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6話 嬉しくはない邂逅

「んー。んんー。んんんー」


 パンを口に頬張ったままなので、ローゼの言葉はくぐもっている。


【なんだ? 分からん】


 レオンの声は呆れた調子だった。

 心の中で思うだけで通じるのなら楽だが、残念ながらそうはいかない。仕方なくローゼは口の中の物を飲み下してから肩をすくめる。


「それね。だって、どう考えてもおかしいからよ」


 ローゼがブロウズ大神官の話を聞いたとき、最初に気になったのは神殿騎士ジェラルドのことだ。

 ジェラルドが大神殿にいないのは、彼の所属する部隊が王都周辺の魔物を退治する任務に当たっているためだと聞いた。王都から馬で二日のこの町は十分に“王都周辺”と言えるだろう、それなのに神殿騎士が行ったという話はブロウズ大神官からは出なかった。

 ローゼは確かに聖剣の主だ。しかしまだ儀式を終えていない今は表立って動くことはない。もしもローゼに出番があるとすれば、大神殿に打つ手がなくなってからようやく、という程度の存在なのだ。


「なのに今回は最初っからあたしが出るしかないような状況だったでしょ? だから瘴穴しょうけつは無いだろうなーって思ってたんだよね」

【なんだと? じゃあなんでここまで来たんだ?】

「どう考えてもあたしに用がある感じだもん。誰がこんな呼び出しをしたのか気になって」

【馬鹿かお前は! どうしてわざわざ自分から罠に飛び込んでいくんだ!】


 レオンが声を荒げるのを聞きながら、ローゼはお茶をすする。


「どうせここで断っても、相手が納得しない限り次の手が来ると思うし。面倒なことはさっさと終わらせたいじゃない?」

【……お前な】

「あー。やっぱりお茶はフェリシアが淹れてくれた方が美味しいねぇ。今度コツを聞いてみようかな」


 返事はなかった。

 黙ってしまった聖剣をローゼは軽く叩く。


「まあ、明日は神官に報告をして、詳しい話を聞くから」


 返事に代わって深いため息だけが返って来た。



   *   *   *



 大神殿の心地良い寝台に慣れたローゼにとって、久しぶりの寝袋はかなり辛かった。辺りが白々とするまでなかなか寝付けず、そのため起きたときには想像以上に日が高くなっていた。


「うー……背中がガチガチだあ……」


 顔を顰めながら身体を伸ばしていると、レオンの声がする。


【起きたか、ローゼ。ちょっとあの背の高い草に聖剣を寄せてくれ】

「これ?」

【そう。――お、やっぱり痛み止めだ。なんだなんだ、向こうのは腹痛に効く薬じゃないか!】

「すごいの?」

【すごいぞ。昨日も思ったけど、この森は珍しい薬草がいっぱいあって! ……じゃない】


 四百年前に聖剣の主だったころ、レオンは神殿からの支給金をもらわず森の恵みなどを売って生計を立てていた。その癖がまだ抜け切れていないらしい。


【お、お前が全然起きないから、周りを見て暇つぶしをするしかなかったんだぞ。さっさと神殿へ行け】


 取り繕ったように付け加える彼がなんとなく可愛く思えて、ローゼは聖剣の柄を撫でる。


「ごめんごめん。じゃあ、行こうかね」


 とは言うものの、こうなってしまってはもう少し後の方がローゼにとって都合がいい。

 朝食として携帯用の味気ない食料を口に放り込み、レオンに文句を言われない程度にのんびりと片づけを終え、セラータに乗って町へ向かう。

 昨日同様の手続きを踏んだローゼは再び応接室で神官と対面することになった。小走りにやってきた彼女はローゼの全身に視線を走らせ、肩から力を抜いたあと、ようやく頭を下げた。


「聖剣の主様、ご無事で安堵いたしました」

「すみません。実は先ほどまで寝ずに瘴穴を探していたものですから」


 レオンが吹き出すのを無視してローゼは立ち上がり、座りかけていた神官を見据える。


「ですがやっぱり瘴穴は見つかりませんでした。神官様、本当のことを仰ってください。神官様は本当に、瘴穴があるとお思いなのですか?」

「な……それは……もちろん……」


 そう言って睨みつけてくるが、目に力はない。

 ローゼはさらにたたみかける。


「私は瘴穴が分かります。しかし昨日の昼過ぎから先ほどまで、寝ずに探し続けていましたが瘴穴は見つからなかったのです」

「ですが、ええと……そう、瘴穴が分かると言うのが、気のせいだということはありませんか」

「ありません」


 ローゼは神官の目を見ながら聖剣を抜き放ち、うやうやしく捧げ持つ。


「私は神にお会いし、聖剣を賜りました。そのとき瘴穴と瘴気が分かる力も与えられたのです」


 正確に言うならばその力を持っているのはレオンなのだが、レオンはローゼが持つ聖剣に宿っている。完全に嘘というわけではないから棒読みにはならない。


「この町の付近に瘴穴はありません」


 言いきって一歩踏み出す。神官が同じだけ後退あとずさった。


「神官様、もう一度お尋ねします。この町の付近に瘴穴はありますか。神より賜ったこの聖剣に誓って『ある』と言いきれますか?」

「あ、わ、私は……」


 ローゼはもう立ち止まっている。だが、神官はなおもずるずると後退った。


「私は……私は……」

「――そこまでだ」


 後ろから男の声が聞こえる。

 振り返ったローゼは腰の鞘に聖剣を戻しながら苦笑した。

 扉の近くには、モーリス・アレン大神官が立っていた。


「これはこれはアレン大神官様。お久しぶりです」


 言ってローゼはため息をつく。過剰なほどに大きく。


「そうじゃないかなーとは思ってたんですけど、予想通りすぎて驚きました」


 アレン大神官は「いかにも不愉快だ」と言いたげな様子で眉根を寄せると、部屋の奥に向けた顔をわずかに動かす。先ほどまでローゼと相対していた女性神官があたふたと退出した。その様子を見やり、アレン大神官はローゼの方へ一歩踏み出す。


「田舎娘がずいぶん生意気な口をきくようになったものだな。え?」

「おかげさまで鍛えていただきましたから。それにしても呼び出し方があまりに雑でしたよね、ただの手紙を使うなんて。鳥文とりぶみを使うと、皆に見られて計画がバレてしまうから避けたんですか? それともアレン大神官様は、なにか鳥文に嫌な思い出でもおありなんでしょうか?」


 ローゼが揶揄するような口調で問いかけると、アレン大神官は口の端を思い切り下げた。


 通常、神殿と大神殿とのやり取りには専用の鳥を使う。風雨に強い特殊な紙を使って手紙を書き、鳥の足に装着した筒の中に入れて飛ばすのだ。

 大神殿には鳥を管理する神官たちがおり、手紙は彼らがまず受け取る。そして届いた手紙は一定のあいだ閲覧室に掲示され、誰もが見られるようになっていた。私用連絡として使われないようにするためだ。


 鳥以外でのやりとりは時間がかかりすぎるためにほぼ使われない。せいぜいがどうしても長文の連絡が必要になったときくらいなのに、ブロウズ大神官が渡してきたのは、短文の割に通常の封書だった。こんなことはまずありえないのだが、村にいた頃のローゼならそれすらも分からなかっただろう。

 しかし今のローゼは違う。数日とはいえ大神殿を歩いて様々なことを見聞きしたうえ、フェリシアやミシェラから教えてもらった知識もあるのだ。


「さて、こんなところまで呼び出したご用件をおうかがいしたいのですが。……なんて言うつもりはありませんよ。どうせ、あたしが言った『瘴穴しょうけつが分かる』っていうのが嘘だと思ってたからでしょう?」


 アレン大神官は鼻を鳴らしただけで何も言わない。だが、表情から見るとローゼの言ったことはあながち間違いではなさそうだ。瘴穴が見えるというのが嘘なら良し、嘘でなくても、少々怖い目を見て怖気付いてくれたら儲けものといったところか。

 きっとブロウズ大神官も共犯で、この町の神官は巻き込まれただけということだろう。哀れな彼女は権力と真実の板挟みになってさぞ悩んだに違いない。


「でも、あたしが瘴穴を見える話に関しては、大神殿の見解として『正しい』とされたのだと聞いてますが」

「だからどうした?」


 尊大な態度で返すアレン大神官を見て、ローゼは思い至った。


「……そっか。あれは大神官の皆様による投票で決まった話でしたっけ」


 大神官は五人いる。意見が割れて収拾がつかない場合はこの五人で投票をおこない、正か否かを決めると聞いた。

 ローゼの能力に関する話は大神官三名が可としたので「正しい」というのが大神殿の意向になっている。

 ただし逆に言えば二名は否定したというわけだ。


「なるほど。否定の側に投票されたのは、アレン大神官とブロウズ大神官ですか」

「……瘴穴や瘴気が人間に見えるなど、そんな話は聞いたことがない。どうせお前に箔をつけるため、あいつが入れ知恵をしたのだろう」

「あいつ?」


 誰のことなのか分かっているが、あえてローゼは問い返す。この男が彼の名前をどんな顔で言うのか、ぜひ見てみたかった。


「決まっているだろうが。……アーヴィン・レスターだ」


 アレン大神官の顔は苦いものを飲み込んだかのように歪んだ。どうやら例の鳥文の一件ははずいぶんな痛手だったらしい。ふふ、と小さくローゼが笑うと腰の聖剣からは「お前、意地が悪いな」と声が聞こえるが、内容に反してとても楽しそうな響きをしていた。

 しかし意外にも目の前の男はすぐに立ち直ったようだ。


「だがな。いつまでも奴の庇護下にいられると思わない方が良いぞ」


 言いながらニヤリと嫌な笑みを浮かべるアレン大神官に対し、逆にローゼは苦笑する。


「アレン大神官様は何か勘違いをしておられるようですね」

「なんだと?」

「お忘れですか? あたしは聖剣の主です。もうただの村娘ではありません。今度はあたしが、神官を庇護する番になるんですよ」


 ローゼの視線を受けたアレン大神官は不機嫌そうに、あるいは気まずそうに小さく呻いた。

 序列で言えば聖剣の主は、神殿関係の最高位である大神殿長の下に位置する。神官よりもずっと上であることはもちろん、目の前にいるこの大神官よりも上の立場なのだ。 

 とはいえ聖剣の主とは完全に名ばかり。今のローゼはまだ村娘にすぎないと自分でも分かっている。今の言葉は権力に弱いこの大神官に対してのはったりだ。


「まあ、そんなことはどうでもいいです。ところで、いかがでしたか? 否定したはずのあたしの力は合格でしたか?」


 大神官はローゼの言葉を聞いて何か言いかける。 

 それより先に廊下を誰かが走る音が近づいてきて、勢いよく扉が開いた。


「見つけましたわ!」


 言葉と共に、白金の髪をなびかせた少女が部屋に飛び込んできた。遅れて、後ろから大柄な青年も現れる。


「いよう、ローゼちゃん。久しぶり」

「フェリシア。それにジェラルドさんも来てくれたんですね」


 今朝、ローゼがのんびりと町へ向かったのはこのためだ。ジェラルドは意外だったが、もしかしたらフェリシアが来てくれる可能性を考えていた。


「心配しましたのよ! でも、無事でよかったですわ!」

「ありがとう」

「なっ……ど、どうして王女殿下が」


 さすがにフェリシアのことは知っていたのだろう、アレン大神官が目を丸くする。その言葉を聞いたフェリシアがアレン大神官へと向き直り、ローゼとの間に立ちはだかった。


「わたくしはただの神殿騎士見習いですけれど、王女と呼ぶのでしたらそのようにいたしましょう」


 途端にローゼは目の間に立つ友人が、急に一回りも二回りも大きくなったように思えた。

 もちろん実際に大きくなったわけではない。彼女の空気が凛として気高いものとなったため、そのように感じられるだけだ。


「アストラン王国第六王女、フェリシア・エクランドが尋ねます。――モーリス・アレン大神官、儀式前の聖剣の主をこのようなところへ呼び出して何をしておりますの? 嘘偽りは許しませんわ。きちんと真実を述べなさい」


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