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余話:フェリシア

 馬の準備を殊更ことさらゆっくりと終え、フェリシアは神殿の裏手にある庭で木にもたれていた。ローゼは建物の中からまだ出てこない。

 思わず「ふふふ」と漏れた笑いた声は我ながらあまり上品ではなかった気がするけれど、それも仕方ないだろう。


(ローゼはこのあとしばらく、村へ戻ってきませんものね)


 どうやらローゼに好きな相手がいるらしいとフェリシアが気づいたのはグラス村に到着した翌日のことだ。旅の途中で話していたときはそこまで感じることはなかったので、もしかしたら無意識にでも変化する何かがあったのだと思う。

 しかもローゼが好意を抱いているらしい相手、神官のアーヴィンもまたローゼを気に入っている。間違いない。王宮でつちかわれた自分の人間観察眼にフェリシアは自信があった。


 今ごろローゼは村に残るアーヴィンへ思いを告げているだろう。対するアーヴィンは旅立つローゼに素敵な贈り物を渡しているかもしれない。それが将来に関わる約束の品であったとしても、あのふたりの雰囲気であれば何もおかしくはないのだ。

 心の中で歓声をあげたフェリシアが緩む頬を押さえたとき、小さな音がして神殿の裏扉からローゼが現れた。彼女はフェリシアの方を見て手を上げ、いつもの溌溂はつらつとした声で言う。


「待たせてごめんね、フェリシア!」


 ローゼの表情が明るいのはアーヴィンと良い話が出来たからだろうとフェリシアは予想した。手に持っているのがいつもの大きな袋だったのには少し落胆したが、あの中にいつもとは違ってなにか『素敵な贈り物』が入っているかもしれないと考えて気を取り直す。『素敵な贈り物』、つまり――恋文とか、誓いの指輪のようなものが。

 それでフェリシアは平静を装って、いつものように微笑む。


「平気ですわ。アーヴィン様とお話はできまして?」

「一応はね。だけど途中で怪我人の連絡が入って出て行っちゃったから、ちょっと中途半端になったかな」

「まあ。それは残念でしたわね」

「そうだねー」


 同意の返事は戻ってくるが、ローゼに残念な様子は見受けられない。どちらかといえば明るい表情なので、やっぱり二人の仲の進展を期待してしまう。しかも次にローゼの発した言葉が、フェリシアの想像を裏付けた。


「あ、でもね。今回も旅支度はしてくれてたの。しかもこの袋の一番奥には、『あたしに見せたい紙』が入ってるんだって」


 フェリシアの胸がドキリと高鳴る。


「ど、どんな紙ですかしらね」


 そ知らぬふりをして言うが、フェリシアの中でどんな紙なのかはもう決定づけられている。

 恋文に違いない。絶対だ。

 だけどローゼはまったく想像もつかない、と言いたげに首をかしげる。


「あたしも知らないんだよね。気になるからここで開けちゃおうか」

「でしたらわたくし、向こうでお待ちしておりますわ」

「え、なんで? 一緒に見ようよ」

「いけませんわ。だってわざわざ一番下に置いたものですのよ。ローゼ以外の方には見せたくない内容に決まっていますわ」

「んー。もしそうだったとしても、あたしはフェリシアになら見せてもいいって思うから、一緒でいいよ」


 ローゼの言葉はフェリシアを舞い上がらせるものだった。会ってまださほどに時が経っていない自分をそこまで信頼してくれる、それがこんなにも嬉しいだなんて。

 それに恋文にどんなことが書いてあるのかとても気になる。心の中には「はしたないですわよ!」とたしなめる自分もいたが、結局は好奇が勝ってフェリシアはその場にとどまることにした。


「アーヴィンは今回もいろんな物を入れてくれたんだって。ありがたいなあ」


 言いながら草の上に荷物を置いてローゼは袋の紐をほどく。下のほうまで手を届かせるためにいくつか取り出した品は、フェリシアもよく知るものばかりだ。


(薬と、神聖術の籠められたお守りの類と、旅装りょそうと……なんですの、この実用的な品々は)


 ここまでの間にはフェリシアが期待するような品がまったく現れない。やや落胆するが、勝負はこの先だ。わざわざ隠すようにして一番下に入れた紙には、きっと素敵な文章が書かれているに違いない。


「――あった!」


 晴れやかな声と共にローゼは数枚の紙を取り出す。フェリシアの胸は大いに高鳴った。しかし紙に書かれた流麗な文字を目で追うたび、鼓動は落ち着きを取り戻していく。

 ひょうらしき線と数字が書かれたその紙はどう見ても色っぽい手紙の類ではなかった。ため息と共にフェリシアは肩を落とす。しかし一方でローゼは興味深そうな表情のままだ。


「ふんふん……なるほど……そっか、そういうことだったのね!」

「何がですの?」


 やや投げやりな口調になったが、顔をあげたローゼの赤い瞳はきらきらとしている。


「あのさ。レオンの記録って大神殿から消されてるでしょ。なのにどうして在籍年間だけが分かってるか知ってた?」

「知りませんわ」

「じゃあ、これ見て!」


 ローゼが差しだす紙をしぶしぶ覗き込み、そこでフェリシアは気がついた。これはどうやら支給金の記録の一部を書き写したもののようだ。

 隅に記された日付は、今から四百年前。


「ね? 大神殿から聖剣の主へ払われる毎月の支給金の額が書かれてるんだけど、三人の中でひとりだけ全く受け取ってないの。そして受け取らないままここで支給が途絶えてる」

「支払い開始から途絶えた期間までが、八年と少しだったわけですのね」


 『十一振目の聖剣を最初に所持した人物』に関するすべての記録は消されている。その中でどうしてこの記録だけが残っているのかは分からない。歴史関連とは違う分野なので見逃したのかもしれないし、他のあるじと同じ項目に書かれていたので書き直すのが面倒だったのかもしれない。あるいは、全ての記録から消されるのを哀れんだ誰かがこっそり残したのかもしれなかった。

 とにかくこれは、十一振目の聖剣を最初に持った者が確かに存在したと皆が知る唯一の証。それが分かったから目の前の新しい主は嬉しそうなのだ。


「ようし。絶対に王都へ行かなきゃ。そしてみんなに『十一振目の聖剣は本当にあるんだぞ』って見せてあげるの!」

「そうですわね」

「だけど聖剣の主ってすごいね。毎月こんなに支給金がもらえるんだ。レオンったら勿体ないことしたなぁ」

「まあ、ローゼったら!」


 おどけた調子のローゼの言葉に笑って、フェリシアは抱えていた残念な気持ちを完全に手放す。

 どうやら今回は、フェリシアの思ったようなことは起きなかったらしい。


(ですがふたりの想いはいつかきっと成就しますわ。わたくし、信じております!)


 いつか政略結婚の道具となるフェリシアにとって、恋とは決して近くに寄せられない言葉だ。だけど友人の恋を見守りたいという気持ちを持つことくらいは、きっと許されるに違いない。


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