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15話 出発

 セラータに乗ったローゼが進んでいくと道に近い場所にいる神官が顔を上げて何かを言う。それを始めとして辺りにざわめきが起き、瞬く間に余波はかなり奥の方まで広がった。結果的にローゼは多くの神官や神殿騎士たちに凝視されることになったが、こんなものは最初に草原で全員に頭を下げられた時の衝撃に比べたらものの数にも入らない。


 草原のどこを行くべきかは悩まなかった。皆が少しずつ場所を空けてくれたからだ。その先にアレン大神官がいるのだろうというローゼの予想は当たり、やがて目の前には驚くほど豪華な馬車と、その横に立つアレン大神官が現れた。

 アレン大神官は周囲の神官たちになにか指示を出しているようだった。その中のひとりがローゼを認め、声をあげる。合わせて辺りの神官たちが信じられないものを見たような表情を浮かべ、ようやくアレン大神官が振り返った。


 大神官の眉間の皺の刻まれようときたら、二度と元には戻らないのではないかと思うほどだ。

 思わず上がってしまう口角をなんとか引き戻してローゼはセラータから下り、手綱を引いて大神官の前まで近寄る。


「おはようございます。出発にはうってつけの天気ですね」

「……なんでいるんだ」

「あたし……いえ、私は、旅に出るのが初めてなんです。ワクワクして眠れなくて、ついこんな時間に来てしまいました」


 言って、ローゼは辺りを見回す。


「大神官様も旅が楽しみで仕方なかったんですね。昨日はちゃんと眠れました?」


 近くの神官が吹き出す。大神官はそちらをひと睨みしてからローゼの方へ顔を戻した。


「……これから古の聖窟へ発つ。其方そなたにはここにいる神官たちと行動を共にしてもらおう」

「えっと……」

「おはようございます、アレン大神官様。それに、ローゼ様」


 突如として割って入った声がある。いかにも通りすがりといった具合の女性神官のものだ。彼女は柔らかな笑みを浮かべてローゼを見る。


「ローゼ様は旅を取りやめたとお聞きしましたが、考え直されたのですね。よろしゅうございましたわ」


 ローゼの視線を避けるように、大神官はそっぽを向いた。


「ところで今、ローゼ様がアレン大神官様のお近くの神官と動かれる旨を耳にしました。しかしローゼ様はこれから剣を扱うことになるかた。神官よりも神殿騎士たちと行動を共にした方が学ぶべきことも多いかと存じますが、いかがでしょう?」


 アレン大神官はきっと反対するだろうとローゼは思った。しかし意外にも彼は「……好きにしろ」と吐き捨てるように言っただけで反対意見は述べなかった。


「さすがはアレン大神官、賢明な判断をなさいますわ。さ、ローゼ様、神殿騎士がいるのはあちらです。お好きな部隊に参加なされませ」

「はい。……ありがとう、ございます」


 敵か味方か判断はつかないが、結果的には助かった。ローゼが礼を言うと、女性神官はにっこりと微笑んで立ち去る。どうやら大神官へ進言するためだけに来たらしい。

 その背に向けて誰かがぼそりと呟く。


「ハイドルフのいぬめ」


 それが決定的だった。


(あの人は少なくとも敵じゃない)


 確か北の森の小屋でアーヴィンと話したとき、彼は「今回来ている全員がアレン大神官の配下というわけではないんだ」と言っていた。つまりはそういうことなのだろう。


「では、神殿騎士のところにいきますね!」


 ローゼが大きな声で宣言すると、苦虫をかみつぶしたようなアレン大神官が何かを言おうとする。

 そのときだった。

 一陣の風が音を立てて通り過ぎる。顔の前に草が飛んできてローゼは目を閉じた。草を払い、頭を振って、再びアレン大神官を見ると、彼は目も口も開いたままローゼの後ろへ視線を向けて動きを止めていた。

 何があるのだろうかとローゼも振り返るが、特に何も見当たらない。あるのはせいぜい、風でなびいたセラータのたてがみと尾が元に戻っていく光景くらいだ。


「どうかしました?」


 ローゼの問いかけにも気づいた様子がない。アレン大神官はそのまましばらく動きを止めたあと、何も言わずに馬車へ乗り込んでしまった。


 大神官がいなくなってしまえばあとの神官たちは特に問題ではなさそうだった。

 ローゼは「出発前のお忙しい時間に失礼しましたー!」と言って頭を下げ、有無を言わせずその場を立ち去る。神殿騎士が多くいる方へ足を進めると、ほどなくして覚えのある太い声が聞こえた。


「おっ! そこにおられるのはローゼ・ファラー様ではありませんかあ! よかったらー、うちの部隊へいらっしゃいませんか? 来ますか! そりゃあ良かった!」


 演技が下手というより演技をする気がさらさらない様子の神殿騎士は、もちろんジェラルドだ。彼は親指で背後を指し、ニッと笑う。


「予定通りだな!」

「はい、おかげさまで。古の聖窟までよろしくお願いします」

「任せときな! ……ただ……」


 大柄な神殿騎士は晴れ空のような顔を少し曇らせる。


「正直に言うと、まぁ、なんだ。神殿騎士の方は、神官側とまた少し雰囲気が違っててな。別の意味で居心地は悪いかもしれない」

「仕方ないですよ。あたしがどういう人物か分からないですし、今回の代表のアレン大神官から睨まれてますし」


 ローゼは言うが、ジェラルドの表情は晴れない。

 どこか不安そうな彼と一緒に草原の奥の方まで行くと、何人かの神殿騎士が出発の準備をしている。そこに向かってジェラルドは「よう」と声をかけた。


「ローゼ・ファラーちゃんだ。一緒に行動することになるから、よろしくなー」


 辺りの神殿騎士が一斉にローゼを見る。少々たじろぎながらもローゼが、


「よろしくお願いします」


 と挨拶をすると、辺りからはやはり一斉に「よろしくお願いします!」と返ってきた。

 神官側にいたときは様々な思惑がまざった視線を向けられることが多かった。しかし神殿騎士はそれとはまた違って不思議な空気感だ。例えるなら好奇とか興味とか、そういった類のように思える。

 何に由来するものだろう、と思いながらジェラルドと一緒に先へ進むにつれ、ローゼはひとつの言葉がよく聞かれることに気が付いた。


「……賭け?」


 ぽつりと呟くと、横を歩くジェラルドが気まずそうに頬を掻いた。となればローゼにも察しが付く。おそらく神殿騎士たちはローゼに関して何かしらの賭けをしているのだ。

 どうやら今回の大神官は我欲が強く、神殿騎士は賭け事が好きらしい。


(神に仕える人たちって清廉潔白というか……俗世と離れてる印象があったけど、そういう訳じゃないっていうのが今回のことで良く分かったわー)


 分かっても別に不快ではなかった。むしろなんだかおかしい。

 神殿騎士は魔物との戦闘を主として行動する集団だ。こういった形の息抜きが必要な心持にもなるのかもしれない。


 ジェラルドが「荷物の最終点検をする」と言って少し離れたので、ローゼはひとりで端に寄る。相変わらず好奇の視線を感じながらセラータを撫でていると、向こうから大きな黒い馬が駆けてきた。背に乗る小柄な人物は器用に馬を操りながら周囲の人や荷物を避け、ローゼの近くで軽やかに飛び降りる。


「初めまして、お会い出来て嬉しいですわ、ローゼ様! わたくし、フェリシアと申しますの!」

「初めまして、ローゼです。よろしくお願いします、フェリシア」


 ローゼが神殿騎士たちと会うのは初めてだということになっているのだから、知り合いのように挨拶をするわけにはいかない。

 それで言葉だけはやや他人行儀に挨拶をして、顔を見合わせ、ローゼとフェリシアは同時に小さく吹き出した。


「おっ、なんだなんだ? ローゼちゃんとフェリシアちゃん、もう仲良くなってるのか。楽しそうでいいなあ」


 言いながらのんびりと戻ってきたのはジェラルドだ。彼は片手に短めの剣を持っている。


「ところでローゼちゃん、ちょっと荷物を見せてもらっていいかな。あ、奴が準備した方。多分入れてあると思うんだよなー」


 奴というのはアーヴィンのことだろう。どうぞ、と言うとジェラルドはセラータに結び付けた荷物の口を器用に開ける。


「えーと……よし、やっぱりあった」

「帯ですか?」

「そう。剣帯な。ローゼちゃんも今後は帯剣して行動することになるはずだろ? やっぱり勝手が違うから、今から慣れとくといいんじゃないかと思ってな」


 言って彼は着け方を教えてくれる。ローゼがその通りに着用したところで、ジェラルドは持っていた剣を渡してくれた。想像以上にずしりと重い。


「俺の予備の剣だけどさ、まあ護身用って意味も含めて差してるといいぜ」

「ありがとうございます」


 護身用ということは、これからは魔物と戦う可能性があるということだ。なんだか身が引き締まる思いがする。しかし。


「……動きづらいですね」

「だろ? まあ、ぼちぼち慣れていけばいいさ」

「はい」


 聖剣の主になる、というのをこういうところでも少しずつ実感する。


 もしもレオンのようにひとりきりだったら、ローゼは耐えられなかったかもしれない。だけどアーヴィンが様々な手配をしておいてくれたおかげで、初めての旅であってもこんなに不安がなくていられる。本当にありがたいことだ。


 草原の中でも道に近い側で声があがった。それを合図に周りの神殿騎士たちが騎乗する。ジェラルドとフェリシアに促され、ローゼもセラータに乗った。

 いよいよ出発だ。


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