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5話 王都近くの町

 世話係の神官はブロウズ大神官の部屋まで案内してくれたし、取次もしてくれたが、中には入らないらしい。

 扉の前で彼女の背を見送ったローゼがひとりで室内に入ると、ブロウズ大神官は執務室の机の向こうで立ち上がり、礼の姿勢をとる。


「急にお呼びたてしてごめんなさいね」


 ブロウズ大神官は、グラス村の神官だったミシェラと同じ年頃の女性だ。体つきが細身なところや、優しそうな雰囲気も良く似ている

 しかしミシェラとの大きな違いは、対面したときにどこか背筋が伸びるように思えるところだ。この空気はつい先日会った彼――謎かけのような質問を出してきたあの貴族の青年に似ているような気がした。

 そんな気持ちをぐっと抑えながらローゼも頭を下げる。


「お待たせして申し訳ありませんでした。ところで、ご用はなんでしょう」

「まずはこちらをご覧いただけるかしら?」


 ブロウズ大神官が差しだしているのは一通の封筒だ。


「私が拝見してもよろしいのですか」

「ええ」


 差し出し元は、王都近くにある町の神殿。

 どうやらこの町の近くにできた瘴穴しょうけつが長期に渡って開いているようで、近隣に魔物が頻発し、民が疲弊しているらしい。


『早急に聖剣の主様にお越しいただきたいのです』


 手紙にはそう書かれていた。


 闇の王が作る瘴穴はどこに開くか分からない。突然現れ、地上に魔物と瘴気をまき散らし、そして開いたときと同じように突然消える。――と聖典には書かれているが、瘴気はもちろん、瘴穴も人の目に見えない。それらの存在の有無は近隣に魔物が出ているかどうかで判断するだけだ。

 瘴穴の大半は一日以内に消えるようだが、ごく稀に十日以上消えない瘴穴もある。そうなると周辺では魔物による被害が増えることになるのだった。


「任命の儀式を終えていない聖剣の主様は、本来でしたら動くことはありません。ですがファラー様は瘴穴の対処ができますね?」

「はい」


 ローゼは結局、大神殿に「自分は瘴穴が見え、消すこともできる」という話だけはしてあった。最初はもっと後にしようと思ったのだが、実績ができるのがどれほど後になるか分からないと思い返したせいだ。

 そしてこれは本来ならレオンの能力を借りているだけなのだが、彼の存在は明かしていないので、自身に授かった能力だということにしてある。

 ブロウズ神官が言っているのはこのことだ。


「前例のないことではありますが、町まで赴き、瘴穴を消してはいただけませんか」

「……この町まではどのくらいの距離がありますか?」

「馬で行くのでしたら、片道で二日です」

「二日……」


 そのくらいなら調査の日数を含めても、儀式までには十分に間に合う。


「分かりました」


 ローゼが言うと、ブロウズ大神官は微笑んだ。


「今日はもう遅いですから、明日お立ちになるとよろしいでしょう。荷物はこちらで用意いたしますので、あとでお部屋まで届けさせます」

「よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願い致します、聖剣の主様」


 それはなんということもない、最後の挨拶だ。

 ただ、その響きにローゼはひっかかりを覚えた。


「では、手紙をこちらに」


 優しい声とともに差し出される手に封筒を置いたあと、ローゼはしばし考えた。

 今しがたのあの違和感はなんだったのだろう。そして、この手紙は本当に返してしまって良いのだろうか。


「ファラー様?」


 促す声には少しの不審が含まれていた。ローゼは顔を上げ、おずおずと微笑う。


「ブロウズ大神官様。お願いがあるのです」

「なんでしょう?」

「町の名を書き写した紙をいただけませんか? 私は田舎の出身なので、王都周辺の地理には明るくないのです。ここで記憶しただけでは、馴染みのないこの町の名を忘れてしまいそうで、怖いものですから」


 言い終わると腰のあたりからは「お前、すごい棒読みだな」という声がしたが、ローゼはこれをさっくり無視した。

 ブロウズ大神官は少し迷ったように見えたが、結局は微笑んで近くの紙を取り、さらさらと町の名を書いてローゼに差し出す。


「どうぞ、お持ちください」



   *   *   *



 翌朝。

 早めに起きたローゼはブロウズ大神官から届いた荷物を持って部屋を出る。荷物の中身は昨日のうちに確認済だ。足らないと思われるものは、以前の荷物の中から入れてある。

 聖剣の鞘は黒にしてあった。


 ローゼがまず向かったのはフェリシアの部屋だ。今回は本人に会うつもりはない。代わりに床の隙間へそっと手紙を挟み込んでおく。

 次に馬屋へ行ってセラータに馬具を装備した。彼女には時々会いに来ていたし、大神殿の馬場で騎乗もしていたが、本格的に乗るのは久しぶりだ。セラータが嬉しそうで、ローゼも嬉しくなる。


 そうして今回の道連れはレオンとセラータだけなので、人間が一緒にいない旅をするのはローゼにとっても初だった。少しばかり心細いが、フェリシアのおかげでなんとなく要領はつかめている。

 ただ、魔物と遭ったときにひとりで対処できるかどうか不安だ。


「聖剣の主も本来なら一人旅はしないらしいのよね」

【俺はひとりだったぞ】

「レオンが例外なだけ。本来なら旅に出るときは、二、三人の『随伴者ずいはんしゃ』と一緒なんだって」

【ほう? 意外と臆病なんだな】

「別に怖いからじゃなくて、その方が効率的だし、他の人たちも実戦経験が積めるからってことらしいわ」

【後継者育成ってことか】

「そういうことね」

【だったらお前には俺がいるから平気だな!】

「えー、なにそれ」


 自慢そうなレオンの声を聞いてローゼの不安も少し軽くなった気がする。そのおかげというわけではないだろうが、幸いにも魔物と出会うことはなく、二日目の朝のうちには予定の町が見えてきた。


【あの町みたいだな。どうするんだ?】

「まず先に、セラータで行ける範囲をぐるっと見て回ろうと思うの。瘴穴や魔物の気配がしたら教えてね」

【分かった】


 そのままローゼは町の周囲に広がる森や草原の辺りを軽く見て回る。レオンが魔物や瘴穴を感知できる範囲は広い。視界がひらけてさえいれば、遠くまで瘴穴を目視することだってできた。今回は民が疲弊するほど魔物が出るというのだから、瘴穴は町から遠くない場所にあるだろう。

 しかし町の全周をぐるりと回ってみてもレオンはそれらしき反応がないと言う。


【本当だぞ、俺は嘘は言ってないからな】

「分かってるって。じゃあ予定通り町に行こうか」


 ローゼはセラータの馬首を巡らせ、今いる場所から一番近い門に向かう。

 周囲の探索をするうちに昼は過ぎてしまっている。今もなお門へ向かう人の数は多いが、警戒している様子やおびえている様子は見られない。町に入っても同様だ。商人たちは威勢よく呼び込みをし、通る人たちも明るい顔で、子どもたちは無邪気に遊んでいた。


【なんだ? 魔物が頻発している割には元気そうじゃないか】

「そうねぇ」

【民は疲弊してるという話ではなかったのか】

「そうねぇ」


 のんびり答えるローゼの様子に、レオンは少し困惑したようだ。


【……お前は何とも思わないのか?】

「思わないなぁ」

【なんでだ?】

「だってさ」


 ローゼは聖剣を軽くたたく。


「最初からおかしいでしょ、この話。だからなんとも思わない。――それじゃ、神殿に向かおうか」


 神殿に到着したローゼは神官補佐にセラータを預け、名前と「大神殿から来た」ことだけを告げて神官への面会を申し出た。大神殿から来た大神官の使いとだけ言っておいたのは、それだけですべて分かってもらえるはずだと思ったからだ。

 しばらく待つと神官補佐が若い女性神官を連れて来た。神官の表情に不審さは無く、逆に緊張が見られたので、やはりローゼの読みは当たったらしい。

 先に立って応接室へ案内し、ローゼとふたりきりになったところで神官はようやく丁寧に頭を下げた。


「ようこそお越しくださいました、聖剣の主様」

「初めまして、ローゼ・ファラーと申します。ブロウズ大神官からの指示で参りました。町の近くに数週間も瘴穴しょうけつがあるとは、さぞお困りでしょう」

「……ええ、そうなのです」


 神官の目が泳いだことには触れず、ローゼは話を続ける。


「詳しいことをお聞かせいただきたいのですが、よろしいですか?」

「はい、もちろんです」

「魔物が町に入ることはあるのでしょうか? 人々や家屋に被害は?」

「壁を越えて町に来ることはありません。被害は外で起きているだけなのが不幸中の幸いです」

「なるほど。特に被害が多いのはどの方面ですか」


 神官は少しだけ考え、迷った後に口を開いた。


「……特にどこということはありません」

「ない?」

「はい。どの場所からも被害の報告がありますから……」

「そうですか。でも、変ですねえ。私が見たところ、瘴穴なんてどこにもなかったのですが」


 ローゼが言い切ると女性神官は目を丸くした。そうしてしばらく口をパクパクさせていたが、思い出したように、


「そ、そんなはずは!」


 と叫ぶ。


「瘴穴は、あるんです。絶対に、あるんです……!」

「ですが」

「あります! あるから、ええと、困っていて!」


 神官の顔からは色が失せているが、なおも彼女は「瘴穴はある」と言い張る。


「なるほど」


 ローゼはニッコリと笑う。


「分かりました。では、もう一度あたりを見まわってきます」


 扉へ向かい、取っ手を持ち、そこでローゼは室内の神官をふり返る。


「覚えておいてくださいね。私はあなたが仰るから見てくるだけです。本当はこの町の周辺には瘴穴なんて、存在しないんですから」

【意地が悪いなあ、お前は】


 呆れたようなレオンの声を聞きながら外に出たローゼはセラータを返してもらい、再び町の中へ出る。雑踏の中で買い物をしていると、そっとレオンが話しかけてきた。


【なんであんなことを言ったんだ?】

「うーん。牽制かな。あとは挑発?」

【……まったく。いい性格をしてるな】

「ありがと」

【礼を言うんじゃない、ローゼ。お前をつけてきてる奴がいる】

「え?」

【馬鹿、振り向くな】


 ローゼは誤魔化すために露店を見比べているふりをし、さらに油断させるため近くの露店で肉を挟んだパンを買い求めた。店主が用意してくれる姿を見ながらひっそりとレオンへ問いかける。


「まだいる?」

【いる】

「どこからつけてた?」

【神殿を出てからだ。お前のいい性格のせいじゃないか?】

「ふーん……神殿を出てからってことは、やっぱり神殿の関係者かな?」

【かもしれんな。どうするつもりだ?】

「どうしようかね」

【何も考えずに挑発したのか】

「そこはほら。場の勢いってものがあるじゃない?」


 ローゼが答えるとレオンはため息を吐いた。


【……俺がなんとかしてやろうか】

「できるの?」

【多分】

「じゃあ、お願い」

【分かった。買い物が終わったらセラータに乗れ。俺の合図と同時に走らせるんだ】


 露店の店主から商品を受け取ったローゼはセラータに騎乗する。すると一拍おいて後方で悲鳴があがった。突風が吹いたのだ。


【行け!】


 突然のことに立ち止まる人々の合間を縫って、ローゼはセラータを駆けさせた。脇道へ入り、大きく回り、予定とは違う門から外へ出て、近くの森に入ってようやく一息つく。


「いきなり風が吹いたけど、もしかしてあれをレオンがやったの?」

【ああ】

「すごーい! それも聖剣の力?」

【まあ……そんなようなもんだ】


 答えるレオンの声に含まれる響きはどことなく曖昧で、それは自身でも力に関してよく分かっていないか、あるいは追及してほしくないような空気を感じた。おそらくまだ聖剣としての覚醒が不完全で、彼自身にも分からないことがいろいろとあるのだろう。そう考えてローゼは深く聞くのをやめて話題を変える。


「でも、あたしをつけてきて、なにするつもりだったのかなぁ……」

さらってどっかに閉じ込めておこうとでも思ったんじゃないか?】

「閉じ込めて、ねえ。期間は半月くらい?」


 半月ばかり後にはローゼの儀式がある。もしかすると、儀式に出てもらいたくない者がいるのかもしれない。


「でもなんで町に着いてからなんだろう。道中ならあたしひとりの時だってあったし、人ごみでやるより楽なはずなのに」

【分からん。だがこの後も注意するに越したことはないな】


 うん、とローゼはうなずく。

 だけど神官には「瘴穴を確認してくる」と言ってしまった。町中へ戻るとどこかで見られて不審に思われるかもしれない。


「しょうがない。今日はこの森で野宿でもするかぁ」


 幸いにも獣避けや虫除けの札はあるし、万一の時に備えて寝袋も持ってきていた。なんとか野宿ができなくはないだろう。周囲の警戒はレオンもしてくれるというので、ローゼは森の中の少し開けた場所にセラータを繋ぎ、腰を下ろす。

 傾きかけている陽はローゼが居る場所までは届きにくいようだ。完全に暗くなる前にとローゼは露店で買った包みを開く。パンは少し冷めてしまったが香ばしい匂いは健在だ。ごくりと唾を飲んだローゼは少し早い夕食を取り始める。たっぷりのソースを垂らさないようにしながら、冷めてもなお旨味あふれる肉を噛みしめていると、レオンの小さな声がした。


【なあ。少し気になってたんだ】

「ん?」

【どうしてお前はあの大神官の依頼を受けた?】


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