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3話 お菓子とお話

 夕食後にローゼが部屋で待っていると、昼間に言っていた通りフェリシアがやってきた。手土産として大量の焼き菓子を持っている。


「このお店のお菓子はとっても美味しくて、王都でも人気なんですの。ぜひローゼも召し上がってくださいませ」

「こ、こんなに食べるの? 夕食後だよね?」

「あら、このくらい平気ですわ。きっとすぐに無くなってしまいますわよ」


 澄ました顔のフェリシアは水を入れた小さな鍋をランプの上に置く。その横で皿にお菓子を出しながらローゼは尋ねてみた。


「ねえ、フェリシア。チェスター・カーライルって人、知ってる?」

「チェスター様? ええ、存じてますわ」

「偉い人なの?」

「そうですわね、お父上のカーライル侯爵は国内でも有数の大貴族ですのよ。その家のご嫡男ですから偉いと言えば偉いですわね。ご本人も子爵の地位をお持ちですし」

「ふうん……。じゃあ、評判はどう?」

「悪い話は聞きませんわね。そうそう、若い女性からの人気は高いですわよ。容姿が良くて、身分をお持ちの方ですもの。ローゼも気になります?」

「ならない」

「そうですわよね」


 あっさりとうなずくフェリシアが少し不思議だった。皿に盛った菓子の山を机に置き、ローゼは友人の方へ振り返る。


「フェリシアも気になる?」

「いいえ、ちっとも。それにあの方は、わたくしのお姉様との婚約が内々に決まっていますのよ」

「へぇ……」


 フェリシアの姉、つまり王女を妻に迎えられるのだから、やはり彼は色々な意味でただものではないのだろう。十一振目の聖剣やローゼのことを知っていたのもその辺りに関係があるのかもしれない。


「でも、ローゼ。急にチェスター様のことをお聞きになるなんて、何かありましたの?」

「えーと……」


 ローゼは「鍛冶場を出てフェリシアと別れたあとにチェスターと会った」こと、そして「鞘の話をした」こと――高価なものを無償で手に入れられたのは聖剣の主になったためだと言われたことを語った。

 相槌だけを打っていたフェリシアが良い香りのカップを机に持ってきたので、ローゼは椅子に掛けて続きを話す。ただし「鞘を使わなかった理由をレオンのせいではなく金額のせいにした」ことは言ったが、「チェスターの口からアーヴィンとフェリシアの名前が出た」ことは言わなかった。なんとなく、これはまだローゼの心の中にとどめておいた方が良いような気がした。


 小さくうなずきながらカップと焼き菓子を口に運んでいたフェリシアは、ローゼが話し終えてひとつ息を吐く。


「そんなことがありましたのね」

「うん」

「確かにレオン様のお話をするわけには参りませんものね」

「でしょ?」

「ですが、せっかく美しい鞘なんですもの。たくさんの方に見ていただいた方が職人の皆様も嬉しいと思うのは確かですわ。――お茶、淹れますわね」


 立ち上がったフェリシアは再びランプに火をつけて鍋を置く。中の水が温まる小さな音を聞きながらローゼはため息を吐いた。


「そうなのよねー……」


 ローゼも自分の家で収穫した野菜が褒められたときの気持ちを知っているから何となく理解はできる。

 職人たちは聖剣の鞘をひたむきに丁寧に作った。持ち手に喜んでもらえたら嬉しいのは当然だし、それをさらに多くの人が見て賞賛してくれたのなら、きっともっと嬉しくて、とても誇らしい気分にもなるだろう。


「だけど、レオンのことがなくても、あたしはあの鞘を使うのを躊躇ためらった気がする」

「あら、どうして?」

「だってさ。あたしはまだ、こんな高価な鞘を使うのに見合う人物じゃないよ」


 ぼそぼそと呟くと、湯を茶葉に注いだフェリシアが振り返って首をかしげた。


「では、どうなりましたら鞘を使える人になれますの?」

「どうなりましたらだろうねぇ。あたしも分かんない」

「それならもう、使ってしまえば良いのですわ」

「へ?」


 間抜けな声と共にフェリシアを見返すが、彼女は別にからかっている顔ではない。


「だってローゼは聖剣の主ですのよ? それだけで凄いことですもの」

「……選ばれたのはあたしの実力とは関係ないよ。だいたいあたしは聖剣の主になっただけで、まだ何かをしたわけじゃない」

「ですがこの後に何かを成しますもの、別に問題ありませんわ」

「成す……の?」

「ええ、もちろん。だってローゼは聖剣の主でしょう?」


 そう言ってフェリシアはにっこりと笑い、自身とローゼのティーカップを持ち去った。


「うーわー、その言葉、すごい重圧だわ」


 ローゼは左手で頬杖をつき、右手で焼き菓子を取った。口の中へ放り込むと程よい甘さが口に広がる。だけど今の話を思い返すとちょっぴり苦みが加わった。


 聖剣の主というのは神殿内での特権や地位が得られる。もちろん、各方面への影響力もかなりのものだ。その辺りの話に関して考えなかったわけではないが、平民生まれのローゼがいまひとつ実感できていなかったことは間違いない。


(あたしは、聖剣の主。特別な存在になってしまったんだ……)


 ほんのわずかではあるが、チェスターの言いたかったことが理解できたような気がした。

 少なくともローゼが儀式に普段着で臨んではいけない理由は分かったように思う。視線を落としたローゼは、ため息をひとつ。


「……ねえ、フェリシア。儀式の時とお披露目会のとき、聖剣の主が何を着るのかって知ってる?」

「いずれもローブだと聞いたことがありますわ。わたくしは見たことはありませんけれど、とても美しい衣装だそうですわよ」


 美しい衣装と聞いてもローゼの心は少しも躍らない。


「ローブ……きっと裾が長いんだろうね。そういう服には今まで縁がなかったから、踏んで転んだりしないといいなあ」

「あら、でしたら」


 お茶のおかわりを淹れ終えたフェリシアが顔を輝かせながら机に戻ってくる。


「今度わたくしのお部屋にお越しくださいな。ローゼに合う丈のローブを用意しておきますわ」

「……それで何をするの?」

「もちろん、練習いたしますのよ! ……あら?」


 座ったフェリシアの視線の先には白い皿があるが、そこに山盛りになっていたはずの焼き菓子は見当たらない。ローゼは思わず自分の手を見つめた。


「嘘。なくなった? 食べちゃったの? あたしも?」

「ね? 最初に申し上げました通りでしょう、きっとすぐに無くなるって。でも大丈夫、お菓子はまだございましてよ!」


 胸を張ったフェリシアはどこからともなくもう一袋取り出し、焼き菓子を再び山のように盛った。



   *   *   *



 久しぶりにフェリシアと楽しいお喋りの時間を過ごした翌日、ローゼは自室から外へ出る扉の前で深呼吸を二回する。


「じゃあ、行くね!」


 気合いと共にローゼは扉を開いた。

 腰には白い鞘に入った聖剣がある。大きく踏み出した足は、文字通り新たな一歩になる。――はずだったが、廊下に出て扉を閉めたローゼはぽつりと呟く。


「で、どこに行く?」

【決めてなかったのか】

「どこに行ってもいいってなったら、逆にどこへ行けばいいのか分からなくなっちゃったの。ねえ、レオンはどっか行きたいところある?」

【逆に聞くが、あると思うか?】

「ないよね。うーん、どうしよう」

【立ち入りが禁止されてるところはないのか?】

「禁止はされてないよ。見習いたちの修練の邪魔にならないようにしてください、って言われてるくらいかな」

【だったら見習い以外の場所へ行くのはどうだ。神官や神殿騎士がいる辺りとか】

「分かった。じゃあ今日の最終目的地は馬屋! セラータに会いに行く!」

【おい、なんのために俺に聞いたんだ!】


 こうしてローゼは廊下を左に進み始め、いくらも経たないうちに神官たちに声をかけられた。今までは話しかけられたことなどほとんどなかったので、もしかすると今日のローゼは少し雰囲気が違うのかもしれない。その証拠にいつも以上にたくさんの人から話しかけられている。


 中でも多かったのは西方地域の出身の人たちだ。ローゼの出身が国の最も西にあるグラス村だということは知られているので、どうやらその辺りでローゼに親しみを抱いてくれているらしい。他にも自分や家族がローゼと同じ年ごろだという人に加え、単に『十一振目の聖剣の主』と話してみたい人や、聖剣に興味があって声をかけてくる人もいた。それ以外だとアーヴィンの知り合いだという人、先日の鳥文とりぶみ事件について興味を持っている人もいる。


 ただし全員が好意的な反応を示してくれるわけではなく、遠くから嫌な目線を向けられたり、冷笑されたり、皮肉が聞こえてくることもあった。むしろ割合で見ればそういった人物の方が多いのだが、しかしその辺は気にしても仕方ないと早めに忘れるようにローゼは努めた。


 そうして歩き始めて三日目、ローゼは懐かしい人物に会う。


「まあ、ローゼね!」


 柔らかな声に名前を呼ばれて振り返ると、立っていたのは細身の女性だ。年齢は六十をいくつか過ぎたくらい、記憶にある顔よりも少し年を取ったが、優しい雰囲気は変わらない。

 ローゼは歓声をあげ、廊下を走る。


「神官様! お久しぶりです!」

「覚えていてくれたのね、嬉しいわ」

「忘れるはずないですよ!」


 神官様ことミシェラ・セルザムは、アーヴィンの前にグラス村の神官だった人物だ。

 彼女は七年ほど前、片足に怪我を負って村を去っていた。


 神官は神の奇跡――神聖術が使える。術の中には「癒しの聖句」というものがあって傷を治せるのだが、しかしこれは厳密に言うと損傷部を浄化して治りを促進する聖句なので、病気には効かないし、怪我だって完全に元通りとはいかないこともある。

 当時のミシェラがそれだった。

 魔物との戦闘中に受けた傷があまりにも深かったせいで完全には癒しきれず、ミシェラの片足はほとんど動かなくなってしまった。これでは村の神官として活動するのは難しい。それで彼女は仕方なく、三十年以上も過ごしたグラス村を去ることになったのだ。ミシェラが帰還する日には多くの人が泣いていたし、もちろんローゼもそのひとりだった。


「お体は大丈夫ですか?」

「ええ、訓練のおかげで今は少し足を引きずる程度よ。日常生活に支障はないから、今はここで薬に神聖術を籠める手伝いをしたり、見習いたちに教鞭を取ったりしているの」

「わあ、うらやましい!」


 村では読み書きなどの簡単なことは大人が子どもに教える。それ以上の難しいことになると自分で学ばなくてはならないが、実はグラス村では週に数度、学びの時間が設けられていた。そのときは神官のミシェラが計算や歴史などを教えてくれるので、ローゼはとても楽しみにしていたのだ。


「神官様の教え方はとっても分かりやすいし、聞いていても楽しいし。みんな成績はいいんだろうなあ」


 今のローゼは大神殿や王都に関して知りたいことばかりだ。ミシェラさえ良ければ教えてもらいたいのにと思っていたら、当のミシェラがにっこりと笑う。


「これから傷薬を作るの。良かったら一緒に来て、話し相手になってくれないかしら」

「いいんですか?」

「もちろんよ。レスター神官からはずっとお手紙をいただいているのだけれど、もっと詳しく村の話を聞きたいもの」

「へえ……アーヴィンが手紙を……あっ、ととと」

「ふふふ」


 神官であるミシェラの前でアーヴィンの名前を呼び捨てにしたのはまずかったかと焦ったが、どうやらその辺りは流してくれるようなので、ローゼは「ぜひ!」とだけ言って大きくうなずいた。


 この邂逅はローゼにとってとても有意義なものになった。

 ミシェラとの話も弾んだおかげで、彼女に会ったときはまだ天頂にあったはずの陽はもう傾きかけている。

 機嫌よく歩いていると、人通りが切れたところでレオンが話しかけてきた。


【なあ】


 ほかの人に存在が認知されない彼は、ローゼが『独り言ばかりの怪しい人』にならないよう、一応は場所を選んでくれているようだ。


【お前、神官様とちゃんと話せるんだな】

「ちゃんとって何?」

【村にいた男の神官のことは名前を呼び捨てだったろ? 話し方も普通だったし。なんでだ?】

「あー、あれは……」


 ローゼは口ごもる。アーヴィンを呼び捨てにしている理由というのは彼との初対面が大いに関わっている。もしも話そうとするのなら誰にも言いたくない一件、つまり漏らしてしまった件についても話さなくてはいけない。


「あたしとアーヴィンはね。いろいろあって友達になったの。だから、対等に話してもいいの」

【なに?】


 試しに途中の経過を飛ばして結論だけ言ってみると、やはりレオンは不満そうだ。


【答えになってないぞ。重要なのはその『いろいろあって』の部分だろうが】

「それは……えーと……そう、乙女の秘密なのよ。だからレオンには言えないの」

【……なるほど、だったら仕方ないな】


 苦し紛れの一言でなぜかレオンは納得してくれたようだ。不思議ではあるがローゼも良しとして、次の話に移る。


「あのね、レオン。あたし部屋に帰る前に行きたいところがあるんだけど」

【どこだ?】

「あー、でもね、レオンが行きたくなければ、その、聖剣を置いて、あたしひとりで行ってもいいんだけど……」

【なんだ、じれったい。まずはどこへ行きたいのか言ってみろ】

「うーん……」


 少し言い淀んで、ローゼは聖剣に視線を落とす。


「……行きたいところは大神殿の……えーと、まだ見てないところがあるでしょ、結構有名というか、大事なとこ。さっき神官様に話を聞いた中の、ひとつで……」

【ああ……】


 ローゼの言いたいことが伝わったのか、レオンはきっぱりと言い切った。


【あれは本来なら俺が知らなくてはいけないことだったんだ。お前が行くのなら俺も一緒に行く】

「レオンがそう言うなら……じゃあ、行こうか」


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