ローゼは椅子に座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。目の前の机の上には昼食が置いてある。ふたりの聖剣の主が出て行ったあと、神官が届けてくれたのだ。
【これから大神殿内での挨拶があるんだろ? 忙しいんだから今のうちに食っておけ】
「うん……」
レオンに言われてローゼは食事に向き直る。
先ほどまで部屋の中に良い香りを漂わせていた肉はこんがりと焼かれており、鮮やかな野菜の色どりもいい。それらが小さく切られて皿に載せられているのはきっと「化粧がなるべく落ちないように、食べやすく」との心遣いだ。手をつけなかったせいですっかり冷めているが、こんな風に心遣いをしてくれている料理が美味しくないはずはない。しかし今のローゼは何を口に入れても味を感じなかった。
「あたし、どうしよう……」
もちろん、聖剣の二家が紹介するという男性についての話だ。
【お前はどうしたいんだ】
逆にレオンに問われたローゼは食べる手を止めて答える。
「どうしたいんだろう。あたしも、分かんないなぁ……」
ブレインフォード家もセヴァリー家も、千年ものあいだ聖剣の主を輩出してきた家だ。今まで積み重ねてきたものの量はローゼが想像もできないほど多いに違いない。それは知識も財産も人脈も含めたなにもかもだ。そこに迎え入れてもらえるのなら、ローゼのこれからの旅は格段にやりやすくなる。
それに、随伴の人物だって人となりは申し分ない人物のはずだ。なにしろ聖剣の主が自信を持って推薦してくる『夫候補』なのだから。
【まずは会ってみて、興味がわいたら一緒に行くってのはどうだ。気に入らなければ断ればいいだろ】
「それはそうなんだけど、なんていうか……うん、会うっていうのが既に気が重いんだよね。ほら、ふたつの家があるのに、どっちかしか選べないでしょ? 選ばれなかった家のことを考えると申し訳ないからだと思うの」
【……本当にそういう理由か?】
探るように低くなったレオンの声を聞いて、ローゼは眉をひそめる。
「どういうこと?」
開いた窓から吹き込んできた風が髪を一筋ふわりと揺らす。ローゼが左手でかきあげると、手首の
【いや、別に。なんとなく聞いただけだ】
* * *
大神殿内での挨拶回りが終わると次は王宮へ向かう。その前にまた女性神官たちがやってきて、ローゼの身支度を整えてくれた。
着ている衣装は同じなのだが、化粧は少し強めにし、装飾品は明るめのものへ変更になった。改めて結い直した髪もリボンや色石などを使って華やかな雰囲気にしてある。このあたりにも儀式とは違う空気感が漂っていて、本来なら心浮き立つところなのだろう。
しかし、ローゼの気持ちは相変わらず沈んだままだ。
満足そうな笑顔で送り出してくれる神官たちの前ではなんとか笑っていたが、専用の輿に乗り込んでひとりになるとローゼはこっそりため息をついた。
王宮がある場所は王都アストラのほぼ中央だ。
王都の東側一帯は大神殿が占めているので、王宮の東端と大神殿の西端は接していることになる。壮麗な門のこちらが大神殿、向こうが王宮というわけだ。門の下には専用の道が通っており、そこをローゼの乗った輿が進む。
前に六人、後ろを六人の神殿騎士が担ぐ輿のさらに前後には、大勢の神官や神殿騎士が徒歩で随従する。慣例に則ったものとはいえ、少し前まで単なる村娘だったローゼにとっては居心地悪いことこの上ない。
「これ、帰りも同じことされるんだよね」
周囲に聞かれないように小さな声で話すと、つられたかのように小さめの声でレオンが答える。
【そうだろうな】
「……やだなぁ」
王宮に着いたら最初に国王と謁見する。これは着任の挨拶をする程度で終わるので、その後は交流目的の『お披露目会』こと舞踏会になるのだと聞いていた。
お披露目会は神殿関連行事の一環ということもあり、貴族だけでなく神官や神殿騎士も参加する。ただし見習いたちは参加できないので、フェリシアは神殿関係者ではなく王族として参加するそうだ。
今日と言う日に向けて一番応援してくれたフェリシアに会えるのは嬉しい。だけどお披露目会では、ローゼにとって何より気が重い出来事が待っている。
「あの場で断っておけば良かった……」
聖剣の主ふたりとのやりとりを思い出しながらローゼはもう一度ため息をついた。
ふたりに圧倒されているうち話がまとまってしまったのが悔しいし、仕方ないとはいえ圧倒されてしまった自分が情けない。
(あたし、お披露目会でも同じように押し切られるのかも。そうしたら誰かと一緒に行くことになって……そのままずるずると結婚して……)
重い気持ちのままうつむいていると、相変わらずヒソヒソとレオンが声をかけてくる。
【そういえば、あいつは参加するのか】
「参加するって言ってたのはレオンも聞いたでしょ。でも、あいつなんて。フェリシアに対してそんな言い方ひどくない?」
【そっちじゃない。お前に銀の飾りをくれたあいつだ】
「ああ」
ローゼは馬車に乗る際、後方に見かけた褐色の髪を思い出す。
「アーヴィンなら来てると思うけど」
【そうか】
しばらく間が空く。
次に聞こえたレオンの声は大きかった。まるで何かの意を決したかのようだ。
【ローゼ、頼みがある】
* * *
王宮に到着したローゼはまず、国王がいる場所へ向かう。
案内の人々に先導されて謁見の間の前に行くと名が呼ばれ、大きな扉が開いた。居並ぶ騎士や貴族の中を何も考えないようにして歩き、ローゼは国王の前に進み出る。
王の左右には王子や王女、王妃らしき女性たちが並んでいるのでフェリシアを探したい気もするが、さすがにそちらへ目を向けるだけの余裕などない。ローゼは玉座の前で膝をつき、予め覚えてきた挨拶をする。あとは王から形式通りの答えが返ってくるだけ。驚くほどあっさり謁見は終わってローゼは室内から退出した。ここへ来る前にさんざん言っておいたおかげで、レオンは最後まで静かだった。
とにかくこれで気が張る一連の流れは終わった。次は大広間での舞踏会が始まる。
神殿から来た面々と共に大広間へ入り、途端にローゼは目がくらむ思いがした。
(なにこれ……!)
奥も幅もどのくらいあるのか分からないほどの大きな広間の壁は深い紅色をしていて、あちこちに黄金で華麗な装飾がなされている。大きな窓には海老茶のカーテンが掛けられているけれど、これは昼ならばきっと開け放されて広間を多くの光で照らすのだろう。夜も近い今は天の陽に代わり、天井からつるされた華やかな明かりが眩い光を投げかけていた。その天井に描かれているのは神話を題材とした絵だ。
床で複雑な紋様を形作っているのはさまざまな種類の石、大勢の貴族たちが身につけているのは色とりどりの衣装や輝く宝石、あちらこちらの大きな花瓶には抱えきれないほどの鮮やかな花が。端では楽隊が優雅な曲を奏でている。
大神殿も豪華だったが、青と白の多い場所だったのでまだ慣れやすかった。しかしこの華やかな王宮は完全に別世界だ。村娘が居て良い場所ではない。
「帰っちゃ駄目かな」
完全に気おくれしたローゼが小さく呟くと、四百年前に苦い思いをした先輩は暗い声で答える。
【気持ちは分かる】
神殿の一団が弾む足取りで思い思いに散っていく。ローゼは左右を見まわしたあと、こそこそと壁際へ移動しようとしたのだが、その先にマティアスとスティーブを見つけて足を止めた。彼らはどうやらローゼを探しているようだ。
慌てて反対側へ移動しようとすると今度はアレン大神官がいた。目が合った彼はまるで
(あれが大神官って呼ばれる人の顔かねぇ、まったく)
そう思って顔をそむけようとしたローゼだが、アレン大神官の近くにいる人物を目にして動きを止める。
「……えぇ?」
そこにいたのは若く美しい貴族の女性で、本来なら特になんとも思わない。
しかし意外なことに彼女は、真っ白なドレスを着用していたのだ。
白と青は神殿の基調色になっている。
だから人々は礼儀として、白だけ、青だけ、といったものは身につけない。せいぜいが結婚式のときに白い衣装を着るくらいだ。
(なのに舞踏会で白いドレス? 変なの)
ローゼが内心で首をかしげるのと同様に彼女は周囲からも不審な目をむけられているのだが、一向に気にする様子はない。近くにいるアレン大神官が何かを言っている様子も無いし、もしかすると神殿側としては礼儀など別に構わないということなのだろうか。
そこまで考えて、いや、とローゼは首を振る。
どうでも良い人物にかまけている余裕はない。少しでも早く身を隠す場所を探さなくてはいけないのだ。
良さそうな場所を探して再び移動しようとしたローゼだったが、背後から突然誰かが抱き着いてくる。
「ローゼ! 素敵素敵素敵、本当に素敵ですわ! 女神様もかくやと思うほどで、わたくし、本当に誇らしくて!」
「……フェリシア……」
歓声を上げるフェリシアに周囲の人々が注目する。マティアスとスティーブもこちらに気が付いたようで、ローゼは思わず天を仰いだ。
「歩き方もとっても素敵でしたわ。差し上げたローブできちんと自習もしましたのね。最後に見た時よりずっと良かったですもの。いいえ、隠しても無駄です。わたくしには分かりますわ!」
頬を紅潮させるフェリシアには一点の嫌味もない。彼女は彼女なりにずっと、今日のローゼを案じてくれていたのだ。
「ありがとう。フェリシアもすごく可愛いね。そのドレスよく似合ってるよ」
いくつも段のあるふんわりとした淡い紫色のドレスはまるで花のようで、フェリシアの方こそ春の女神のようだ。心からそう思ったので言ったというのに、なぜかフェリシアは眉をひそめる。
「どうしましたの、ローゼ。元気がありませんわね」
「あー……うん……」
目の端にとらえた聖剣の主ふたりはローゼの方をしっかりと見ている。彼ら動かないのは王女に遠慮しているためだろう。しかしフェリシアが離れたらすぐに動くに違いない。――側にいる若い男性六人を連れて。
ローゼの頭を「お披露目会のあいだ、ずっとフェリシアに一緒にいてもらおうか」との考えがよぎる。事情を話せばきっとフェリシアは理解してくれるだろうと思ったし、実際に聖剣の主に会ってから今までのことを聞かせると、彼女は紫の瞳を揺らめかせながら言ってくれた。
「ローゼのお役に立つのでしたら、わたくし、ずっと行動を共に致しますわよ?」
「……ううん」
だけど迷ってその案を取り消したのは、今が駄目でも次の機会を狙うだろうと思ったからだ。
「なんとか頑張って、断ってみる」
「ローゼ……」
わずかにうつむいたフェリシアだったが、すぐに顔をあげる。
「では、わたくしに何かお手伝いできることはありますかしら?」
「あ、うん」
ローゼは聖剣を鞘ごとフェリシアに差し出す。
「これをアーヴィンに渡してほしいの。そのとき『周りの人たちからは見えないように、でも聖剣を完全に隠したりはせずに持ってて』って伝えてくれる?」
「どうしてそのようなことをなさいますの?」
「分かんない。あたしもレオンに頼まれただけだから」
「まあ、レオン様は何をなさるおつもりかしら? でも分かりましたわ、お任せくださいな。わたくし、必ず任務を遂行してみせますわよ」
フェリシアは聖剣をドレスに隠し、
「そこのお前」
凛として美しい声に含まれているものは棘ばかり。不快な気持ちを抑えて振り返ると、立っていたのは例の白いドレスを着た女性だった。年齢は二十代前半、きつい顔立ちの美女だ。
呼びかけた割に彼女は何を言うでもない。ローゼのことを上から下まで眺めると、ぷいとそっぽを向いてそのまま人に紛れてしまった。
「何だろうね、今の人。嫌な感じ」
むっとしながら呟いても何の返事もない。
(……そっか。今、聖剣は手元にないんだ)
うるさいときもあるが、いなければいないでなんだか寂しい。少し複雑な心境になるローゼの前に立ったのは、
「こんばんは、ローゼ嬢」
「さあ、約束の話をしようではないか」
今度こそ、八人の男性たちだった。