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27話 神降ろし

 目が覚めたローゼは天井を見上げる。見覚えがないはずなのに、見覚えがあった。しかもこの天井の下で誰かと喋っていたような記憶まである。それが何なのか思い出そうとするが、どうしても記憶を手繰れない。


(……夢、かな? うん、きっと夢だ)


 そう結論付けたローゼが起きようとしたとき、扉を叩く音が部屋に響いた。ローゼが応えると、入って来たのはフェリシアだ。


「ローゼ! 良かった、目が覚めましたのね!」

「おはよう、フェリシア。えーっと、ここはどこ?」


 起き上がったローゼが寝台に腰かけると、フェリシアも机の前にあった椅子を引いてきて向かい合わせに座る。

 この椅子に座った誰かと話をしたような気になったが、それだってただの既視感に違いない。


「ここはグラス村の神殿内にある客間ですわ。ローゼは祭壇で気を失ってしまいましたのよ」

「祭壇……」


 その言葉で思い出した。ローゼは昨日、何かに急かされるようにして神殿に来たのだ。祭壇に聖剣を置き、エルゼや神官に呼びかけ、不思議なことに過去を垣間見た。そうしてエルゼとレオンの話を聞いたところまでは覚えているが、以降の記憶はふっつりと途切れている。


「あたし、自分がが祭壇に行ったあとのことって覚えてないんだけど、どんな感じだった?」

「ええと……」


 フェリシアの話によると、ローゼが祭壇に行ってすぐに一人の神官補佐が「神官以外の者が祭壇を使用してはいけない」と慌てて走って来たらしい。その声を聞きつけた他の神官補佐も祭壇へ来た。フェリシアは彼らをローゼのところへ行かせまいとして立ちはだかったのだが。


「そうしたらローゼが倒れましたの。最初の神官補佐でさえ、わたくしのところに到着していないくらいでしたわ」

「そんなにすぐだったんだ」


 ローゼは長くエルゼの記憶を見ていたように思ったが、実際にはずいぶん短かったようだ。


「時間の流れがちがうのかな……」

「何か仰いまして?」

「ううん、なんでもない。で、そのあとは?」

「直後にアーヴィン様がお戻りになって、場を収めてくださいましたのよ」

「そっか。迷惑かけちゃったんだね。ありがとうフェリシア」

「いいえ……。でもわたくし、悔しかったですわ」

「なにが?」


 フェリシアはしばらく椅子に座ったまま床を蹴っていた。


「……わたくし、気を失ったローゼを支えようとしましたの……でも、支えきれなくて、一緒に床に座り込んでしまいましたわ。もちろん起こすことだってできなくて……アーヴィン様にお任せするしかありませんでしたの……」

「だけどフェリシアが支えてくれたから、あたしは怪我もなくっていられたんだよ。ありがとう」

「ですが支えた上で抱えて差し上げられましたら、お部屋に運ぶことだって出来ましたのに……」


 呟いて唇を噛んだフェリシアは、ぐっと顔をあげる。


「これはすべて、わたくしの鍛錬不足によるものです! わたくし、王都に戻ったらもっと頑張って鍛錬に励むことにしますわ!」

「う、うん。フェリシアならきっと強くなれるよ。……ところで聞きたいんだけど、あたしを寝間着に着替えさせてくれたのって……」

「わたくしですわ」

「そこ、すっごく重要だった! ありがとうフェリシア!」


 ローゼがフェリシアと顔を見あわせてクスクス笑っていると、再び扉が叩かれた。現れたのはアーヴィンだ。彼はフェリシアに向かって軽く頭を下げ、ローゼに向き直る。


「目が覚めていたんだね、良かった。気分は?」

「んーと、なんともない……」


 答えてローゼは妙な気分にとらわれる。なんだかアーヴィンとこんなやりとりをした気がするのだ。それもごく最近。


「ねえ。あたし、アーヴィンと……」


 言いかけたけれど、アーヴィンと最後に会ったのは十日以上も前のことだ。だから話をしたような気分になったのは何かの思い違いだろう。そう考えなおし、問うような視線のアーヴィンに首を振ってみせる。


「ううん、なんでもない。そうだ、今ね、フェリシアから昨日のことを聞いてたの。騒ぎになったみたいでごめんね」

「ローゼが無事だったのだからそれでいいんだよ。だけど、あれはもうやってはいけない」

「あれ……っていうと、祭壇を使ったこと?」

「違う。神降かみおろしのほうだ」


 フェリシアは小さく「やはり」と呟くけれど、ローゼには聞き覚えの無い言葉だ。今まで見たことがないほど厳しいアーヴィンの瞳にたじろぎながらも、ローゼは小さな声で尋ねてみる。


「神降ろし? ……って何?」


 すると、アーヴィンの雰囲気が少し和らぐ。


「神降ろしとは、人の体に他の存在を呼び入れることだよ。入るものは神や人の霊魂、それに……精霊という例もある」

「神様や霊魂……なんか大変そうね。あたし、別に意識してやったわけじゃないんだけど、そういうことってよくあるの?」

「滅多にない。というより、本来なら神降ろしは大神殿の巫子みこくらいしかできないんだ。執り行う際にはかなり体力を使うから、条件が悪ければ訓練を積んだ巫子でさえ命を落とすことがある。よって大神殿でも神降ろしを行う際には慎重を期すし、実行の許可も容易には出さない」


 横でフェリシアがうなずいているから、アーヴィンの言葉は脅しではなく真実のようだ。


「知らなくても出来たということは、ローゼには神降ろしに対して何かしらの適正があったんだろうね。だけど今も言った通り、神降ろしは危険なものなんだ。――今後は同じことを絶対しないように。いいね?」


 ローゼとしてはエルゼに呼びかけてみただけのつもりだったが、そんな大変なことになるとは思わなかった。

 だけどもうエルゼから話は聞いた。同じことは二度とやらない。真剣な眼差しのアーヴィンに力強くうなずくのにはなんのためらいも無かった。


「分かった。もうやらない」


 ローゼの答えを聞き、アーヴィンは目元を和ませた。そうしてローゼの枕近くに置かれた剣へ視線を向ける。


「お祝いが遅れてしまったけれど、無事に聖剣を受け取ることができておめでとう、ローゼ。それとも、聖剣の主様とお呼びすべきかな?」

「……あたしが『聖剣の主様』なんて呼ばれて喜ぶとでも思ってるの?」

「ローゼがどちらを望むか分からなかったからね」

「アーヴィンの嘘つき。絶対わかってたでしょ? 本当に意地悪なんだから」


 少しばかり眉を寄せながらローゼは立ち上がり、聖剣を手にしてアーヴィンの前で抜きはらう。


「そうよ。これが十一振目の聖剣。で、この剣に関してはちょっとした話があるの。本当かどうか分からないし、あたしの頭が変になっただけかもしれないんだけど……話したいから聞いてくれる?」

「もちろん。ちなみにそれは書き記しても良いものなのかな?」


 ローゼは聖剣に「どう?」と聞いてみる。


【好きにしろ】


 そっけない答えが返って来たけれど、拒否ではない。


「いいって」

「では、場所を移そうか」


 客間を出たアーヴィンが案内してくれたのは応接室だった。

 青い絨毯が敷かれた上には長椅子があり、向かい側の一人掛けの椅子との間には机がある。そこには既に紙と筆記具が準備されていた。暖炉の赤々とした火は既に室内を温めているし、相変わらず用意のいいことだ、とローゼは苦笑する。

 一方でフェリシアは部屋の隅に置かれた移動式の台を見て「あら」と声をあげた。


「ポットとカップがございますわね。あちらはわたくしが使っても構いませんかしら?」

「ええ、どうぞ」


 許可を得たフェリシアはいそいそと茶器へ向かう。なんだか嬉しそうだ。

 そういえば以前、アーヴィンがジェラルドに関して「お茶を淹れる技術だけは大したものなんだよ」と言っていた。フェリシアがお茶を淹れるのを好きなのは、もしかしたら従兄であるジェラルドが影響しているのかもしれない。


 ローゼは長椅子の右に座り、聖剣を膝に置いた。正面の椅子にはアーヴィンが座る。トレーを持ってきたフェリシアがアーヴィンの前にカップを一つ、そして長椅子の前に三つ置いてローゼの左側に座った。

 三人だが、カップは合計四つ。つまりカップのうち一つは、どうやら。


【これは俺のか?】

「みたいね」

【いい子じゃないか!】


 別に飲めるわけではないけれど、一人前扱いされて嬉しかったのだろう。レオンの声は弾んでいる。

 子どもみたい、と思いながら顔をあげると、アーヴィンは仄かに微笑んでいた。やはり厳しい顔よりも笑った顔の方が好きだなと考えて、こんなにも自然に「好き」という言葉を彼に向けて出せる自分をローゼは意外に思う。


(だけど……そうね。あたしはもともと、アーヴィンのことが嫌いってわけじゃなかったのよ。だって友達だもん)


 六年前に起きた北の森の一件のあと、避け続けていたアーヴィンにローゼが会えるようになったのは、彼と『友達』になったからだ。


(うん、だから別にアーヴィンのことを好きだって思ったっていいのよね)


 少し恥ずかしいけれど嫌な気分ではなかった。これも、村を出たことによってローゼが成長できた証拠かもしれない。

 なんだか晴れ晴れとした気分でローゼは紙と筆記具に視線を送る。アーヴィンがペンを取ったので、ローゼは改めて口を開いた。


「それじゃあ、話すね」



   *   *   *



 今から千年前、神々は十振の聖剣を作って人に与えた。

 しかし聖剣と人間の契約方法に関して最善ではなかったと感じた神々は時を経て、最後にもう一振の聖剣を生み出した。


 その十一振目の聖剣を手にしたのは、十八歳の青年、レオン。


 平民の出身だったレオンは、貴族や一部の神殿関係者から疎まれた。貴族や神官たちを嫌って神殿に近寄らず、そのせいで魔物の発する瘴気に蝕まれていたことにも気がつかなかった。

 さらに彼の幼馴染であるエルゼが大神殿から追われたせいでレオンは暴走する。一人の貴族を脅し、大神殿から神木の枝を盗ませたのだ。

 これを故郷の村に植えようとしたが、エルゼに拒まれたことにより、傷心のレオンは枝を持ったまま村を離れる。遠い北の地へ行って精霊に出会い、魔物に変わってしまった自分を知り、そうしてレオンは命を絶った。


 当時の大神殿は、意に従わないばかりか禁忌の枝まで手にした『初の十一振目の聖剣の主』に関し、すべての記録を抹消した。

 そのため後世ではただ、十一振目の聖剣が存在したという事実しか分からなくなってしまった。



   *   *   *



「これが、四百年前におきたこと」


 ローゼは過去の話をそう締めくくった。


「あたしがグラス村に戻って来て神降ろしをしたのは、エルゼとレオンを会わせてあげたかったからよ。エルゼはこの村の人だったし、レオンは今、この聖剣の中にいるから」


 言ってローゼは机の上に聖剣を置く。


「ねえ、アーヴィン。……レオンは最期、何だったと思う?」


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