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余話:ジェラルド 1

 アレン大神官を始めとする一団が大神殿に到着したのは夜中のことだった。

 神官たちが出迎えて何かを言い、アレン大神官が激高する。おそらく彼にとっては非常に面白くない出来事が起きたのだろうが、それが分かってもジェラルドは興味すらひかれないほど疲れ切っていた。周りの仲間たちも死んだ魚にも似た目をしている。何しろ古の聖窟を出てからは最低限の休憩しかとらずに移動し続けてきたのだ。体力のある神殿騎士がこのありさまなのだから神官たちはもっとひどく、中には既に馬に突っ伏して動かないものもいた。


 疲労の色が濃い部隊長から形ばかりのねぎらいと解散宣告を受けたあと、なんとか自室に戻ったジェラルドは鎧だけを脱いで早々に寝台に入った。目が覚めたのは昼だ。起き上がったジェラルドは頭をガシガシと掻き、大きなあくびをして、ぐっと眉を寄せた。


「汗くせぇ……」


 浴場へ行こうかとも思ったが、この時間だと開いているのは部屋からは遠い方の浴場だ。ならば先に空きっ腹を満たそうと考えて、着替えたジェラルドは食堂へ向かう。途中で会う神殿騎士たちと交わした言葉の内容から推察するに、どうやらローゼはまだ大神殿に到着していないようだ。


(……ローゼちゃん……)


 古の聖窟を出たアレン大神官が王都への道中を急がせた理由はもちろん、ローゼを振り払うためだ。確かにローゼ単独ならあの速度の一団には追いつけなかっただろう。

 だけどジェラルドは知っている。アレン大神官がひとりきりだと思っているローゼには、実は秘密の同行者としてフェリシアがいたことを。彼女さえいればローゼは途中で一団と合流できると思っていたのだが、今になっても未着と聞けばやはり不安は募る。


(どうしちまったんだろうなあ……ふたりに何かあったんでなきゃいいが)


 このあとのジェラルドには数日の休みがある。途中まで探しに戻ろうかと思いながら食事を受け取り、混みあう食堂の中でうろうろと空席を探していると「おおい」という声がした。


「ジェラルド、こっちだ!」


 見ると同輩のバートが手を上げている。幸いにも彼の前の席が空いていた。


「ありがとよ、助かったぜ」

「いいってことさ。昨日の夜中に戻って来たんだろ? お疲れさん」

「本当に疲れたぜ。……えー、今日の恵みに感謝!」


 椅子に座ったジェラルドは祈りの聖句もそこそこに肉へかぶりつく。パサパサの乾燥肉とは違って口の中には肉汁があふれ、あまりに幸せで思わず頬が緩んだ。


(くうう! 携帯食じゃねえってありがてぇ!)


 続いてパンを口へ押し込み、皿を持ってスープも飲み干す。味付け自体は特に変わり映えもしないが、こんなにも体に沁みるのは、まともな食事をするのが久しぶりだからだ。カトラリーを使う余裕などないままとにかく夢中で手と口を動かし続け、気がつくと皿にはもう何も残っていなかった。


(嘘だろ……飯の量っていつもこんなに少なかったっけか)


 空の皿を恨めしく眺めていると、半分に千切られたパンが現れた。バートが自身のものを載せてくれたらしい。


「いいのか?」

「その様子じゃ足りないんだろ? あげるよ。代わりに……」


 彼は身を乗り出す。


「教えてくれよ。新しい聖剣の主ってどうだった?」

「ん? 綺麗な女の子だったぞ」

「そうじゃなくて」


 バートは声をひそめる。


「本物だったか?」


 やっぱりそっちの話か、と苦い気持ちでパンを飲み下しつつ、ジェラルドは今日だけで何度目かになる答えを告げる。


いにしえ聖窟せいくつの扉は開いた」

「じゃあ本物なのか……ちぇ。損した」


 がっかりした調子でバートが言うのは、神殿の中で密かに賭けが行われていたせいだ。


『新しい聖剣の主は本物か? 偽物か?』


 食堂へ来る間に会った相手もジェラルドが答えるたびにがっかりしていたので、偽物に賭けた人の方が圧倒的多数だというのは本当だったらしい。


 「偽物」の方に多く賭けられてるのは、『四百年ぶりに現れた十一振目の聖剣の主』というあまりに希少な存在のせいだろうが、しかしそれ以上に『選ばれたのがただの平民の娘だから』というのも大きいとジェラルドは踏んでいる。彼女が恥をかいたらちょっと面白いかも、というにも似た感情が皆の中にはあるようだ。

 十人の巫子が神託を受けたところで結局こんなもの。今回のアレン大神官の一団の中にだって、ローゼが間違いなく聖剣の主だと信じていた人物はジェラルドとフェリシア以外に誰がいるだろうか。


 そこまで考えて、いや、とジェラルドは思い返す。

 自分がローゼのことを信じたのは、グラス村から一通の手紙が届いたからだ。


『難しいのは承知の上で頼む。大神官の一団に入って、せめて古の聖窟まで彼女と行動を共にしてもらえないだろうか』


 たまにジェラルドが手紙を送っても短い返事しか寄越さないアーヴィンが、今回に限ってはわざわざ手紙を送って来た。なんとも珍しいと思いつつ、そこまで言うのならとジェラルドは上官にかけあったのだ。さらにフェリシアが「一緒に行きたい」と頼み込んできたので二重の苦労になったわけだが、これはまた別の話。


 とにかくジェラルド自身も、ローゼがアーヴィンと関わり合いのない人物であれば偽物の可能性を疑ったのだろうと思う。そう考えると、ローゼという人物のことを純粋に信じていたのはフェリシアだけなのかもしれなかった。


(……大神殿に来たローゼちゃんが失望しなきゃいいけどな……)


 ジェラルドが自嘲の笑みをうかべたとき、入り口に先輩の神殿騎士が現れた。食堂を見渡した彼はジェラルドを見つけると大股に近寄ってくる。また賭けのことを聞かれるのかと思っていたのだが、先輩が興奮気味に投げて来た質問は想像とは違っていた。


「ジェラルド、お前が見習い時代に同室だったっていう神官がいたな。名前はアーヴィン・レスターじゃなかったか?」

「そうですが」

「やっぱりか! 新しい聖剣の主がいた村の神官をやってるんだよな?」

「はあ」


 ジェラルドが気のない返事をするのと対照的に、先輩はやたらと嬉しそうだ。


「いやあ、アーヴィン・レスターってのは面白くていいやつだな! いつか機会があったら俺にも紹介してくれよ!」


 ジェラルドは眉をひそめた。アーヴィンは確かに外面のいいやつではあるが、面白いという評価は聞いたことがない。もしかして別の人物と間違えているのだろうかと思ったところで、首をひねったバートが先輩に尋ねる。


「その、アーヴィンとかいう神官に何かあったんですか?」

「なんだ、お前も知らないのか。まあ閲覧室なんて、そんな頻繁には行かないよなあ」


 もったいぶった調子で言い、先輩はなんとも楽しそうにくつくつと笑った。


 閲覧室というのは各地の神殿から来た鳥文とりぶみを一定のあいだ掲示しておく場所だ。

 神殿と大神殿を行き来する『鳥』は私的な利用が禁止されている。それは訓練された鳥が貴重だということに加え、足にくくりつける専用の紙がかなり高価だというのも理由だった。

 私的利用をする者が現れると無駄な往来が増えて鳥の寿命を減らすことにつながるし、風雨に耐える特別な紙の消費もばかにならない。よって不正を排除するためにも大神殿へ到着した鳥文はすべて閲覧室で公開される決まりになっていた。


「閲覧室ってことは、鳥文で何か連絡があったんですね? それがグラス村からってわけですか?」

「そう。昨日の夜に届いた。時間からしてアレン大神官の一団が戻ってくる少し前みたいだけどな」


 ニヤニヤとした先輩はジェラルドの顔の近くまで腰をかがめる。


「書いてあった内容は、『ローゼ・ファラーが無事に十一振目の聖剣を手にした』だ」


 バートが盛大にむせた。


「う、うそでしょ、しんでんが、そんなことを、れんらく、なんて」

「おいおい、ここで驚くのは早いぜ、まだ続きがあるんだ。いいか、良く聞けよ。『しかしアレン大神官がローゼ・ファラーを古の聖窟へ置き去りにしたため、困った彼女は故郷のグラス村へ帰還中。十一振目の聖剣の主を邪険に扱うのは大神殿の総意か、否か。急ぎ返答を――』って、おい!」

「うげえ!」

「ぎゃああ!」


 周辺の人が悲鳴を上げたのはジェラルドが盛大に茶を吹いたせいだ。


「いや、わりぃわりぃ」


 布で辺りを拭きながらジェラルドは心の中で「ああ、そういう『面白い』なら、あいつはやるだろうなあ」と呟いた。


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