは神殿の裏庭だ。本来なら神殿の関係者しか入れない場所だが、ローゼはこっそりと忍び込んだことがあるから知っている。その翌日にアーヴィンから“忍び込んだ罰”をもらったのも懐かしい思い出だ。

 この奥には神殿によく似た形の小さな石造りの建物があり、反対側には木の小屋がある。おそらくあの小屋が馬屋ではないかとローゼはにらんでいたのだが。


「馬はあそこにいるよ」


 アーヴィンが指したのは、やはり木の小屋だった。


「馬具のつけ方は分かるね?」

「うん、平気!」


 アーヴィンにうなずいて、ローゼは足取りも軽く馬屋へ向かう。

 中にいたのは二頭だ。一番奥ではアーヴィンの乗る葦毛あしげの馬が泰然と立っており、手前の馬房で昨日の茜色の馬がローゼを振り返った。

 分かりやすく台に載せられていた馬具を取り、ローゼは茜色の馬に近づく。


「あなたの名前を決めたわ。セラータっていうの。――今日からよろしくね、セラータ」


 綺麗な首筋を撫でて、ローゼは馬具の装着を始めた。

 セラータはとても大人しく、しかも賢い馬だった。思ったよりも少ない時間で支度が整ったのは、セラータがローゼの動きに合わせてうまく動いてくれたおかげだ。優しい彼女とは、この先の旅でも仲良くできるような気がする。


 素敵な馬を用意してくれたアーヴィンに心からの感謝を捧げるローゼがセラータを連れて馬屋の外へ出ると、まるで見ていたかのようにして、裏庭と道を繋ぐ門が開いた。


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