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14話 夜が明けて

 天の頂にはまだ星があるものの、空の端は薄っすらと紫がかってきている。陽が上るまではいくらもかからない。

 神官補佐たちが神殿に来てもおかしくない頃合なので、彼らが現れる姿をローゼは想像したのだが、門の向こうにいたのは小柄な人物だった。綺麗な白金の髪を風になびかせた彼女は、銀色の鎧を身に纏っている。


「まあ! おはようございます、ローゼ様!」


 そして優美な声でそう叫び、ローゼの方へ駆け寄ってきた。

 フェリシアだ。


「おはよう。フェリシアが迎えに来てくれたんだね、ありがとう」


 ローゼがそう返すと、フェリシアはぴたりと足を止め、大きな瞳をこぼれんばかりに見開いた。


「あの……ローゼ様。今、なんと仰いました?」

「え? おはようって」

「そのあとですわ」

「そのあと……迎えに来てくれてありがとうって」

「いえ、あの、その前……」

「前? ええと……あ、そっか」


 最初に会った際、フェリシアは「どうぞフェリシアとお呼びくださいませ」と言っていたし、ローゼも友人たちを呼び捨てにしているので同じようにしてしまった。しかし向こうがローゼに敬称をつけてくれているのだから、ローゼも同じようにした方が良かったのかもしれない。


「ごめん。フェリシア様、だね」

「いいえ、いいえ!」


 フェリシアはぶんぶんと首を横に振る。


「そのまま! そのままで呼んでくださいませ!」

「……敬称をつけずにってこと?」

「はい!」


 今までで一番大きな声で返事をしたフェリシアの瞳は、きらきらと輝いている。



《挿絵》

https://kakuyomu.jp/users/Ak_kishi001/news/16818093080044784876



 それがあまりに期待に満ちた光だったので、ローゼはもう一度言うことにした。


「えーと……おはよう、フェリシア」

「はい!」

「フェリシア?」

「はい!」

「フェリシア……えっ、フェリシア?」

「はい! ……はい、はい……!」

「どうしたの!」


 みるみるうちに潤んだ大きな瞳からは、大粒の涙がこぼれ始めた。


「なにかあった?」


 再び左右に、だけど今度は弱めの勢いで首を横に振ったフェリシアは「なんでも、ありませんの」と答え、手の甲で頬をぬぐう。


「お会いできて、ご一緒できて、とても嬉しくなりましたの。今日からよろしくお願いしますわね、ローゼ様」

「あ……う、うん。よろしくね」


 泣くほどの何かがあったことに戸惑いはあったが、逆に泣くほどの何かなのだから深く追求はしない方がいいのかもしれない。それで、ローゼはただうなずいた。


「ところでフェリシアが来てくれたのは、そろそろ出発しそうだから?」

「はい。草原では天幕の撤収が始まっていますわ。先ほどアーヴィン様にそうお伝えしましたら、こちらにローゼ様がいらっしゃると教えていただきましたの。……お荷物はまだ積んでいませんのね。わたくし、中へ行って取ってまいりましょうか?」

「ううん。アーヴィンに伝えてくれたなら平気よ。多分――」


 言いかけたところで神殿の扉が開き、中からは当のアーヴィンが現れた。手には大きな荷物がある。ほら、と心の中で笑い、ローゼはアーヴィンの方へ歩み寄った。彼はこうしていつも状況を読んで動いてくれる。


「ありがとう、アーヴィン!」


 セラータを牽いたまま彼の方へ近寄る。よく見るとアーヴィンはふたつの荷物を持っていた。一つは昨日も見た大きなもの。もうひとつは小さな包みだ。その、小さな包みをアーヴィンはローゼに差し出す。


「なに?」

「さっきイレーネが持ってきてくれたよ」

「ええっ?」


 確かにこの布は家で見たことがある。畑へ持って行く昼食を包むときに使うものだ。顔に近づけると、中からは食欲をそそる香りがした。そういえばローゼは朝食をとっていない。イレーネはそれを見越して作ってくれたのだろうか。


(……あの子ったら)


 嬉しいけれど、気を使いすぎるあの妹の将来が少し心配でもある。


 一方でこちらもよく気の付く人物、アーヴィンは、昨日の荷をセラータの背に括り付けてくれていた。

 出立に当たってたくさんの人に気にかけてもらえて、ローゼなんて幸せなのだろう。受け取ったばかりの包みを胸に抱き、ローゼはアーヴィンに向き直る。


「昨日も言ったけど、あたし、必ず帰ってくるわ。次は聖剣も一緒に」

「そうだね。皆、ローゼの無事な姿を見たらきっと喜ぶだろうね」

「アーヴィンだって意地悪しないで出迎えてよね。約束よ?」


 今度は何の返事も戻らない。


「……アーヴィン?」


 名前を呼んでもアーヴィンはローゼを見なかった。代わりに彼は空を仰ぐ。


「今日は雨も降らないはずだから、雨具は荷の中に入れてある」

「あ……うん」

「そろそろ行った方がいい。アレン大神官は撤収をかなり急がせているはずだ」


 彼の穏やかな笑みはいつもと同じで、だけど声には有無を言わせぬ調子があった。


「フェリシア様、ローゼを呼びに来てくださってありがとうございます。どうぞジェラルドにもよろしく伝えてください」

「分かりましたわ」

「ローゼも、気を付けて。旅の無事をいつも祈っているよ」


 裏庭の門を開けたのはアーヴィンだ。セラータを連れたローゼはフェリシアに続いて外へ出る。道を行き、最後に振り向くと、アーヴィンはまだ見送ってくれていた。その姿に手を振ってローゼは角を曲がる。


「……ちゃんと約束してくれないなんて。アーヴィンったらこんなときまで意地悪なんだから」


 彼は約束は受け取るが、今まで一度も約束をしてくれたことがない。不満には思うがアーヴィンはグラス村にいるのだから気にする必要はない。それよりも今回は、ローゼがきちんと戻ることの方が重要だ。何しろこれがローゼにとって初の旅であり、しかもそれは聖剣を手にするためというとても大切なものなのだから。


 そのまま道を進んでいくと、いつもならまだ閉じられているはずの村境の門が既に大きく開いているのが見えた。どうりでフェリシアが神殿に来られたはずだ。

 本来ならこんなに早く開いているはずはないので、おそらくアーヴィンが昨日のうちにでも言っておいてくれたのだろう。


(でも、居眠りしてちゃ番兵の意味はないよねえ)


 小さな建物にいる老兵がこっくりこっくりと頭を動かしている様子を見ながら、ローゼはくすりと笑う。


(ま、うちの村だからしょうがないか)


 大神官の一行が去るのは今日だ。明日からは彼の日常も普段通りに戻るだろう。

 門を出たところでフェリシアは立ち止まり、道の脇にある林を示す。


「わたくしはこちらから戻ります」

「うん」


 フェリシアは今回来ていないはずの人物なのだから、ローゼと一緒に行動するわけにはいかない。


「ローゼ様は道を進んで、まずは大神官様のところへ行っていただきたいのですけれど……」

「心配いらないわ。ほら、あたし、昨日も大神官のところにひとりで行ったのよ。今日はセラータだっているし、それにまた後でフェリシアにも会えるんでしょう?」

「もちろんですわ! わたくし、こちらへ来るときも密かに部隊と合流しましたの。帰りだって、密かに合流しましてよ!」

「良かった。すっごく心強い」


 ローゼの答えを聞いて破顔したフェリシアは「また、後で。必ずですわよ。絶対ですわよ!」と言って林の中へ消えて行った。


(……さて)


 足に力を入れてローゼは歩き出そうとし、ふと思いついてセラータに騎乗する。

 目線が上がって視界が開けた。少しずつ明るくなっている東の空だって良く見える。今日はきっと良い天気だ。


「行こう、セラータ!」


 ローゼの合図に合わせ、セラータは足取りも軽く進み始める。先ほどまで寒く感じていた風がこんなにも気持ち良く思えるのは、セラータに初めて騎乗したローゼの気分が高揚しているからかもしれない。


 ほどなくして目に映った草原の景色は、がらりと様相を変えていた。あるいは、元に戻ったと言うべきだろうか。

 あちこちに張られていた天幕はとうに畳まれており、荷馬車の準備も終わりに近い。確かに出発までは間がなさそうだ。


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