何度も手順書を読み、時間をかけて準備して、ようやく始まった『聖剣の主・任命の儀式』。正直に言うとローゼはこの儀式に全く集中できなかった。
理由はレオンだ。
それまで静かだった彼は、ローゼが大聖堂の中へ進むと、奇妙なほど明るい声でひたすらしゃべり続けたのだ。
【俺の時よりも参加人数が多い気がするな。これは何人ぐらいいるんだ? いち、に、さん……まあ数える意味はないか】
【む、あの神殿騎士のマント、ちょっと外れかけてるな。けしからんぞ】
【扉は開きっぱなしか。晴れてる日で良かったな、ローゼ】
おそらく彼も緊張しているのだと思うが、こんなにどうでも良い内容ばかり言われてはせっかくの荘厳な儀式が台無しだ。
あげく、
【お、あいつ頭頂部がハゲてる。ローゼの格好は結構なキラキラだが、あいつもかなりのキラキラだぞ】
などと言い出すのだから、ローゼは聖剣をその場で踏みつけてやりたい衝動にかられた。
しかしさすがに儀式の要となる部分、『渡された聖剣を捧げ持つ大神殿長が、祭壇で聖なる言葉を唱える』辺りではレオンも黙っている。
この厳粛な空気の中ではさすがの彼も喋る気をなくしたのだろう、と胸をなでおろしたローゼは、ようやく訪れた静寂の中で宣誓の言葉を述べる。
しかしそのあとが悪かった。大神殿長が激励の言葉と共に聖剣を返してくれたのだが、途端にレオンは、
【……見たかローゼ、俺はこの場で一番輝いていた……この儀式の真の主役は俺だったんだ……!】
と、震えた声で囁くと、またしてもなんやかやと騒ぎ始めたのだ。
長い袖の下で拳を握りしめたローゼは「この聖剣ものすごくウルサイのでいりません」と言いおいて帰るべきかどうかを真面目に悩んだのだった。
* * *
控室に戻ってきたローゼは椅子に座ってため息をついた。
夕方からは王宮で『お披露目会』という名の舞踏会が開催される。夜中に終わるというその会が終わるまで、ローゼはこの格好でいなくてはならないらしい。
「まだ昼にもならないんだし、一回脱いじゃ駄目なのかなあ」
【もう一度湯浴みからしたいのならいいんじゃないか。そんで『自分でやる』とか『そこ触らないで』とか、ギャーギャーうるさい声をまた響かせればいいだろ】
レオンの声は低く、物言いはぞんざいだ。どうやら儀式のあいだのお喋りにローゼが文句を言ったせいでへそを曲げたらしい。レオン曰くそれは「お前の緊張をほぐすための好意」だったらしいのだが、ローゼとしてはあんな好意などいらなかった。
「……ふーん。風呂に聞き耳を立てるなんて、レオンって案外いやらしいんだー」
【なんだそれは! 俺だって聞きたくて聞いたわけじゃないぞ!】
「どうだかねー」
やや険悪な雰囲気になりかけた会話を中断させたのは、扉を叩く音だ。ローゼが返事をするが扉は開かない。
なんだか儀式の前にもこんなことあったなと苦笑しつつ、椅子から立ち上がったローゼが自分で扉を開くと、廊下にいたのはふたりの人物だった。
ひとりは
もうひとりは草色の瞳と、濃い灰色の髪を持つ、口ひげが厳めしい五十代初めくらいの男性。
立派な体躯を持つふたりが身につけているのは銀糸が眩しい白のローブだ。
ローゼは思わず自分の姿に目を落とした。同じ衣装で間違いない。だとすれば、このふたりは。
(……聖剣の主……)
そういえば先ほどの儀式の際に見た記憶がある。彼らは大神殿長の脇に立っていた。
「失礼いたしました。どうぞ、中へ」
鼓動が早くなるのを感じながらローゼは大きく扉を開き、促す。男性ふたりは目配せをして中に入った。
(千年の歴史を持つ家の、本物の、聖剣の主……。なんだろう。あたしに、何を言いに来たんだろう)
扉を閉めたローゼは乾いた唇をほんの少し――
「初めまして、ローゼ・ファラーです。お会いできて光栄です」
ふたりのうち、先に口を開いたのは四十代半ばの男性だった。
「マティアス・ブレインフォードです。よろしくお願いします」
次に、五十代初めと思しき男性が軽く頭を下げた。
「スティーブ・セヴァリーだ。お初にお目にかかる。ところで、それが君の聖剣かね」
「はい」
スティーブが手を出すので、ローゼは腰から聖剣を取って鞘ごと渡した。抜きはらった聖剣を陽に輝かせながらスティーブが呟く。
「ふむ。我々のものより短いな。
横からマティアスもローゼの聖剣を眺め、うなずいた。
「ああ、でも
「そのようだ。ならば……」
スティーブがマティアスに聖剣を渡す。今度はマティアスがしげしげと聖剣を見つめ、またスティーブに。それぞれが心行くまで眺め終えたのだろう、鞘に入った聖剣はようやくローゼの元に戻って来た。
【……悪かったな、ローゼ。湯浴みやらなんやらされたお前の気分が少しだけ分かったぞ】
「さて。よければ聖剣を受け取った時の状況を聞かせてもらえますか?」
よければ、と前置きをしている割に有無を言わさぬ響きがあって、ローゼは引き込まれたかのようにうなずいた。
「はい。あの……神の像が輝いたかと思うと、声が聞こえて、目の前に聖剣が置かれていました」
かいつまんで話すと、ふたりの聖剣の主は互いに目で合図をした。
「君はひとりで
「そうです」
「中は暗くありませんでしたか?」
「壁が光っていたので、ほんのり明るかったです」
「道はどうだった」
「白い石で、思ったより歩きやすくて……」
なぜか彼らは古の聖窟内の構造や受け渡しの状況なども細部にわたって尋ねてくる。そのうちローゼは尋問されているような気分になってきた。
「剣をくだされた神はどなたでしたか」
「ティファレト神です」
そこでやっと質問が終わる。
ふたりの男性はまたしても目配せをすると、ローゼの方を向いて笑みを浮かべた。
「色々と質問して悪かったな。少し確認をさせてもらいたかったのだ」
スティーブに言われ、いいえ、と答えてローゼは首を横に振る。
正直に言えば
「さて。君は年上と年下どちらが好みかね?」
「はい、それはですね……………………は?」
てっきり
「男性の好みですよ。あなたは十七歳でしたね、もしかして既に将来を誓い合った相手がいますか?」
「え? い、いえ、いませんけど」
「結構」
聖剣と男性の好みは一体何の関係があるのだろう。ローゼが目を瞬かせていると、スティーブが言葉を続ける。
「我々、つまりアストラン王国の
アストラン王国で聖剣を持つのはブレインフォード家とセヴァリー家だ。この二つの家の祖となった最初の聖剣の主は元からの友人同士だったので、今でも二家は昔から共同で何かを行うことが多いそうだ。
その
「これなら宿屋や神殿に泊まらずに済みますからね」
とマティアスは笑うが、短い期間なら宿や神殿に泊まった方が安いし便利だ。この話を聞くだけでもローゼは、今までの年月この二家がどれほど各地を巡ってきたか垣間見えるような気がした。――そしてこれからも。聖剣がある限り、彼らの一族はこの地を巡り続けるのだろう。
「今までは二家だったので良かったのですが、新しい聖剣の主が誕生しましたからね。スティーブと話し合った結果、どちらかの家であなたを
「えっ、娶……っ?」
「幸いどちらの親族にも年齢の釣り合いそうな者が複数いる。君に男性の好みが特にないというのであれば、今夜の王宮で――」
「あ、あの、すみません!」
どんどん進みそうな話を、ローゼはあわてて止める。
「お話が急すぎて、私、どうしていいのか」
「君が何かする必要はない。すべて我々に任せていればいいのだよ」
「ですが」
なにを話せば良いのか分からずに思考が空回りする。とにかくこの場を押しとどめなければズルズルと流されてしまいそうだ。
「私のような者を迎え入れても良いと言ってくださるのは光栄ですが、あの、ええと……そう、私は一代限りの聖剣の主なんです」
「どういうことですか?」
「この聖剣は私の子孫ではなく、全く別の誰かが受け継ぐことになります。ですから、お家に入れていただくには及びません」
それを聞いて男性ふたりは顔を見合わせる。
「現在のところ、君が聖剣の主なことには変わりないね? 途中で交代するつもりもないのだろう?」
「それはありませんが……」
「ならば問題はない。では、相手に関してだが――」
「ちょ、ちょっとお待ちください。とにかく、急に結婚なんて言われても、困ります!」
言いながらローゼは無意識に右手で左手首の飾りを探り、その中で輝く銀色の鎖を握る。
「それに今の私は、いただいた大役のことで頭がいっぱいなんです。結婚相手のことまで……考えてる、余裕は……」
ローゼの言葉を聞いて、マティアスはうなずいた。
「一理ありますね。ではこうしましょう。相手になるであろう人物を、ひとまず
「おお、それは良い案だな。彼らも喜ぶだろう」
「喜ぶ……」
聖剣の主だってひとり旅をすることはない。望んでひとりにならない限りは随伴者を連れて複数で旅をする。とは、ローゼも本で読んだ話だ。
聖剣の主と共に行くのは“次の代に聖剣を手にするかもしれない者たち”。つまりは今の聖剣の主の血縁者たち。彼らは未来のことを考え、早いうちから経験を積んでおくらしい。
現在の
これらの判断を誰がするのかは分からない。天から神が見ているのかもしれないし、地にある聖剣が力を測っているのかもしれない。
いずれにせよ名が挙げられるのは毎回三名~十名、聖剣を持つ一族の中でも特に鍛錬を積んで一定以上の力量を持つ者たちだ。指名された者たちは吉日を選定して剣術の試合を行う。そして勝ち数の最も多い人物こそが、次の聖剣の主だ。
ローゼの夫候補となった者が「喜ぶ」のは、より多くの旅に出られてさらなる経験を積めるから。きっとそういうことだろう。
(この二家は――)
本当に、聖剣の主として存在するためだけにある。
違いすぎる歴史と覚悟にローゼが気おくれしているうち、夜のお披露目会でローゼの旅に随伴する者、つまりは将来ローゼの夫になるかもしれない者を選ぶ話は決定事項となってしまっていた。