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7話 可と否

 フェリシアの言葉を受けたアレン大神官は、愛想笑いを浮かべながら少しずつ後ろの方、つまり扉の方へ下がる。


「私はですね。儀式の前に改めて確認をしておいたほうが良いかと思っただけでございますよ。ですから――」


 しかし完全に下がりきることはできなかったのは、そこにジェラルドが立っていたからだ。

 おっと、と言いながらおどけたように手を上げる大柄な神殿騎士を憎々しげに見上げ、アレン大神官はまた室内へ向き直る。その顔に髪がはりついていることにローゼは気がついた。きっと冷や汗のせいだ。その原因は、おそらく。


「つまりアレン大神官は大神殿の規定に疑念を持ち、ご自身の考えで勝手な振る舞いをなさったということですわね?」


 まったくそうと感じさせない小柄な少女の視線を一身に受け、アレン大神官は顔を青くさせる。


「とんでもございません」


 崩れるようにひざまずいた彼は、祈るかのように両手をにぎり合わせる。


「今回の件に関しましては、疑念を持った者がかなりおります。このままではいずれ大きな事件に発展する可能性すらあります。ですから彼らの不満を和らげるため、そして真実を探るためにも、私が動く必要があると判断いたしました。つまり私の行動はすべて、大神殿や神殿のためなのでございます」


 その言葉を聞いたフェリシアの気配が揺らぐ。それを見て取ったのだろう、アレン大神官は声をぐっと強くして続けた。


「私は皆の代弁をしているにすぎません。こちらの聖剣の主様にはご出身のみならず不可解なことがあると、多くの者が――」

「それ以上は許しません!」

「フェリシア」


 大神官の言葉を遮るように叫んだフェリシアの肩に手を置いてローゼは言う。


「ありがとう。でもね、大丈夫だよ。あたし知ってるから」

「ローゼ?」

「あのね。あたしは自分の噂のこと、知ってるの」

「な、何を言っていますの? アレン大神官のおっしゃることなんて、全部……」


 口ごもるフェリシアの言葉をさえぎるように、ローゼは言う。


「あたし、実は闇の王の手先なんじゃないかって言われてるでしょ。神々ですら騙せるんだってさ。すごいと思わない?」


 フェリシアが目を見開いた。一方で大神官はつまらなそうな表情を見せる。


「瘴穴が見えるっていうのも嘘なのよね。生まれ育ちが平凡だから、代わりの権威付けとしてあり得ない話をしてるの。……まあ、アーヴィンの入れ知恵っていうのは初耳だったけど」


 苦笑しながらローゼが言うと、アレン大神官はふいと横を向き、フェリシアはうつむいた。


 チェスターに会った翌日からローゼは大神殿を歩き始めた。そこで知ったのは「好意的な相手もいるが、そうでない相手はもっといる」ということだった。

 その半分くらいは「庶民のくせに聖剣の主だと?」といったような侮蔑をこめたものだ。しかしもう半分は侮蔑とは違う、しいて言うなら疑惑や警戒、そういった感じの視線を向けてきている。初めのうちはどうしてそんな表情をされるのかが分からなかったが、あちこちで囁かれる言葉を繋ぎ合わせた結果、ローゼはようやく皆の態度の理由が理解できたのだ。


「まぁ、気持ちは分からなくもないよね。ほとんど世に出たことも無い聖剣をもつ者が、全く聞いたこともないようなことを言い出したら、確かに怪しいもん」


 実を言えばグラス村を出る前、アーヴィンからはその点も指摘されていた。「皆からは後ろ指をさされるかもしれないよ」と。

 自身でもそれは分かっていたので、もう少し後にしようと考えていた。だけどローゼがすぐに「レオンのことは話さなくても、瘴気や瘴穴が見えることは明かしてしまおう」と決めたのは、やはり人間だったころのレオンを夢で見ていたからだ。

 レオンは死の間際、「聖剣が瘴穴を浄化できるのだと、誰かに伝えられたらいいのに」と思っていた。その彼の意思を継げるのは、十一振目の聖剣を継いだローゼしかいない。


「あたしは覚悟してたから大丈夫。今は実績がないからしょうがないけど、そのうち分かってもらえると思うから」


 ローゼが笑ってみせると、フェリシアは紫の瞳をうるませる。


「みんな、ひどいですわ。ローゼは闇の王の手先なんかじゃありません。瘴穴のことが分かるのだって本当ですのに。わたくしは一緒に戦ったから分かっています。……だって……」


 レオン様がいらっしゃいますもの、という声は小さくてローゼ以外には聞こえなかった。

 うつむいたフェリシアをそっと抱き寄せ、ローゼは扉の方に顔を向ける。大柄な神殿騎士はローゼと目が合って少し肩をすくめた。

 そのだいぶ下にある大神官の顔を見て、ローゼはため息をつく。


「とりあえずこれ以上はもういいでしょう? 『一応、嘘ではなかったらしい』ということを手土産にしてお帰りになりませんか」


 アレン大神官はじろりと睨みつけ、何かを言おうとする。しかし、


「今回のことは他の大神官方にも報告させていただきます。ああ、ご安心ください。ちゃんとブロウズ大神官の名前も出しますから、アレン大神官ひとりには罪を押し付けませんよ」


 と付け加えたところ、アレン大神官は小さく、


「……あいつが土壇場で翻意ほんいしなければ……」


 と言った気もしたが、結局はすごすごと立ち去って行った。

 しばらく待ってローゼはフェリシアから体を離し、扉の向こうを覗き込んでみる。もうアレン大神官の姿は見えない。


「帰りましたの?」

「うん、たぶん」


 もういちど左右を見まわしてから扉を閉めたローゼが室内に戻ると、フェリシアが頬を膨らませている。そこにいるのはもうアストラン王国第六王女ではない。ローゼが良く知る神殿騎士見習いのフェリシアだ。


「ローゼったらひどいですわ。一緒に行こうって言ってくだされば良かったですのに」

「さすがにそこまではお願いできなかったから。でも、来てくれてありがとう、フェリシア」


 フェリシアのところには経緯を説明した手紙と一緒に、ブロウズ大神官が町の名を書いたメモも残してきた。もしもローゼが「勝手に大神殿を抜け出した」と言われても、これらが何かの証拠になるかもしれないと考えたためだ。

 “王女”というフェリシアの立場を少しばかり利用させてもらった形になる。もしも彼女が不快な思いをしたら申し訳ないと思ったが、当の本人は不満そうな調子で「次はわたくしも誘ってくださいませね!」と言っているので、どうやら大丈夫なようだ。


「ジェラルドさんも、ありがとうございます。正直に言うと予想外でした」

「わたくしも予想外でしたわ。門を出たらお兄様の部隊がいるんですもの」

「俺も予想外だったぜ。任務が終わって大神殿に戻ったと思ったら逆戻りさせられるんだからなぁ。まあいいさ」


 そう言って彼は明るく笑う。


「でも、おかげで助かりました。扉のところにいたのは、アレン大神官が逃げないようにするためでしょう?」

「お、分かってくれてた? 嬉しいねぇ」

「あら、そうでしたの」

「おいおい、フェリシアちゃん……そりゃないぜ」


 途端にジェラルドが情けない顔をするので、ローゼはつい吹き出してしまった。



   *   *   *



「本当に、申し訳ありませんでした!」


 町の若い女性神官はそう言って何度も何度も頭を下げた。

 とはいえ無理に加担させられた彼女も被害者だ。

 そう判断したローゼは特に追及をしなかったし、フェリシアも少々不服そうにしながらもうなずく。


「仕方ありませんわ。その分、大神殿へ戻ったらアレン大神官を糾弾して差し上げます!」


 だが、残念ながらそれはできなかった。


 ローゼたちが王都へ戻るとこの件は終了扱いとなっており、「蒸し返さないで欲しい」と大神殿側に頼まれたからだ。

 それでも「当事者に何の説明もないのは何事か」と食い下がり、ようやくアレン大神官とブロウズ大神官のふたりによる個人的な行動だったことだけ教えてもらえた。逆に言えば教えてもらえたのはそれだけだった。

 不満は残るが、代わりに大神殿への貸しという形になったようなので、ローゼは不承不承うなずく。いずれ何かの時に切り札として使えるかもしれない。


 フェリシアとジェラルドも「ローゼが良いというなら」と首を縦に振った。

 口止め料というわけではないだろうが、今回の往復にかかった日数分は任務扱いとなり、ジェラルドは改めて休暇がもらえることになったようだ。


「可愛い子ふたりと一緒に旅した上に休暇がもらえて、俺、役得!」


 晴れやかに叫ぶジェラルドの横ではフェリシアが対照的に渋い顔をしている。

 彼女も今回は実習扱いとなっており、補習などはない。

 どうしてだろう、と思ったローゼはふと気がつく。フェリシアは手の中の書面をみながら幾度もため息をついているのだ。

 湧き上がって来た嫌な予感を抑えながらこっそりその書面を覗き込むと、紙の一番上には『ローゼの歩き方練習予定表』と書いてある。


「この予定は削るしかありませんわね。こちらの時間は短縮して……もう! アレン大神官のせいで予定が大幅に狂ってしまいましたわ!」


 隙間が無いほどに書き込まれた書面を見ながら、ローゼは初めてアレン大神官に感謝をした。


 聖剣の主に任命される儀式の日が近づくにつれて、徐々に皆からの応援の声が大きくなってきた。それはローゼが大神殿で少しずつ交流を続けてきた結果なのかもしれないし、ジェラルドや、元グラス村神官のミシェラといった人々のおかげかもしれない。

 中でも一番応援してくれたフェリシアだが、彼女はこの儀式に出られないそうだ。


「見習いたちには参加権がありませんの。代わりに王宮のお披露目会には参りますから、そこでお会いしましょう。――大丈夫ですわ、ローゼ。自信を持ってくださいませ。歩き方はまったく問題がありませんもの!」


 途端に厳しい練習の日々が頭の中を駆け巡り、虚ろな目になるローゼだった。



   *   *   *



 ジェラルドはというと、儀式を護衛する際の神殿騎士として任命されたらしい。

 以前からの知り合いがひとりでも参加してくれるのはローゼも心強い。

 フェリシアだけでなく、ミシェラも儀式には出られないというのだ。


「儀式の日はとても大事な用事があるの。ローゼの晴れ姿を見られないのは残念だけれど、素晴らしい日になるよう心から祈っているわ」


 そう書かれた手紙を受け取ってからは、ミシェラの姿さえ見かけなくなっている。


 広い大神殿の中には仕事もたくさんあるだろう。そもそもミシェラは神官見習いたちの教師をしているのだから、ローゼひとりにかまけていられないのも分かる。

 しかし、いかに味方が増えたとはいえこの広い大神殿の中でローゼが心許せる存在は少ない。その数少ないひとりと会えなくなるのは、やはりとても寂しかった。


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