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第2章

1話 大神殿

「飽ーきーたー!」


 叫んだローゼは持っていた紙を放り出し、大きな寝台に音を立てて寝転ぶ。わずかに遅れて紙の一部がこれみよがしに横へ落ちてきたので、思わず眉を寄せた。


「もういいでしょー。今日だけでも五回は読んでるんだからー」


 小さくボヤいて反対側へ顔を向けるけれど、そこから見える窓の外もいつもと同じ景色。ほかにすることが無いせいで今日だけで五回は読んだ『儀式の手順書』と同じくらい見飽きているものだ。さらにごろりと回転しても、あるのは見慣れた天井。


(あぁ、もぅ……つまんなーい)


 結局もう一度ころがって、寝台に顔を埋めた。


 今のローゼが居るのは大神殿、その中にある客間の一つだ。王都に到着してから一月ひとつき近くを過ごし、そしてあと半月以上は過ごすことになる場所だった。


 王都に来たローゼは、身分証をもらってすぐ旅に出るつもりでいた。聖剣の主に任命されるための儀式があるとは聞いていたが、それは二か月ほど先のこと。ならば儀式のときになって戻ってくれば良いだろうと思っていたのだ。

 しかし事はそう簡単にいかなかった。儀式が終わるまでローゼの身分証はもらえない、ということが分かったためだ。


 儀式が終わらなければ身分証がもらえず、身分証が無ければ旅先においてローゼの立場が保証されない。

 よって儀式が終わるまでは旅に出られないのだと言われてしまい、ローゼは仕方なく大神殿の客間で過ごしている。


 別に大神殿内の行動に関して制限されているわけではないから部屋の外へ出ても構わない。だというのにこうしてローゼが寝台で転がっているのには理由がある。


(せめて大神殿内の見学くらい行きたいんだけどなぁ……)


 そう思いながら机の横に立てかけた聖剣を眺め、ローゼは再びため息をついた。


 ローゼが部屋から出られない原因。

 それはレオンだ。



   *   *   *



 ローゼが王都に着いたのは、今から一か月前の昼過ぎのこと。


「わたくしは大神殿に籍がございますから、通用門から大神殿へ戻ります。ローゼはこのままあの門へ行って、衛兵にお名前を言ってくださいませね」


 フェリシアはそう言って、返事をしないローゼの顔を覗き込む。


「ローゼ? 聞いてます?」

「えっ? あ、う、うん、聞いてる聞いてる! 門へ行って名前を言うんだよね!」

「……きちんと言えますかしら?」

「もももちろん! ダイジョーブダイジョーブ! 人が多いのにも、道とか門が大きいのにもびっくりしたけど、ちょ、ちょっとだけよ。このくらいヘーキヘーキ問題ナシ!」


 大きな声で言ってローゼはにっこりと笑う。頬が引きっている気はするが、問題なく笑えているはずだ。

 だけどローゼを見つめるフェリシアの表情は不安そうな面持ちのまま。


「わたくし、ローゼに会いに行きますわ。約束します。ですから絶対にあの門へ行ってくださいませね」


 そう言って何度も振り返りながら去って行く友人に手を振り、ローゼは翻したくなる体にグッと力を入れて歩き出した。人が多いのでセラータからはもう降りている。

 流れに従って門まで行き、厳つい衛兵の男に名を告げると、彼は極限まで目を見開いた。ぎくしゃくとしながら門の脇まで案内し、「こちらで少々お待ちください」と言い残して詰所らしき場所に走っていく。そこからも何やら声が上がったかと思うと、誰かがすごい速度で大神殿の建物へ走っていった。

 何が起きたのか分からないままローゼが待っていると、ほどなくして馬車がやって来た。それが目もくらむほど豪華なものだったので、まさか自分のための迎えなのだとは、馬車が自分の前に停まってさえローゼは気がつきもしなかった。


 周囲の人が好奇の目線で見つめる中で恭しく馬車に乗せられ、ローゼは「せめてもっと目立たなくしてくれたらいいのに」とひたすら身を縮めるが、しかしこの程度はまだマシだったのだとすぐ思い知ることになる。


 馬車が到着した場所には多くの神官と神殿騎士が膝をついていた。まるであの草原の日を再現したかのようだ。しかも近くの神官が耳打ちしてくれたところによると、これはただの神官や神殿騎士ではなく、大神殿内で要職に就く者たちばかりだという。中には大神殿における最高位の人物である大神殿長だいしんでんちょうまで来ていると聞いて、ローゼは眩暈がしてきた。

 ふらふらしながら何とか馬車から降りると、堂々とした年配の男性が進み出てきた。深く頭を下げた彼はまず「大神殿長の任を拝命しているラッセル・デュランと申します」と述べ、ローゼが無事に大神殿へ到着した喜びと、アレン大神官が置き去りにしたことに関する詫びを口にする。そうして、


「大神殿内では皆がローゼ・ファラー様を歓迎していることを示すため、上級職の者一同がここに出迎えるものであります」


 と、続けた。どうやらアレン大神官がローゼを放置して帰ってきた件は想像以上に問題となっていたようだ。

 ローゼは浅い呼吸をしながら視線を彷徨さまよわせ、そこにアレン大神官を見かけて拳を握りしめる。こんな場でなければきっと「お前が余計なことをするから恥ずかしい目にあったじゃないの!」と叫んで殴り飛ばしていただろう。


 とにかく、そのあとに「滞在中の部屋」として通された客間が想像以上に良い場所だったのも、もしかしたら大神殿長からの詫びの一環なのかもしれなかった。


 こうしてローゼの滞在する場所も決まった。

 最初の二日は恥ずかしくて引きこもっていたが、三日目になると探索しようという気も湧いてきた。そこでようやくローゼは部屋を出たのだが、すぐに室内に戻ることになってしまった。


 その理由こそがレオンだ。


 レオンにとって大神殿とは、馬鹿にされたり、エルゼが追い出されたり、神木関連の話があったり、良いことが何もない場所でもある。それなのに長期の滞在を余儀なくされてしまったせいで、彼の機嫌はずっと良くない。部屋にいるぶんにはまだいいのだが、ローゼが少し外を歩こうものならすかさず不満ばかりを口にするので、鬱陶しいことこの上ない。他の誰にもレオンの声は聞こえないが、ローゼの耳にはきちんと届くのだ。

 仕方なく聖剣を部屋に残して出かけたこともあったが、今度は神官たちに聖剣を持っていないことを不審がられる。これは悪手だったかと部屋に戻ると、やっぱりレオンは不機嫌だった。曰く、「どうして俺を置いて行くんだ」とのことらしい。


 伴って行っても機嫌が悪く、置いて行っても機嫌が悪い。なんだかんだでとても厄介なレオンだった。


 とはいえレオンだっていつでもうるさい訳ではない。納得できる理由さえあれば外歩きの途中も静かにしていてくれる。

 一番いいのは「家族への手紙を出しに行く」ことだ。


 部屋を出る口実を作るためにも手紙を書こうかと考え、寝台から顔をあげたローゼは机の上にあるペンとインクをしばらく見つめる。やがて再び寝台に頭を落としたのは、書ける内容を何も思いつかないからだ。


(先週出したばっかりだもんねえ……)


 聖剣の主に関することはまだ明かせないので、ローゼは自分の現状を「大神殿で住み込みの手伝い中」としている。きっとアーヴィンも口裏を合わせているからそれは問題ない。問題があるとすれば、部屋を出ないせいで書ける内容が少ないことくらいだ。今までは道中のことを綴っていたが、それもこの前の手紙で書き終えてしまった。


(あとの理由は……剣の訓練かあ……)


 実は大神殿に来たあとにローゼは「剣の訓練をさせてもらえないか」と頼み込んでおり、今では神殿騎士の教官から稽古をつけてもらえている。これも部屋から出歩ける数少ない機会のひとつだ。


(でも今日は、ちょっと立て込んでるって言ってたっけ……)


 ただし神殿騎士見習いたちに教える合間を縫ってのことなので、毎日というわけにはいかない。


(うーん……せめて誰か部屋に来てくれないかな……でもフェリシアはなんだかんだで大変そうだし……ジェラルドさんは大神殿にいないし……)


 フェリシアは約束通り寮の部屋を教えてくれたし、彼女の側からも時々はローゼの部屋へ来てくれる。だけど先日まで出歩いていた分の追加訓練が課せられているため、毎日遅くまで忙しくしていた。

 ジェラルドが所属している部隊は王都周辺を巡回する任に当たったそうだ。今ごろは王都に近いどこかの町に滞在していることだろう。


 大神殿におけるローゼの知り合いはこのふたりだけ。あとは世話係の神官くらいしか部屋には来ない。もっと他の人と交流ができれば知り合いも増えるだろうが、何しろ部屋の外へ出られないのだから知り合いもできようがないのだ。


(馬屋には専門の係がいるからセラータには頻繁に会いに行かなくてもいいし……つーまーんーなーいー)


 自堕落なのは百も承知しながら寝台でごろごろと転がっていると、戸が叩かれて名を呼ばれた。世話係の神官だ。返事をしながら慌てて起き上がったローゼは髪と服を整えてから扉を開ける。神官は伝言を持ってきてくれたのだが、その内容はまさに神の助けだった。

 礼を言って扉を閉め、ローゼは聖剣を振り返る。


「レオン、新しい鞘ができたって!」


 今の聖剣の鞘はかなり年季の入った品だ。とはいえ普段使うのならば問題はないし、むしろ簡素で良いとも言える。

 ただ、これから行われる『聖剣の主関連の儀式』で使用するにはさすがに問題だったようだ。

 到着してすぐに神官たちから「できましたら儀式の前に新しい鞘をご用意いただきたく」と言われたこともあり、ローゼは先月のうちに新しい鞘の作成を依頼してあった。


「今から見に行こうと思うんだけど、どう?」


 しかしレオンからの返事はない。

 首をかしげて聖剣に近寄ったところ、小さめの声がした。


【なあ。ローゼはこの鞘が嫌いか?】

「んんん?」


 彼の反応の意味が分からない。

 ただ、もしもまた不機嫌になったら困るので、ローゼは返事をしながら慎重に様子を見ることにする。


「そんなことないよ。ほら、使い込んでるおかげで黒い色に深みが出てかっこいいじゃない?」

【本当か?】

「もちろんよ」

【だったらどうして、新しい鞘を作ったんだ?】

「えーっと……そう、例えばおおやけの場に普段着で行くのは少し場違いでしょ? やっぱり状況に合わせた装いって必要になるじゃない。今回の鞘ってそれと似たようなものだと思うのよ」

【……なるほど】

「だからちゃんとした格好が必要なときは新しい鞘にして、普段の時はこの黒い鞘を使うつもりなの。どうかな?」

【そうしよう】


 どうやら対応は正解だったようだ。ローゼは安堵の息を吐く。


「もしかしてレオン、この鞘が気に入ってる?」

【気に入ってる……というか……いや……】

「……あ、ひょっとしてこの鞘、レオンが作ったというか作らせたというか、そういうの?」

【ああ……まあ……】

「なるほどねー」


 元はと言えばレオンは人間で、この聖剣の主だったのだ。鞘にも思い入れがあるに違いない。


「じゃあもしこの鞘が壊れた時は、似たようなのを作ってもらおうか」

【その必要はない。今の主はお前なんだから、お前の好きにしろ】

「あたしも結構気に入ってるから、いいのよ」

【……そうか】


 レオンの声からは照れたような恥ずかしいような、そんな気持ちが伝わってくる。

 少々癖があるけれど、根は意外と素直なようだ。


「よーし、じゃあ、レオンのおめかし用の服を見に行こうね」

【そういう言い方はやめろ】


 ローゼは少し笑って、四百年前の鞘に入った聖剣を腰に差した。



   *   *   *



 神殿騎士たちにとって武器は重要だ。そのため大神殿内には武具の修理や新調を行うための鍛冶場がある。そして十一振目の聖剣の鞘を作ってくれているのも、その鍛冶場の職人たちだった。

 初めに鞘の話を聞いたとき、ローゼは王都内にあるどこかの武器屋に行って鞘を作ろうと考えていた。しかしそれを止めたのは鍛冶場の職人たちだ。


「どうか我らに『聖剣の鞘を作る』という栄誉をお与えください!」


 部屋を訪ねて来た彼らに床に頭をこすりつけて頼まれては、さすがにローゼも了承するしかない。


(お代はいらない、とまで言ってたもんねえ。なんか申し訳なくて気が進まなかったけど……)


 神官の居住区域を出たローゼは鍛冶場へ向かう。わざと遠回りをしながらぶらぶら歩いていると、神殿騎士見習いたちが訓練を終えて通りかかる姿を目にした。先頭の方を歩く見習いたちはローゼに気づかなかったが、途中の少年がローゼを見て立ち止まって頭を下げた。以降の見習いたちも同じように始めたのでなんとも気まずい。忘れ物でもしたふりをして彼らに背を向けようかとしたが、そのローゼの足を止めさせた少女がいた。

 それは、うつむきながら最後方をひとりで歩いていたフェリシアだ。彼女は皆の行動を見てから、ゆっくりとローゼの方へ顔を向け、紫の瞳を輝かせる。そうしてパタパタとローゼの方へ駆け寄って来た。


「ローゼ!」


 手をふるローゼに微笑み、フェリシアは聖剣に視線を落として少し声を潜める。


「レオン様も。こんにちは」

【おう】


 ローゼは『十一振目の聖剣にレオンがいる』ことを報告していない。大神殿の中で彼の存在を知っているのはフェリシアだけ。もちろんレオンの声がフェリシアに届くわけではないけれど、レオンも一応は律義に挨拶らしきものを返しているのが少しおかしい。


「みんなと一緒に行かなくていいの?」

「ええ。ちょうど訓練が終わったところで、この後は休憩に入りますのよ。ローゼはどうしましたの? 剣の稽古ですかしら?」

「ううん。聖剣の鞘ができあがったって聞いたから取りに来たの」

「まあ! この前言ってらした鞘ですわね? できあがった鞘をわたくしも見てみたいですわ。ご一緒してもよろしくて?」

【好きにしろ】

「もちろんよ。レオンも大歓迎だって言ってる」

「嬉しいですわ!」

【おい、適当なことを言うな】


 レオンの不機嫌な声を笑っていなし、ローゼはフェリシアと連れ立って鍛冶場の方へと歩き始めた。


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