ジェラルドが初めてアーヴィンに会ったのは今から約十四年前、十歳の時だ。
神官や神殿騎士になりたければ大神殿で修業をする必要がある。その際は必ず寮に入らなくてはならず、見習いのうちは基本的にふたり部屋だ。そして大神殿に来た当初のジェラルドは神官を目指していたので神官見習いの寮に入り、同室の相手になったのがアーヴィン・レスターだった。
初めのうち、ジェラルドはアーヴィンと仲良くすべく努力した。したのだが、努力が無駄だったことに気づくまでにはさほど時間を要さなかった。アーヴィンというのは、ジェラルドが今まで会った人物とは少し違っていたのだ。
物腰や物言いは穏やかではあるが、表情がほとんど変わらないので何を考えているのか不明。
話しかけても返ってくるのは「はい、いいえ」もしくは
何かしようと誘っても乗ってきたことは無い。
休みの日も出かけることはなく、部屋に閉じこもって本を読んでいるか勉強している。
同室になって良かったこといえば、授業内容を書き写した紙を嫌な顔ひとつせずに貸してもらえることくらい。
相手と交流したいジェラルドからすれば同室の相手という意味でアーヴィンの評価は『最悪』だった。一方で、放っておいてほしいとの空気を隠そうともしないアーヴィンもジェラルドに対して同じ評価を下していただろう。
そんな静かでつまらない日々を三年ほど過ごしたある日のこと。
その日もジェラルドは授業が理解できなかった。机の上に置かれた紙は半分以上が白いのは、頭が内容の理解を放棄したために手の方も書き写す努力を放棄したためらしい。
仕方なくアーヴィンに書き写させてもらおうと思ったのだが、珍しいことに彼は部屋にいなかった。できれば嫌なことはさっさと終わらせたいのに、と歯噛みして、ジェラルドはふと思いつく。
――勝手に借りればいいんじゃないか?
とはいうものの、アーヴィンの机はきっちり整頓されていて、少しでも触れば動かしたことがすぐに分かってしまいそうだった。もしも勝手に触ったことがバレてしまうと、神経質な彼は紙を貸してくれなくなるかもしれない。悩んだが、それはごくわずかな間だった。いつ部屋に帰ってくるのか分からないアーヴィンを待つのがジェラルドは嫌だったのだ。
少しずつ、ちゃんと戻せば大丈夫なはずだと自分に言い聞かせ、アーヴィンの机をそっと探る。
一段目の引き出しには教材があったが、書き写した紙はなかった。
二段目の引き出しにはペンやインクなどが置かれている。しかし奥を覗き込むと分厚い紙の束が見えた。もしやこれか、と思いながら取り出してみると、出てきたものは手紙だった。しかも一枚目は恋文だ。顔をしかめながらめくってみると、次も、その次も、さらにその次も恋文だった。
「おいおい……これ、全部が恋文なのかよ?」
差出人は多種多様。神官見習いや神殿騎士見習いはもちろん、正規の神官や神殿騎士、さらには下働きの女性から届いたものまである。少しばかりジェラルドが気になっていた子の名前まで見つけてなんだか腹が立った。舌打ちをしながら読み流して中心部分にさしかかると、今までとは様子の違う紙が出て来た。
なめらかな触り心地に美しい紋様、いかにも上質な紙。それが合計で十二通。
「なんだこれ。差出人は……どれも『リュシー』か。……この金持ちの子にはずいぶんと好かれてやがるんだな、くそっ!」
だが、リュシーからの手紙は今までと様相が違った。あまりに興味深い内容だったのでつい時間を忘れて読みふけるうち、手元に影が落ちて我に返る。おそるおそる顔を上げると、正面にはアーヴィンが立っていた。
いつもは感情をほぼ現さないアーヴィンが見せた、初めての表情らしい表情。
それは紛れもなく「怒り」だった。
とはいえ彼が激しい表情を見せたのはその日だけのこと。
翌日にはすっかり元通りだったので、あれだけ怒ってたけどもう許したんだな、とジェラルドは単純にそう思っていた。
だから以降も相変わらずジェラルドは授業内容を写した紙を借りたし、アーヴィンの方も嫌な顔ひとつせずに貸してくれた。
しかし何故か教師から「お前は授業を聞いていたのか」と怒られる回数が増えてくる。確かに聞いてはいなかったが、書き写した紙がある以上ここまで怒られるのも変な話だ。
不審に思ったジェラルドはある日、授業内容をきっちり聞いて紙にも間違いなく写したことを確認した上で、アーヴィンから紙を借りてみた。
数字や文法など、細かい部分が授業内容と違っていた。
「おい、お前! これはどういうことだ!」
勢いよく立ち上がったジェラルドが紙を片手にアーヴィンを睨みつける。
椅子に座っていたアーヴィンもゆっくりと立ち上がり、ジェラルドに向き直った。
「ようやく気が付いたんですか」
口の端だけで笑ったアーヴィンは、机の上にあった別の紙を手にしてひらひらさせる。奪い取って見てみると、こちらはきちんと書き写したものだった。どうやら彼はジェラルドに貸すためだけにわざと違う内容の紙を用意していたらしい。
わなわなと震えるジェラルドの耳に、低い低い声が届く。
「十日もあれば充分だろうと思ったのですが、まさか二か月近くもかかるとは思いませんでした。毎日作るのも結構な手間だったので、早く気づいてほしかったですね」
ジェラルドが二度目に見たアーヴィンの表情らしい表情。それは言うなれば「冷酷」が一番近い。
つまりアーヴィンは、勝手に手紙を読んだジェラルドをこれっぽっちも許してなどいなかったのだ。
* * *
普通ならこの手紙の一件はふたりの仲を決定的に悪くさせるものだったと思う。しかし逆に仲は良い方向へ向かった。おそらく互いから遠慮がなくなり、腹を割って付き合えるようになったせいかもしれないなと今のジェラルドは思っている。
(しかし……あいつの執念深さは変わってねぇな)
机を拭き終えた布を近くに放り、椅子に座ってジェラルドは苦笑する。
きっとアーヴィンはアレン大神官に対して腹を立てており、意趣返しが出来るときが来るのをじっと待っていたに違いない。
(アレン大神官も、もう少しローゼちゃんに優しくしときゃよかったんだよ。そうすりゃあいつだって、ここまでのことはやらなかったはずだぜ?)
アレン大神官は小狡い性格をしている。『十一振目の聖剣の主』をローゼに断らせようと画策していたことはもちろんだが、もしもためにローゼを置き去りにした際の言い訳も作ってあったはずだし、関連の根回しもきちんと済ませていたのだろうと思う。なにせローゼを古の聖窟へ置き去りにすれば彼女に“今後の不安”を抱かせられるし、ローゼがいないうちに大神殿へ好き勝手な報告もできる。あとからローゼが大神殿に来て何かを訴えたとしても、先に植え付けられた印象や、流布した噂を払拭するのはなかなか難しかったはずだ。
しかし鳥文のせいでローゼとアレン大神官の立場は逆転した。さすがのアレン大神官も神殿からの鳥文が届くことまでは想像していなかったに違いない。神殿側からもたらされた連絡のせいで大神殿はアレン大神官に対して厳しい態度を取らざるを得ないし、根回しをされた人物ですらアレン大神官を追求する側に回るはず――。
そこまで考えてジェラルドは、「計画がすべて失敗に終わったアレン大神官は今、どんな顔をしているのだろうか?」と思った。
顔をあげてみると、目の前のバートも、横の先輩も、とても良い顔をしている。
「なんだ、バート。いいことでもあったのか?」
「そういうジェラルドだって」
「お前らどっちも同じような顔してんぞ」
「そうですか? いやー、俺はここんとこずっと馬に乗りっぱなしで疲れたから、少し散歩したくなっただけですよ。ちょっと出かけてこようかな、神官の居住区域辺りまで」
「僕もちょうど散歩したい気分だから一緒に行くよ」
「奇遇だな。俺も神官の区域を歩きたい気分になったんだ。よし、みんなで行くか。今ならまだあんまり人もいないはずだからな!」
三人はそろってニヤリとし、立ち上がった。
強い者にはすり寄り、弱い者には無関心なアレン大神官。
普段ならば彼の周囲に行きたがる人物は少ない。
だけど今日のアレン大神官の近くには、驚くほど多くの人が来ることだろう。