レオンは、最期の自分を「魔物」だと言い切っている。
神は、「聖剣は人を斬った」と言っていた。
「あたしは、レオンがなんだったか分からないの」
ローゼの問いを聞いたアーヴィンは、灰青の目を静かにローゼに向けて答える。
「魔物でもあり、人でもあったのかもしれないね」
「両方ってこと?」
「そう。――彼の魂は大部分が魔物だったかもしれないけれど、人の部分も残っていた。『人』である部分は聖剣と協力して魔物の部分を倒したあと、聖剣に融合して今に至る。ということでどうかな」
「うーん、そうね……それが、いいかも」
レオンは特に何も言わない。おそらくレオン自身もどうなっているのか分からないのだろう。
「……天の剣に、地の力か……」
「え?」
「いや、なんでもないよ。――さて、ローゼ。今の話はここに書き残した。これを大神殿に届ければ、少し面白いことになるかもしれないね」
「……うん」
四百年のあいだ謎だった十一振目の聖剣の話を、当代の主が持ち出してきたのだ。
内容の真偽も含め、大神殿内でも議論が起きる可能性はある。
「ローゼはこれをどうしたい?」
「どう……」
つまりアーヴィンは、この話を大神殿に届けるかどうかを聞いているのだ。
それならば先に意見を聞いてみるべき相手がいる。
「レオンはどう思う?」
【好きにしろ】
当事者は心の底から興味がなさそうに答えた。
そうなると決めるのはローゼだ。どうしようかと腕組みをして天井の紋様をしばらく見つめ、ようやく顔を戻して口を開く。
「あたしは、世に出したくないな」
「分かった」
立ち上がったアーヴィンは部屋の端へ行き、持っていた紙の束を何のてらいもなく暖炉に落とした。流麗な文字が炎の中で踊る。紙はなかなかに高価だから、ローゼの口からは思わず「もったいない」との言葉がついて出た。
「でも、それでよかったの? あたしに内緒で大神殿へ提出すれば、お手柄ってことで出世できたかもしれないよ?」
「別に嬉しくないな」
彼の苦笑は本心からのもののようだった。そこでローゼはふと疑問に思う。
「もしもあたしが『いいよ』って言ったら、大神殿に送った?」
「送らなかっただろうね」
「じゃあ、なんで書いたの?」
「書いてみたかったんだよ」
晴れ晴れとした表情をしている彼の言動の意味が、ローゼにはさっぱり分からなかった。
「それにローゼはきっと『送らないでほしい』と言うと思っていたからね、良いんだ」
「そう……」
「ところでローゼ。一点だけ許可をもらいたいのだが」
「なに?」
「ローゼが聖剣を手にした件を、私から大神殿に連絡しても構わないだろうか」
「え? うん、いい――」
「まさか
横から声をあげたのはフェリシアだ。
「こんな重要な内容を神殿側から連絡なさるなんて!」
「駄目なことなの?」
「……おそらく……前代未聞ですわ……」
顔色を無くしたフェリシア曰く、大切な連絡というものは大神殿から神殿へと伝えられるのが慣例らしい。もしもどこかの神殿が先に情報を入手したとしても、いずれ伝わると分かっていれば大神殿へ連絡はしないそうだ。別に
「その神殿しか知らない情報でしたらもちろん連絡する必要があります。ですが今回はローゼは王都へ向かいますわよね。大神殿はいずれ必ず『十一振目の聖剣の主』について知るのですから、本来なら神殿は絶対に連絡しませんわよ」
「そ、そうなの?」
ローゼが慌てて顔を向けるけれど、グラス村の神官はのんびりとした様子だ。
「確かにそういう慣習はあるね」
「あるねって……。分かってるのにあたしのことを大神殿に連絡するつもり? なんで?」
「もし連絡したとしても、ローゼに迷惑のかかる内容にはしないよ」
そうしてグラス村の神官は灰青の瞳を窓の外に向け、独り言のように言う。
「……鳥なら二日で大神殿に行ける。風向きさえ良ければさらに早く着くから、今からだとアレン大神官より先に大神殿へ到着するかもしれないな……」
ローゼは目を見開いた。
しばらく考え、長椅子から立ちあがり、暖炉の傍まで近づく。
「アーヴィン、聞いて。あたし、
思いきり棒読みだが、アーヴィンはそれに言及することなく慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ、私が今の話をしたためて大神殿に送り、今後に関する指示を仰ぐ。ローゼは何も心配しなくていいからね」
「良かった! アーヴィン、ありがとう!」
長椅子のフェリシアが「わたくしは何も聞かなかった。と、いうことにいたしますわ」と呟き、大きなため息を吐いた。
* * *
白い神殿から飛び立った灰色の鳥が力強く羽ばたいていく。あれが、神殿と大神殿とのやり取りに使われる特別な『鳥』だ。
「すごい! もう見えなくなっちゃった!」
額に手をかざし、ローゼは感嘆の声をあげた。
グラス村から王都までは馬で十日ほどかかると聞く。その距離をあの鳥は二日か、風向き次第では一日で飛ぶというのだから驚きだ。
「あの鳥が大神殿から戻ってくるまでは村にいてもいいってことだし、あたしは家に帰ろうかな。フェリシアはどうする? 神殿に泊まる? それとも、あたしの家に来る?」
「それは……ローゼのお
「うん。だけど泊ってもらうのはあたしの部屋になるから狭いし、もしも神殿のほうがいいって言うなら――」
「わたくし、ローゼのお家に行きたいですわ!」
そう言ってフェリシアが紫の瞳を輝かせるので、神殿には二頭の馬――セラータとゲイルだけを預け、ローゼはフェリシアと共に家へ向かった。
アーヴィンは事前の約束通り、ローゼとジェラルドに関する話をうまく取り繕っておいてくれたようだ。突然の帰宅だったので家族からは大層驚かれたが、特に何も言及はされなかった。ただ、代わりに祖父と父は気づかわしげな視線を送ってくるし、祖母と母は無念そうな表情を見せる。いったいアーヴィンが何を言ったのか気にはなったが、深く追求するとボロが出てしまいそうなので、ローゼは歯噛みしながら黙るしかなかった。
連れて来たフェリシアに関しては「王都から来た神殿騎士見習い」とだけ紹介したが、醸し出す雰囲気から何かを察したらしい祖父母と両親は妙にかしこまっている。ただし弟ふたりは別だ。
「お客様ぁ! もしも村の中を見てまわりたいときは、このマルクがお供いたしますよ!」
「兄ちゃんずるい! 僕だって村の案内はできるんだからね! お客様、キレイな花畑に興味ありませんか? よろしければご一緒に!」
「おい、テオ、先に誘ったのは俺だぞ! お客様、広場で一緒に村の料理を食いませんか!」
「いえ、僕と一緒に!」
と騒いでいたのは、フェリシアが最初に家に来たときのことを考えたら当然かもしれない。
もちろんローゼもこの事態は予想していたので、今回も妹のイレーネに耳打ちをしておいた。姉妹で弟に目を光らせていればきっと大丈夫だ。
荷物を置き、ローゼはフェリシアと共に家を出る。向かったのは村長の家だ。
幸いにも在宅中だったディアナは、ローゼを目にした途端、目に涙をためる。
「あんたって子は、本当に!」
と言って抱きついてきたかと思うと、そのまましばらく肩を震わせるので、ローゼは何度も「ごめんね」と「ありがとう」を言いながら背をさすることになった。
ひとしきり落ち着いたらしいディアナが体を離し、近くにフェリシアが立っていることに気付いたときに顔を真っ赤にして「ほかにも人がいるなら先に言いなさいよ!」とバシバシ叩いてきたのには少々「理不尽だ」と思わなくもなかったけれど。
ディアナの部屋でしばらく三人で一緒に話し、フェリシアとディアナが仲良くできそうだと判断したローゼはひとりで外に出た。
足を向けた先は村はずれの共同墓地だ。
ローゼがひとりで行くのは、なんとなくレオンがそうしたいのではないかと思ったからだった。
墓地の中に古い墓石はいくつもあるが、一通り巡ってもどれが四百年前のものかは分からない。
「ここに、レオンの時代の『神官様』がいらっしゃると思うんだよね。とりあえず神降ろしってやつをやってみる?」
【いや、いい。エルゼだけじゃなく神官様にまで叱られたらたまらん】
気まずそうに呟くレオンの口調からたどたどしさが消えていたのは、エルゼに会って覚醒したからなのかもしれない。
【それにお前、あの男から『神降ろしはもうやるな』って言われてたろ?】
「黙ってれば分かんないって。だからレオンが素直にあたしのいうこと聞いてくれないときは、ここに来て神官様に叱ってもらうからね」
【くそ! お前、いい性格してるな!】
「聞こえなーい。じゃ、ディアナのところへ戻ろっと」
踵を返したローゼにはふと思いついたことがあったけれど、口に出すのはやめておいた。
四百年の昔、禁忌の枝を持ったレオンはエルゼと束の間の邂逅だけを果たし、以降は二度と会っていない。エルゼの結婚相手が誰だったのかなんて知らないし、きっと知りたくもないだろう。
こうして、今まで通りの日常のようで、だけど少し違う形の時間を過ごすこと四日。
大神殿からグラス村の神殿、というよりはローゼにあてて、丁寧な謝罪と、改めての
* * *
「じゃあ、行ってくるね」
ローゼが声をかけると、祖父と父は、
「しっかりな」
「ローゼなら大丈夫だ!」
との激励を口にし、祖母と母は、
「今度こそ頑張ってね」
「信じてるわよ!」
と涙ぐむ。
やっぱり言葉の意味は分からないが、これも深く追求すると面倒なことになる予感がする。黙ってうなずいておくだけにとどめるほうが良さそうだとローゼは判断した。
なお、弟ふたりは号泣していた。しゃくりあげているせいで言葉は聞き取れないが、姉には目もくれず『お客様』のほうばかり向いていることからも彼らの言いたいことはなんとなく察せられた。涙にくれるテオを見ながらローゼは「ここにディアナがいなくて良かったなあ」と、こっそり苦笑した。
イレーネは今回も餞別として弁当を作ってくれた。ふたり分だ。
フェリシアが「お昼にもイレーネ様のお料理をいただけますのね! ありがとうございます!」と言って大いに喜ぶと、あまり表情を変えない妹が少し頬を赤らめて「“様”は……いらない……」とぼそぼそ呟いていたのがおかしかった。
こうして村を出る準備を整え、ローゼが最後に向かったのは神殿だ。
馬の準備をするから、と言うフェリシアと一旦別れて神殿の中に入ると、アーヴィンからはまた袋を渡された。中には神殿で売っている薬や札など、旅に役立つ品々が入っている。
「前回もだけど、今回も……。あたし、アーヴィンに用意してもらってばっかりで」
「構わないよ」
言ってアーヴィンは穏やかに笑う。その笑みがいつになく輝いて見えて、ローゼはドギマギしながらうつむいた。
「あ、あの、ありがとう。あたしいつか絶対、恩返しするね」
「本当に気にしなくていいんだよ。それに今回は、ローゼに見てもらいたいものも入れてある」
「え、なあに?」
「実は――」
アーヴィンがそこまで言ったとき、バタバタと神官補佐が駆け込んできた。どうやら村人が大きな怪我をしたらしい。
「どうか、お早く」
促されたアーヴィンは神聖術による治癒をしに行くために立ち上がり、一度振り向く。
「見てもらいたい物は荷物の一番下に入れておいた。私が書いたものだから、すぐ分かると思う」
「ありがとう」
「道中気をつけて。旅の無事を祈っているよ」
彼との別れはなんだか慌ただしいものになってしまったけれど、ローゼは気にならない。
(だって今回はちゃんとしたお別れの言葉を聞いてないもの。だからあたしが村に帰ってきたら、またアーヴィンに会えるんだわ)
妙な理屈ではあったが、なぜか今のローゼにはそんな確信めいた思いがあるのだった。