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2話 新しく

 ところで、と言ってフェリシアは紫の瞳をローゼに向けて来る。


「聖剣の鞘はどのようなものにいたしましたの?」

「それが、あたしもよく分からないんだよね」

「……分からないんですの? なぜ?」

「うん。実はね」


 武器関連のことに詳しくないローゼはまず、レオンに好みを聞いてみた。何しろレオンは聖剣に宿る者、鞘と密接な関係にある。彼の意見は重要だ。

 しかし彼の答えは「別に好みはない」「お前の好きにしろ」だった。


「あたし困っちゃって、職人さんたちに相談してみたの。そしたら『任せてくれたらいい感じに仕上げる』って言ってくれたから、じゃあお願いしまーすって、丸投げ……して……」


 ローゼの声が小さくなっていったのは、フェリシアがこれ以上はないほどに眉をつりあげたからだ。


「……フェリシア? どうかした?」

「しましたわ。なんですの、それ」


 言ってフェリシアは口を尖らせ、ぷいと横を向く。


「どのような鞘が良いのか分からないのでしたら、わたくしに相談してくださればよかったのに。レオン様にお似合いの素敵な鞘はいくらでも考案いたしましたわよ!」

「そっか、そういう手もあったね」

「あったねではありません! ローゼが考えると思っておりましたから、わたくしは出しゃばるのをやめましたのよ!」


 困ったことにフェリシアは完全にへそを曲げてしまったようだ。困ったローゼは「まさかそんなことを考えてくれているなんて思わなかった」「フェリシアの趣味はとてもいい」「次に作る時は頼むから」と言ってなだめてみることにした。おかげでフェリシアの機嫌を直すことには成功したが、今度は「今から二つめの鞘を注文いたしましょう!」と言い出すフェリシアを収めるのに苦労することになったので、それはそれで困った話だ。


 とにかく今回はひとつだけで、という話に持って行って鍛冶場に入ると、ローゼを見た職人たちはわっと湧いた。


「聖剣の主様、お待ちしておりました!」

「鞘ですね!」


 その喧騒の中で鞘を出して来てくれたのは、ひときわ見た目の厳つい親方だ。


「聖剣の鞘を作るなんて、人生で一回あるかどうかですからね。良い体験をさせていただきました」


 普段は威圧感ばかりを与えそうな印象の彼が、目じりを下げ、布にくるまれた鞘をローゼに差し出す。


「どうぞご覧ください。良い出来ですよ!」


 言われた通りにローゼが布を開くと、中からはとても優美な鞘が現れた。

 全体は白い革だ。そして切っ先の方には花の意匠が、鍔の側には曲線の幾何学模様が、それぞれ黄金で施されている。全体にはローゼの瞳によく似た色の紅玉が散らされていて、豪華な雰囲気をさらに醸し出していた。


「これは、すごいですね……」


 想像以上に豪華な鞘を前にして、ローゼは嬉しいよりもなんだか恐れ多くなってくる。本当は触るのすら憚られるのだが、職人たちから寄せられる眼差しはどう考えても「今すぐ! この鞘に聖剣を入れてみてください!」という期待に満ちたものだ。

 仕方なくローゼは左手を服でこっそりと拭き、そっと鞘を持ち上げて、抜きはらった聖剣をおさめてみる。とたんに聖剣が輝きを放ったように見えた。もちろん聖剣自体は何も変わっていない。ただ鞘を変えただけだというのに、聖剣は黒い鞘にあるときとは比較にならないほど美しく、いっそう輝いて見えた。

 夢見るような瞳のフェリシアがほう、と感嘆の息を吐く。


「とても似合っていますわ」


 その言葉を皮切りに、職人たちも口々に感想を述べる。


「美しい……なんて美しい……!」

「ああ、良かった……」

「やはりここの部分を変更したのは正解だったな!」


 泣き出す職人たちまで現れて鍛冶場は一気ににぎやかになる。たまたま外を通りかかった神殿騎士たちも「なんだなんだ」とばかりに中を覗き込みはじめたので、いっときは押すな押すなの騒ぎにまでなったほどだ。

 なお、人々の注目の的となった当の聖剣の中にいるレオンは無言で、ときどきうんざりしたようなため息が聞こえたのはローゼの気のせいではないだろう。

 その喧騒の中、フェリシアがローゼを手招きする。


「そろそろ休憩が終わりますの。わたくし、行きますわね」

「もうそんな時間?」

「ええ。でも今日はお夕食の後にお部屋へお邪魔してよろしいかしら? 久しぶりにゆっくりお話したいですわ」

「もちろん大歓迎!」


 にっこり笑ったフェリシアと別れたあと、ローゼも部屋へ戻ることにする。職人たちからの「不具合がありましたらいつでもどうぞ」という声に頭を下げ、廊下を進んでいると、さっそくレオンが「鞘を元に戻せ」と言ってきた。


「もう戻しちゃうの?」

【戻す。儀式の時だけという話だったろ。そんなごてごてしたものを普段からつけていられるか】

「部屋に戻ったら替えるつもりだったんだけど」

【駄目だ。すぐに替えろ】


 これ以上レオンの機嫌を損ねても面倒だ。仕方なくローゼは回廊の途中で鞘を変更する。包んでいた布は鍛冶場に返したので、剥き出しの新しい鞘を手に持ったまま歩いていると、正面から数人の人物が来るのに気が付いた。

 先頭にいるのは若い男だ。年齢は二十歳くらいだろうか。光を弾いて銀に輝く髪がとても印象的だった。


(すごい……あんな色の髪、初めて見た)


 短い髪なので神殿関係の人物ではないし、着ているものも高価そうだ。なにより背後には護衛らしき人物も従えている。これは貴族だなと判断して、ローゼは道の脇に寄った。


【おい。そんなことをする必要はないだろう】


 レオンは文句を言うが、ローゼとしてはいらないもめ事を起こしたくない。ただ、こういったときの作法は良く分からなかったので、彼が通りすぎるときに少し頭を下げておいた。

 しかし男はローゼの前で立ち止まり、動かない。何が起きたのだろうかとローゼが顔をあげると、彼の顔は聖剣に向けられていた。


 十一振目の聖剣に関する話は公表されていない。まずかっただろうかと思いながらローゼはさりげなく体をひねり、彼から聖剣を見づらくさせる。


「……なんでしょうか」


 思い切って声をかけると、彼はうっすらと笑みを浮かべた。


「ああ、不躾にすまなかった。私はチェスター・カーライルという。その外見からするに、君は新しい聖剣の主、ローゼ・ファラー嬢だな?」


 問われてローゼは少し眉をひそめた。

 聖剣の主の存在はもちろん、ローゼの名前も知っているとは思わなかった。


「……はい。ローゼ・ファラーです。初めまして」


 ローゼの警戒をチェスターは気に留めなかった。何事もなかったようにうなずき、彼はローゼが手にした鞘を見て言う。


「何故その鞘を使わないんだ?」

「あ、これは……」


 問われたローゼは少し悩む。

 本当の理由は「レオンが嫌がっているから」なのだが、ローゼはレオンの存在を大神殿には明かしていないし、今後も明かすつもりはない。それで咄嗟に考えた言い訳を述べる。


「儀式のときまでに傷をつけては申し訳ないので、普段は今まで通りの鞘にしていようと思っているのです」

「そうか、君は庶民の出身だったな。なるほど」

「……どういうことですか」

「そのままの意味だが」


 庶民の自覚はあるが、改めて言われると気分は悪い。しかしチェスターの表情には見下しも侮りもなく、とても静かだ。


「君はその鞘がどういうものか知っているか?」

「どういうって……」

「素晴らしい鞘だ。良い素材を使って丁寧な仕事をしてある。職人が丹精込めて作ったんだろう」


 確かにその通りなのでローゼはうなずいた。


「さて、それをもし購入するならば、いくらかかるだろうか」

「……分かりません」

「そうだろうな」


 構えたところのない言い方ではあるが、なんだか妙に引っ掛かる。

 ローゼは思わず言い返した。


「あなたには分かるんですか?」

「分からないな。ただし、おそろしく高価だろう。それを君はいくらで手に入れた?」

「お金は……払ってません」

「そうだろうな」


 チェスターはまたしても同じように言い切った。


「だが素材の費用もさることながら、職人たちの費用もかかっている。無償で手に入るものじゃない」

「……はい」

「名声と身分を得た今の君には作ってもらえた品だが、本来の君ならば一生かかっても手に入らないような物だ」

「何が言いたいんです?」


 回りくどい言い方にしびれを切らし、つい強い口調で言い返す。馬鹿にされているのだろうかと思うが、チェスターの表情は凪いだ湖のように穏やかで、何を考えているのか良く分からない。それでも彼の言葉の端々からローゼに対する悪意のようなものが伝わってくるのは確かだ。


「分相応にしろと仰るのならこの鞘を返したって構いません。この後に行われる儀式やお披露目会に普段着で出たって私は平気です。聖剣の主になったのは贅沢をしたいからでも、偉ぶりたいからでもないんですから」


 喧嘩腰の言葉を聞いてもチェスターの表情は剣呑にはならない。むしろ微笑んでいるようにさえ見える。


「ああ、やはり君は庶民なのだな」

「なっ!」

「もし君が今言った通りのことを実行したら、どうなると思う?」

「どうって……」


 思い出したのは四百年前のレオンのことだ。

 確か彼は儀式やお披露目会で嘲笑され、馬鹿にされたのだったか。


「悪口を言われるかもしれませんけど、そんなの私は平気です」

「ふふふ。でも、例えばそうだな――アーヴィン・レスター」

「え?」


 いきなりアーヴィンの名前が出てきてローゼは面食らう。


「グラス村の神官だったな。君とは懇意なのだろう? あのときの大神殿は大変だった」


 あのときとは、アーヴィンが大神殿へ送った鳥文が届いたときのことだろうか。


「あとはフェリシア王女殿下か。君と仲が良いらしいな」

「……それがどうかしたんですか」


 自分と親しい人物の名前が、まったく親しくない人物の口から出てくるのは、なんとも不気味で不愉快だ。


「別に。もし君が今のままならふたりが可哀想だと思っただけだが、分からないか?」

「何を言って……」


 自分が何かすることに、アーヴィンやフェリシアがどう関わってくるというのか。

 そう言おうとしてローゼはふと口をつぐむ。


 少し引っかかることがあって考えを巡らそうとしたが、思いつくよりも先にチェスターが片手を上げる。


「ここで長々と君の答えを待つ気はない。すぐに答えられないのなら話は終わりだ」

「既に長々と立ち話はしたのに?」

「そうだな。私にとってはあまり有意義ではなかった」


 それならしなければ良かったのに。と喉元まで出かかった言葉をローゼは飲み込む。

 チェスターは「私にとっては有意義ではない」と言った。もしかすると今のやりとりの中には、ローゼにとって有意義なものがあったかもしれない。


「……分かりました。ありがとうございました」


 不本意ながらも礼を言うと、チェスターはわずかに首をかしげる。


「言っておくが、私は別に君の味方ではない」

「分かっています」

「それでも礼を言うと?」

「言う必要がある可能性を考えたので、言っておきました」


 チェスターの緑の目を見据えて言うと、彼の口元に今までとは違う笑みが浮かぶ。取り繕ったものではない。心からのものだと思えるような笑みだ。


「では、次に会う時はもう少し楽しい話ができることを期待しよう」



   *   *   *



 部屋に戻ったローゼは腰から聖剣を外し、新しい鞘と一緒に机に置く。椅子に座って黄金の輝きを見つめながら、チェスターとのやりとりを思い返した。


(鞘……庶民……アーヴィンとフェリシア……)


 それらの意味するところはまだよく分からないが、世の中にはローゼが知らなかった色々な理屈があることだけは分かった。

 そういったことを少しずつ学んでいく必要があるのかもしれない、と考えているときに、レオンの声が聞こえる。


【ローゼ】

「ん?」

【鞘を新しいものにしろ。そうしてお前は明日から大神殿の中を歩くんだ】

「え……どうしたの、急に」

【お前は聖剣の主だ。それを皆に示す必要がある】


 どうやらレオンも同じようなことを考えていたらしい。


【心得違いをしていた。昔のことに捕らわれている場合じゃない、俺はもう人じゃなくて聖剣で、お前は俺の、その……娘なんだ。エルゼにもお前のことを頼まれているわけだしな】


 気が変わったのはありがたいが、急に醸し出した保護者のような雰囲気が気持ち悪い。少し眉をしかめ、ローゼは尋ねる。


「分かった。でも、どうして明日からなの?」

【……俺にもこの鞘で行動する覚悟をさせろ】


 しかし心根はそう簡単に変わったりはしないようだ。


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