レオンは、自分の選択が本当に正しかったのかどうかをまだ悩んでいた。
あの聖剣の主たちにレオンの声は聞こえない。話し合いを邪魔することはできないが、ローゼの隣にいて、意見を肯定して、支えになってやることくらいはできたはず。だけどローゼが聖剣の主や夫候補たちに囲まれてる今、レオンはこんな離れた場所にいる。あの娘はひとりで頑張れるのだろうか。八人の男たちに押されて早々に折れて、悔いを続ける結果になりはしないだろうか。
もしかすると、とレオンは傍らを見て思う。
アーヴィンも同じような気持ちなのかもしれない。人々が集う辺りからひとり離れた彼は壁際に立ち、じっとローゼの様子をうかがっている。
そこまで考えて、いや、とレオンは思い返した。
アーヴィンがひとりでいるのはレオンのせいなのかもしれない。
ローゼの聖剣は今、アーヴィンの手にある。「どうしてこんなものを持っているのだ」と質問攻めにあうのは目に見えているのだから、人の輪になど入れないだろう。
(……交流をしたかったのならすまん。だけど、俺では無理なんだ……)
罪悪感を覚えながら今後についてレオンが思案していると、「よう」という朗らかな声がする。
「こんなとこにいたのか」
グラスを片手に現れたのはジェラルドだ。
アーヴィンは彼の方へちらりと視線を向けたものの、何も言わずにまた顔を元の場所へ戻す。
友人の素っ気ない態度には何も感じなかったらしいジェラルドだが、聖剣がここにある事実には困惑したようだ。
「なあ、どうしてお前がローゼちゃんの聖剣を持ってんだ?」
アーヴィンには聖剣を完全に覆わないようにしてもらっている。そうでないとレオンの視界が遮られてしまうからだ。いくらアーヴィンが袖で隠す努力をしていても、聖剣から外が見える以上は、外から聖剣が見えてしまうのだって道理だった。
一方でローゼはうまく腰の辺りを隠しているらしい。聖剣を持っていないのだと近くの男性たちは気づいていないようだ。
「先ほどフェリシア様が持っていらしたのですよ。少しのあいだ預かっていてほしいそうです」
「へー。なんでだ?」
「分かりません」
「ふーん。まあ、なんかあるんだろうなあ」
ジェラルドの返事はそれで終わりだった。深く考えない彼の性格はこういうときに幸いするのだとレオンは理解した。
グラスの中身をちびりと口にしたジェラルドは、正面に顔を向けたまま壁によりかかる。
「しかしお前、王都に来ていいのか? その……避けてたんだろ?」
「別に避けていません。王都まで来る用事がなかっただけです」
「だけどよ……」
手にしたグラスを揺すって中身に波を立てながらジェラルドは口ごもる。
アーヴィンは低い声で応じた。
「今回の用事は終わりました。明日の朝、グラス村へ発ちます」
「それまでにもしウッカリ会ったらどうすんだ」
「私の運命だったということで諦めますよ」
「お前……」
「ずいぶん心配しますね」
アーヴィンはようやくジェラルドの方へ顔を向けた。
「あの人たちは今の王都になんて来ませんよ。何しろ神殿の行事で大賑わいなのですから」
「そっか。確かに。……うん、そうかもしれねぇな」
安心したようにジェラルドが笑うと、ほんのり口の端を上げたアーヴィンはまた顔を右側に向ける。レオンも合わせて右を見て、困ったことになった、と思った。
先ほどまでローゼはもう少し大広間の中央寄りにいたはずなのだが、今は完全に壁を背にしている。ずいぶんと押されてしまったのだ。それはローゼの心の中を現すのに十分な光景のような気がした。
「なんだ、何を見てんのかと思ったらローゼちゃんか。おお、聖剣の主が揃い踏み……。ん? 聖剣の当主と一緒にいる連中は見覚えがあるな。あそこン
【聖剣の主ふたりは今日の儀式が終わったあと、ローゼの控室に来た。どっちかの家にローゼを嫁として迎えたいらしい。あの六人の男が夫候補だ】
「……不愉快な」
「なんか言ったか?」
「いいえ、何も」
「そっか」
会場の人々も主役であるローゼを気にしているようだが、聖剣の主たちが集まっている以上は近寄るのが
「せっかくの舞踏会だってのに、あれじゃローゼちゃん何もできねぇよな。まぁ新しい聖剣の主が誕生したわけだし、聖剣の二家がローゼちゃんのことを気にするのもしょうがねぇのかもなあ」
【ローゼはな、自分が未熟で無力だと思ってる分、周囲の期待を裏切らないようにしたいと思ってるんだ】
「まだ聖剣の主に成り立てなんですよ。そこまで必死にならなくても良いのに」
「そうか? 聖剣を持つもの同士、やっぱり気になるだろ」
朝方とはうってかわって、ローゼはきっぱりと断ろうとしているようだ。身振りからその様子が伝わってくる。しかし状況は不利なのだろう、表情は芳しくない。
【……それは今の話でも例外じゃない。しかも今のあいつは二家の歴史を知って覚悟の違いにひるんでいるというか、気を呑まれてる状態なんだ。だからこのままひとりだと間違いなく押し切られる。舞踏会が終わる頃のあいつには、きっと婚約者ができてるだろうよ】
「ところでさ。こんなとこにいるくらいなら女の子に声かけてきてくれないか? お前が誘えば女の子たちは断らないと思うんだ」
その事実は悔しいけど、とぼやく声が、アーヴィンの深く息を吐く音と重なる。
「……どうしてあなたは私のところに来たんです?」
「なんだよ、聞いてなかったのか? だから俺はお前に、誰か女の子をだな」
【俺はお前に頼みに来たんだ。ローゼを助けてやってくれ】
少しのあいだ目を伏せたあと、アーヴィンは顔をあげる。
「ジェラルド」
「ん?」
「私は行きます」
やった、と叫びかけたジェラルドを制し、アーヴィンは言い放つ。
「女性と話がしたいなら、あなたも自分で声をかけなさい」
「おいおい、そりゃないぜ!」
そうしてアーヴィンはレオンを連れ、迷いのない足取りで大広間を進む。
* * *
ローゼは持てる限りの言葉を使ってマティアスとスティーブに断りを申し出た。しかしふたりは全く取り合ってくれない。自分たちの考えに絶対の自信を持っているらしい彼らは、聖剣の主になったばかり娘の言うことなど最初から聞くつもりなど無いようだ。
それでも必死に抵抗を繰り返していたローゼだが、気がつくと背に壁が当たる。先ほどまではもっと中央近くにいたはずなのに少しずつ押されてこんなところまで来てしまったらしい。
背に汗が流れる。髪が首筋に張り付く。心には少しずつ「もう彼らの言う通りでいいんじゃないか」という気持ちが湧き上がってくる。そんな弱気になる自分を叱咤しながら、下を向きそうになる顔を上げ続けていると、不意に青いものが視界を遮った。それが神官の青い衣だと分かったのは、穏やかな声が耳に届いたからだ。
「本日の主役をいつまで独占なさるおつもりですか? そろそろ譲っていただきたいのですが」
ローゼとマティアスたちとの間にアーヴィンが割って入ったのだ。
彼はそっと後ろへ手を回す。そこにあった聖剣を受け取り、ローゼはぎゅっと握りしめた。
【よく頑張ったな】
レオンの優しい声を聞いて安堵のあまり泣きそうになるのを、ローゼは唇を噛んで堪えた。
「お前が何者かは知らんが邪魔をするな。これは聖剣の主たちの話し合いだ」
「話し合いでしたか。これは失礼しました。私には威圧しているようにしか見えなかったものですから」
「なんだと、貴様」
聖剣の主ふたりが色めき立つ。ローゼは一歩、進み出た。
「話し合いだとおっしゃるなら、どうか私の意見も聞いてください。先ほどから何度も申し上げている通り、私は今回のお話はお断りしたいと思っています。……朝にきちんと言えず、ご足労をおかけしたのは本当に申し訳ありません」
聖剣を持ったまま、ローゼは丁寧に頭を下げる。
「私はまだ世の中を知りません。まずは色々なものを見てから、自分の目で判断したいと思ってるんです。どうか私にも時間をください」
「それが不要だと言っているのですよ、ローゼ嬢。我々には積み上げてきたものがあります。それらはあなたが役目を果たす上で、大いに手助けとなりますよ」
「ですから……」
ああ、まただ、とローゼは泣きたくなる。
先ほどからこの調子でまったく意見を聞いてもらえないのだ。ここから聖剣の主ふたりは矢継ぎ早に意見を繰り出し、またしてもローゼはやりこめられてしまうだろう。
しかし今回はこれまでと違った。ローゼの横から穏やかな声が述べたのだ。
「なるほど、やはり話し合いではないようですね」
「なんだと?」
「彼女はあなた方の提案をお断りしているようですが」
目障りな神官を睨みつけながら、スティーブが口を開く。
「そこの娘は人生経験が浅い。ましてや魔物討伐に関する経験など皆無に等しい。我らがそれを導こうと言っているのだ」
「その通りです。我々の言うことを聞けば労せず役目を果たすことが出来ますよ。すぐ一人前になれるわけではありませんが、飛躍的に伸びることはできます」
「わ、私はっ」
ローゼの声は今までと違ってはっきりと出た。アーヴィンが背中に手を回してくれたので、思い切って前に進む。
「私は、失敗するかもしれません。遠回りだってすると思います。それでも、まずは自分で頑張ってみたいんです。その上でやっぱりお二方の意見が正しいと思ったら、改めてお話をお受けしたいと思っています。それでは、いけませんか」
「駄目だよ、ローゼ」
間髪入れずに答えたのはアーヴィンだ。
「この人たちはね、遅かれ早かれローゼが自分たちの申し出を受けると思っている。だからそんな言い方ではこう言われてしまうだけだ。――どうせ我らの言い分を飲むのは間違いないのだから、無駄な時間をかける必要などない。このまま申し出を受けてしまえば良いのだ」
「控えよ、神官風情が無礼な!」
正面からぐっと押された気がしてローゼは苦しくなる。威厳を持つ人物がここまで嫌悪を現すと空気ですら圧力を持つらしい。またしても下がってしまいそうになるローゼだが、横に立つアーヴィンの態度は軽やかなものだ。汗の一つさえも浮かべることなく微笑んでいる。
「いいかい、ローゼ。この話を断るのなら、いずれ受けるかもしれないという考えは捨てなくてはいけないんだ。逆に少しでも未練があるのなら、今ここで受けてしまうべきなんだよ」
「断るか、受けるか……」
彼を見つめるうち、ローゼの身体がふっと楽になった。
威圧が来なくなったわけではない。ただ、それを受け流せる余裕が生まれた。今いるのが華やかな王宮ではなく、西の辺境にある神殿のような気持ちさえしてくる。
「なんだか聖剣の話をされた時みたい」
あのときも悩んだ。聖剣を放棄するのか、それとも受け取るのか。
「そうだね」
【なんだなんだ? ローゼは最初から聖剣を受け取るつもりだったろ? まさか違うのか?】
聖剣に向かって、さあね、と笑う代わりに、ローゼはもう一歩を踏み出した。
聖剣の主ふたりは悪意を持って言ってるわけではない。それは良く分かる。
何も知らない無力な娘を支援しようという気持ちもきっと本当だろう。
それでもどちらかしか選べないというのなら、ローゼの答えは決まっている。
新しい聖剣の主は、深く頭を下げた。
「お話はお断りいたします。今も、この後も。申し訳ありません」
「後悔しますよ」
頭の上からマティアスの声が降ってくる。顔を上げるとふたりとも無表情だ。
「そうかもしれません。でも、お受けした方がもっと後悔すると思うんです」
続いてローゼは夫候補だった六人の男性にも頭を下げる。
「こんな結果で申し訳ありません。でも、来てくださってありがとうございました」
彼らがどんな表情をしていたのかよく分からなかったのは、アーヴィンが近寄って来たからだ。彼に肩を抱かれているのだと気がつくためには少しの時間が必要だった。
「じゃあ、行こうか」
雲にでも乗ったような気分でその場から立ち去りかけたローゼだが、後ろからスティーブとマティアスの声が追いかけてくる。
「……ああ、そうか。もしやお前がレスターか」
「レスター……大神殿で話にのぼっていたあの男ですか」
呼びかけられたアーヴィンは立ち止まって振り返り、優雅に頭を下げた。
「聖剣の主様方に名を覚えていただけているとは光栄です。ご挨拶が遅れまして大変失礼をいたしました、アーヴィン・レスターと申します。どうぞお見知りおきください」
ふたりの聖剣の主はなんとも嫌そうな視線をアーヴィンに投げている。
その様子を苦笑まじりにローゼが見ていると、
【良かったな】
腕の中から安堵に満ちた声がした。